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第13話 赤字の夜

開戦から三十六時間、俺は一睡もしていなかった。

コアの視界は便利すぎる。十二分割で全持ち場を同時に見られる。見られてしまう。だから、見続けた。弩班の残弾、槍班の足運び、モチの位置、ネジの炉の火加減、全部。

配下には二交代で寝ろと命じておいて、自分は起き続ける。前の職場と、まったく同じ構図だった。違うのは、今回は誰も俺に残業を命じていないことだ。命じていないのに、やめられない。これはもう、病気の一種なのだろう。

三十時間を過ぎた頃から、視界の隅がちらつき始めた。

三十四時間を過ぎた頃、幻聴が来た。誰もいないのに、決裁印を求める声がした。薄れる意識の底で聞いた、あの日の自分の声もした。――まずい、報告書が、あと三日分。

全部見て、全部自分で指示を出して――そして、しくじった。

「のっぽ! 二号陣地へ――いや、違う、三号だ! 下がれ!」

指示が半拍、遅れた。

寝惚けた頭が、二号と三号を言い間違えたのだ。修正の声より早く、工兵蟲の酸が壁を舐め、跳ねた飛沫が、移動中ののっぽの背中を浅く焼いた。

「ギャアッ!」

「のっぽ!!」

槍班が酸蟲を押し返し、チビがのっぽを引きずって後送する。命に関わる深さではない。回復薬で塞がる傷だ。

だが、原因は敵の巧妙さじゃない。

俺の、ただの疲労だった。

「……俺のミスだ。指示の遅れ。記録しておけ」

「マスター」

「次の波は東枝道に来る。弩班の配置を先に――」

「マスター」

ノアが、俺の正面に回り込んだ。硝子玉の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。

「寝て」

「戦争中だぞ」

「三十六時間起きてるマスターと、六時間寝たマスター。次の三十六時間にどっちが要るか、数字で考えて」

言葉に詰まった。完全に、俺の側の理屈だった。

「……わたしは、管理精霊。歴代のマスターを、ずっと見てきた。記憶は欠けてるけど、これだけは覚えてる」

ノアの声は、平坦なまま、わずかに低くなった。

「追い詰められたマスターは、みんな、寝なくなる。全部自分で見ようとする。それで判断が濁って、濁ったまま、コアごと潰れていく。……三人、そうやって消えるのを見た」

「………」

「あなたは、四人目になる気?」

それでも食い下がろうとした俺の前に、のしりと影が立った。ガロだ。包帯を巻いたのっぽを後送してきた、その足で。

「ガッ」

短く、それだけ言った。意訳するまでもなかった。――現場は回す。寝ろ。

「……持ち場の練度は、あなたが九十日かけて作ったもの」

ノアが、静かに言った。

「なら、信じて使いなさい。あなたの仕事は、見張ることじゃない。決めること」

俺は、ゆっくりと息を吐いた。

前の職場で、俺は最後まで誰にも仕事を渡せなかった。渡した先で品質が落ちるのが怖くて、全部抱えて、抱えたまま便所で死んだ。

その俺に、ゴブリンと精霊が、寝ろと言っている。

「……半刻だ。半刻で起こせ。判断事項は全部ガロに委任、崩落の起動だけは俺の決裁だ」

「二刻、寝かせる」

「おい」

「決めるのは、起きてるわたし」

生意気な補佐だった。だが、悪くない判断だった。

泥のような眠りの底で、短い夢を見た。

前世の、恩師の町工場だ。油の匂い。旋盤の音。「計よ、いい機械ってのはな、止まれる機械だ」――現役の頃はろくに意味も考えなかった言葉が、夢の中で、やけにはっきりと響いた。

