AuDHDの父と子 〜自分に似ている、と夫は言う。なのに毎日、娘と衝突する〜
夫と娘は、毎日のように衝突する。
リビングで、お風呂で。
毎日、同じことで衝突をし続けている。
夫は、娘を「自分の子供の頃に似ている」と言う。
今は目立たない夫の多動性が、幼い頃はもっと目立っていたのかもしれない。
それなのになぜ、自分に似ているはずの娘を、昨日も機嫌を損ねたのと同じようなやり方で、今日も怒らせてしまうのだろう。
娘が言葉を話す前から、夫はよく娘を泣かせた。
「わざと泣かせるようなことをしないで」
と、私は何度も言った。
けれど、夫はただオロオロして、また次の日も繰り返す。
あの頃、私はまだ気がついていなかった。
夫は、とんでもなく空気が読めないのだ。
人の気持ちがわからない。言葉を喋れない赤ちゃんのお世話なら、なおさらだ。
娘が何をしてほしいのか、何を嫌がっているのか、察することができなかった。
なぜ今? というタイミングで抱っこし、嫌がる素振りを気にせず、自分の思うままに娘を扱う。
そして泣かれて、途方に暮れる。
「ママがいいって」
私に丸投げしてくる。
それがとても嫌だった。
諦めが早すぎる。少しは努力してほしかった。
少し自分の行いを振り返ってみれば、そのぐらい誰でもわかることだと思っていた。
それで私が不機嫌になると、夫はまた混乱していた。
夫には、本当にわからないようだった。
娘がなぜ泣くのかも、私が何に怒っているのかも。
夫は、自分なりのルールを中心に世界を理解している。
そのルールが守られることで安心する。
全てがいつもと同じであることが重要なのだ。
子供相手では、それが通用しないとわからない。
娘は予測できない。
興味、ひらめき、衝動。
同じことをしても、毎回違う発見に喜ぶ。
娘はとにかく動いていたい。
夫は、その動きをいったん止めて落ち着かせたい。
夫にとって娘は、愛しているけれど、不可解で、自分を乱す存在でもある。
娘にとって夫は、いつもではないが、突然自分の流れを一方的に止めてくる、エネミーとなる可能性のある存在となる。
その間には、安心の仕方の違いがある。その違いが、毎日の衝突につながる。
夫は娘がなぜ怒るのかを、何度伝えても理解できない。
いい加減に学習してくれと、何度も思った。
大人なんだから夫が折れればいいと、私は簡単に思っていた。
うんざりしてしまう。
「ママがいい」
娘がそう言うたび、夫は私に助けを求めるような、悲しそうな視線を向ける。
私はいつもそれに気がつくのに、夫は何も気がつかない。
変わらない。
さすがにもう、諦めた。
けれど最近、別の考えも浮かんだ。
私は娘の気持ちを読み取りすぎていたのかもしれない。
娘が何を考えているのか。
なぜ怒ったのか。
なぜ泣いたのか。
私はいつも考えてきた。
言葉になる前の、表情や仕草や空気から、娘の気持ちを察し続けてきた。
だから娘は、
「ママがいい」
と言うのかもしれない。
私は、夫が娘の気持ちを読めないことに腹を立ててきた。
けれど娘は、私に読まれることに慣れすぎているのかもしれない。
夫は読めなさすぎる。
私は読み取りすぎる。
それが、娘を混乱させているのかもしれない。
夫と娘は、毎日、瞬間的に衝突している。
けれど、父と子の仲が壊滅的なわけではない。
不思議なことに、遊びのときだけはうまくいく。
好きなものも似ている。
食べ物も、ゲームも、古代エジプトも。
娘が自分と同じものが好きだとわかると、夫は嬉しそうだ。
二人で義実家に行くたびに、アメシスト、ポケモンカード、天体の図鑑。
娘は夫が使っていた部屋に行き、何かしら宝探しをして持ち帰ってくる。
二人で豚骨ラーメンを食べてくる。
二人で文句を言い合いながらマイクラをする。
工作をする。
進研ゼミをする。
毎日衝突しているのに、娘は夫に肩車をしてほしいと思っている。
夫は娘を抱きしめたいと思っている。
娘の発達特性は、夫からの遺伝が大きいのだろうと思う。
けれど、娘と夫では、特性の現れ方は全然違う。
その違いは性別や年齢が関係しているのかもしれない。
でも、もっと根本的なところから違うようにも見える。
同じ特性を持っているように見えて、世界の見え方は少し違う。
だから毎日のように衝突する。
それでも、好きなものは驚くほど似ている。
一緒に遊びたいし、一緒に笑いたい。
夫と娘は、噛み合わない。
けれど、ときどき同じ方向を向く。




