第17話 工房長の答え
女王は、急がなかった。
一歩、また一歩。大空洞の床を鳴らして、黒曜の山がこちらへ歩いてくる。残り時間は八時間を切っているのに、その歩みには焦りの色がない。百年の場数が、急がずとも勝てると告げているのだろう。
「ノア、装甲の分析は」
「外殻は黒曜質の複層。下に弾性の層。さらに下に、また硬い層。……城壁を、三重に着てるようなもの」
「継ぎ目は」
「関節の膜と、複眼。教科書通りの弱点。でも――」
でも、その教科書は、向こうも百年読み込んでいる。
俺は退避壕の配置を最終確認した。負傷者と手当班は最後方。チビとのっぽは観測位置。前に出すのは、足の速い班だけ。
相手の挙動が分からないうちは、授業料を最小で済ませる布陣だ。
そのつもり、だった。
「弩班、関節。放て」
カン、カン。
十二条のボルトが、脚の関節めがけて吸い込まれ――弾かれた。
関節の膜の上に、さらに薄い膜が重なっている。複眼を狙った数本は、瞬きひとつで防がれた。眼にまで、瞬膜の鎧。
「……効かない、か」
『効かんよ』
女王が、初めて足を速めた。
速い。あの質量が、嘘のように速い。
「二番陣地、退避ッ!」
ガロの鐘が鳴るのと、女王の前脚が振り抜かれるのが、ほぼ同時だった。
土嚢と坑木で組んだ陣地が、薙ぎ払われて消えた。退避の遅れた二体が、宙を舞い、壁に叩きつけられる。
【個体損失:四番】【個体損失:十一番】
事務的な文字が、視界に並んだ。
「……ッ、回復薬――」
言いかけて、駆け寄った手当班が、静かに首を振るのが見えた。
即死だった。薬の出番すら、なかった。
【参考:同型個体の再購入 5.0DP/体】
俺は、その表示を見つめた。
五日目の夜なら、迷わず押していたはずの表示だ。修理より安い。経営判断として明白。あの夜の俺なら、そう言った。
四番は、棚卸しの数えが誰より速かった。十一番は、囮の餌場の配置をいつも一寸違わず再現した。教えた俺が言うのだから間違いない。
再購入で届くのは、同じ規格の、別の誰かだ。
「ノア」
「……うん」
「再購入は、しない。欠番として記録しろ。葬いは、終礼の後だ」
「……うん」
戦列のあちこちで、足が止まりかけていた。チビが観測位置で凍りつき、若い番号持ちが、壁際の二体の方を振り返り続けている。
カンッ、と。
ガロの鐘が、ひときわ鋭く鳴った。振り返るな、持ち場を見ろ、の音だった。隊長自身の声が、わずかに掠れていたことには、気づかないふりをした。
泣くのは後だ。怒るのも後だ。今この瞬間の俺の仕事は、三人目を出さないことだけだ。
「全班、女王から距離百を維持! 接敵禁止、誘導と観測に徹しろ!」
全員で終礼に出る。開戦からずっと守られてきたうちの勝利条件は、たったいま、破られた。
この借りの清算は、必ずやる。だが清算の前に、まず生き残る。帳簿はいつだって、その順番でしか付けられない。
だが、距離を取るだけでは、何も解決しない。
弩は効かず、槍は届かず、崩落は学習されている。手詰まりの気配が、戦線にゆっくりと染みていく。観戦窓の光点すら、心なしか静まり返っていた。
そのときだった。
こきり、と。
聞き慣れた音が、陣地の奥で鳴った。
振り向くと、ネジが布の塊の前に立っていた。三日間、戦いの合間のすべてを注ぎ込んだ、あの布の塊の前に。
工房長は俺を見て、深々と一礼し――布を、引き剥がした。
「……おいおい」
思わず、声が漏れた。
弩だった。ただし、俺の知っている弩ではない。
坑木を組んだ台座の上に、人の背丈の倍はある巨大な弓体。弦は撚り合わせた魔物の腱――先日の戦いで蟲どもから剥いだ、あの腱だ。巻き上げには滑車が三段。地脈工事で使った、あの滑車だ。
そして矢受けに装填されていたのは、ボルトではなく――うちの量産規格槍、そのものだった。
「弩を、大きくしたのか。槍を撃つために」
こきり。
「弾薬は規格槍。つまり在庫の三百本が、全部こいつの弾になる」
こきり!