止まれない機械は、壊れるまで回る。

それを誰より知っていたはずの男が、自分の止まり方だけは、最後まで知らなかった。


二刻後。

叩き起こされた頭は、嘘みたいに冷えていた。

冷えた頭で戦況板を見ると、見えていなかったものが見えた。

「ノア。守りの収支は、構造的に赤字だ。問題は弾の値段でも蟲の値段でもない。『敵の補給が無傷』なことだ」

削っても、死骸が後送され、台所で次の蟲になって戻ってくる。こちらは削られた分が、そのまま消える。この構造が続く限り、時間はグルムの味方だ。

「だから、構造を変える。防衛戦は今夜で終わりだ。――攻勢に出る」

「攻勢って……戦力を割くの? この状況で?」

「割くんじゃない。一番効く場所に、一番安い一手を刺すんだ」

俺はカタログを開いた。開いて、ある項目を呼び出した。

【葬甲蟲(兵隊種)/生成単価:1.1DP】

八日目に解析した、敵と同じ蟲の設計図。

「それ……敵の蟲を、作る気?」

「正確には、蟲の『殻』をだ。ノア、生成時の魔力充填を最低まで絞れるか」

「絞れる、けど。それ、動かない。生まれない。ただの――」

「ただの、死骸と同じ殻だ。それでいい。単価も下がるだろう」

【葬甲蟲(兵隊種)・不活性体/生成単価:0.6DP】

動かない蟲の殻を、二十。

ノアは出力された殻の山と俺を見比べて、首をかしげた。

「動かない蟲、何に使うの」

「餌だ」

次に、倉庫から罠を一基引っ張り出した。開戦前に買って、結局設置場所のなかった毒矢の罠。ネジを呼んで、矢じりの毒嚢だけを外させる。

「工房長。この毒を、殻の腹に縫い込め。外から見て、絶対にわからないように」

ネジの手が、一瞬止まった。それから、俺の意図を悟ったらしい。こきり、と頷いて、針と糸を取った。

作業は、見事だった。殻の腹甲を一枚だけ浮かせ、毒嚢を膜で二重に包んで腹腔の奥へ収め、甲を戻して、継ぎ目を蟲自身の体液で接着する。出来上がった殻は、二十体のどれを検めても、ただの死骸にしか見えなかった。

「……毒、か」

手元の殻を眺めて、ふと、自分の中の何かが問うた。兵糧攻め、地形殺し、ときて、次は毒。お前の戦争は、一線をどこに引いてるんだ、と。

答えは、すぐに出た。

殺し合いに、上品も下品もない。淘汰戦に判定勝ちはなく、時間切れは両者死だ。手段を選ぶ余裕は、選べる強者の贅沢品で――今のうちは、まだ貧乏所帯だ。

それでも、殻の継ぎ目を撫でた指が、一瞬だけ止まったことは、記録に残さないでおく。

「ノア。蟲毒の軍の強さの根は、なんだった」

「……死骸を食べれば、増えること」

「そうだ。死骸が食料で、食料が兵力だ。なら――食料庫に、腐った在庫を混ぜたらどうなる?」

死骸を食って増える軍隊は、死骸を疑えない。疑った瞬間、自分の補給システム全体が止まるからだ。検品のない調達網ほど、毒に弱いものはない。

「敵の台所がどこかは、もう見当がついてる。工兵蟲の死骸後送の動線を、今日一日ずっと追わせた。全部、回廊中腹の同じ拡張部に消えてる」

偵察リンクで見た、あの縦穴に似た構造。蟲の海の、心臓。

「悪辣」

ノアが言った。

「褒め言葉として記帳しておく」

殻の山に毒嚢が収まっていくのを眺めながら、俺は最後の人選を組んだ。

隠密で、足が速く、暗闇が見えて、判断のできる隊。答えは決まっていた。

「ガロ」

呼ぶと、ホブゴブリンは音もなく現れた。

「選抜四名。背負子と縄。灯りは持つな」

俺は、回廊の方角を顎で指した。

「夜行だ。――奴の台所に、腐った在庫を納品しに行く」


【戦況記録 経過四〇時間】

残高:228.7(殻二〇体・製造費含む)/敵性残存:推定二、一〇〇(微増。削っても増える)

特記:マスター、開戦後初の睡眠(二刻)。指揮権限の一部をガロに委任――書いていて妙な気分だが、現場は完璧に回っていた。

制限時間まで、残り三二時間。


(第13話・了)


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