見れば見るほど、新しい部品が一つもない。弓体は解析済みの弩の設計図を四倍に伸ばしたもの。台座は坑木の規格材。弦は戦利品。滑車は工事の中古。
解析と規格化。九十日かけて積み上げたうちの製造業の、これが結論というわけだ。新兵器に見えて、その実、既存品の組み合わせでしかない。だから三日で組めた。だから、今すぐ撃てる。
「強度計算は」
ネジは木札を差し出した。几帳面な刻み目で、試射の記録が並んでいる。三射目で台座の脚が一本裂けたこと、当て木で補強したこと、五射が限界と見ること、全部書いてあった。
「……五射、か」
こきり、と工房長は重々しく頷いた。
五発で仕留めろ、という意味だ。注文の多い兵器だった。だが、ゼロ発よりは無限に多い。
「名前は」
ネジは少し考えて、台座に刻んだ文字を指した。たどたどしい字で、こうあった。
『いちばんど』
「……一番弩。いいだろう、登録しろ」
ガロの鐘が観測を告げる。女王、距離二百二十、側面露出。
「一番弩――放てッ!」
ばつん、と空気の千切れる音がした。
規格槍が、見えない速さで飛んだ。
女王の中脚の付け根、関節の膜に、根元まで突き立った。
『――ォ、オオオオオッ!?』
百年の女王が、初めて、痛みに吼えた。
体液が噴き、巨体が傾ぎ、大空洞の床に膝をつく。観戦窓の光点が、一斉に明滅した。壁一面のどよめきが、見えるようだった。
「効いたぞ、工房長!」
こきりこきりこきり!
ネジが、誇らしさを隠しもせずに頷きまくる。手当班の陰で、のっぽとチビが抱き合って飛び跳ねていた。
『……その兵器は、誰が作った』
グルムの声に、初めて、値踏み以外の色が混じった。
「うちの工房長だ。野良で行き倒れてたところを、中途採用したコボルトの」
『コボルト? ……あの最弱の屑どもの一匹が、私に血を流させたと?』
「最弱を、規格化して、育てただけだ。あんたが百年、食っては捨ててきたものの中にな、グルム卿――こういうのが全部、入ってたんだぜ」
「次弾装填! 同じ箇所を――」
装填には、三十を数える時間がかかった。滑車が軋み、腱の弦がみちみちと音を立て、ガロとのっぽが二人がかりで規格槍を矢受けに納める。
その三十秒の間に、女王は岩山の陰へ巨体を割り込ませていた。学習が、装填より速い。
だが、二射目は、外れた。
正確には、防がれた。
女王は崩落の岩塊を前脚で掴み上げ、盾のように側面へ翳したのだ。槍は岩を砕いただけだった。三射目には、もう射線に対して正面――装甲の最も厚い頭部を向けて立っていた。
「……一射で、対応してきやがった」
『良い武器だ、新入り』
女王が、ゆっくりと体を起こす。突き立った槍を、抜きもせずに。
『百年ぶりに、血を見た。……礼に、こちらも一つ、見せてやろう』
女王の口部が、左右に開いた。
開いた奥に、琥珀色の光が、煮えるように渦巻いていた。
見覚えのある色だった。工兵蟲が、岩を溶かすときの、あの色。
ただし、量が違う。桁が、違う。
「――総員、伏せろぉぉっ!!」
【戦況記録 経過六六時間】
残高:248.2(一番弩の整備・回復薬・陣地修繕)/敵性残存:女王体(中脚一、機能低下)+護衛約三〇〇
特記:工房長謹製・攻城弩「一番弩」、初陣で有効打。ただし敵は一射で学習、以後直撃を許さず。本日、四番・十一番が戦死。再購入はしない。欠番とする。
制限時間まで、残り六時間。
(第17話・了)




