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統合失調症の母と、ヤングケアラーだった私と、2Eの娘

前回、夫の家系を遡った。


娘のADHDやASDの特性は、夫側からの遺伝が大きいと考えたからだ。


けれど、そこに当てはまらなかった娘の空気を読む力や、人の気持ちを察する力、どこか極端なまでの知的な好奇心。


これらは、私の母から来ているような気がしている。


そう考え始めた時、私は少し困った。


夫の家系については、比較的冷静に書けた。


けれど、母のことは冷静には書けない。



私にとって母は、長い間、病気の人だったからだ。


母が知的に高かったらしいことは知っている。


大学で、化学の研究をしていたそうだ。


子どもの頃には、誰にも教えられていないのに英語を話していたと聞いたこともある。


だから私は、母はギフテッドだったのかもしれないと思う。


けれど、それは私が知らない母の姿だ。


私が六歳の頃、母は統合失調症になり、閉鎖病棟に長期入院した。あの頃、統合失調症は、まだ精神分裂症と呼ばれていた。そんな時代だった。


あの前後のことは、私はあまり覚えていない。


だから私にとって母は、研究者だった人でも、賢い人でもない。


病気の母だった。



幼い頃の私にとって、母は会いたくて仕方のない人だった。


年に何度か、病院の外出許可が出ると会えた。


けれど、やっと会えた母に甘えるのが恥ずかしくて、私はいつも少し冷たい態度をとった。


本当は抱きつきたかったのかもしれない。母が病院に帰った後、私はいつも隠れて泣いた。


なぜかは忘れたけれど、人前では絶対に泣かないと決めていた。



私の母を想う気持ちは、少しずつ恨みに変わった。


私は小学一年生の頃から料理や洗濯をした。


兄弟の世話もした。


幼い頃は疑問に思わなかったことに、だんだん疑問を抱いた。


私は学校に、自分で作ったお弁当を持っていった。そしてそれを、誰にも見られたくなくて、隠すように食べた。


当時の私は、本ばかり読んでいた。そして、自分でも小説を書いていた。


勉強はほとんどしなかった。


とにかく、どこかへ逃げたかった。


お金もない、自由もない子供にとって、それは空想の世界が手っ取り早かった。



母に代わって育ててくれた祖母は、私にだけ厳しかった。


理由は簡単で、長女だったからだ。


祖母に怒られないために、私は大人の顔色をうかがい続けた。


何を言えば怒られないか。


何をすれば機嫌を損ねないか。


今、祖母を責めたいわけではない。


祖母もまた、その時代を生きた人だった。


祖母なりの愛情も感じていた。


けれど私は、そうして人の表情や声の調子に敏感になっていった。


だから長い間、この性質は後天的に身についたものだと思っていた。



母の不在。


ヤングケアラーだったこと。


祖母との生活。


そのすべてが今の私を作ったのだと。



それまでの窮屈さが嘘のように、高校を卒業した私は自由だった。


県外で一人暮らしを始めた。


誰の顔色も見なくていい。


誰にも怒られない。


好きな服を着て、好きなものを買って食べた。


私が家を出た後、母は退院して自宅に戻った。



父、母、妹、弟。


私以外の家族がどう集まり、どう過ごしたのか、私にはわからない。


知ろうとしなかったのかもしれない。


私はようやく手に入れた自由に夢中だった。


母のことも、家族のことも、考える暇はなかった。



私は母に怒られたことがない。


それは、私にとって嬉しい思い出ではない。


母が優しかったからではない。


怒られるほど、一緒に過ごしていないからだ。


宿題をしなさいと言われた記憶もない。


部屋を片付けなさいと言われた記憶もない。


当たり前のようにあるはずの親子のやり取りが、私にはない。



否、本当はあるはずだ。六歳になるまでの、穏やかなはずの日々。


けれど、それらは全く私の記憶にないのだ。


写真が残っていた。それを、私はいつだったか、思春期か、その前か、全部捨てた。


だから私は、母がどんな人かを驚くほど知らない。



何の研究をしていたのか。


病気になる前、どんなふうに笑っていたのか。


何が好きで、何が得意だったのか。


私は知らない。



田舎に嫁いだ母は、男の子を流産した後、私と妹を産んだ。


田舎の長男の嫁だった母に、祖父母は跡取りへの強い期待を向けたはずだ。


その期待を向けた祖母もまた、かつて曾祖母から「男の子を一人しか産めなかった」と言われ続けていたのかもしれない。


あの時代の田舎は、そういうところだった。呪縛のような重圧が、世代を超えて受け継がれていた。


だから私は長い間、その重圧が母を壊したのだと思っていた。


もちろん、それはきっかけだったのかもしれない。



もしかしたら、母は、人の気持ちや空気を敏感に受け取りすぎる人だったのではないか。


些細な言葉を気にし、人の視線を気にし、人に言われたことを深く考え続ける。


私が自分の性質だと思っていたものは、実は母から受け継いだものでもあったのではないか。


娘を見ていると、そんなことを考える。



娘はまだ小さいのに、人の気持ちによく気がつく。


相手によって話し方が変わる。


場の空気を読む。


そして、時々読みすぎる。



私は、娘にとってどんな母だろうか。


そして、いつか母になった娘は、私をどう思うのだろうか。


娘はよく言う。


「ママ大好き。ずっと一緒がいい」


もちろん、嬉しい。


そして、それが幼い頃だけの言葉だということも知っている。


けれど私は時々、考えてしまう。


もしかしたら娘は、私がそう言ってほしいことを知っていて、言っているのではないか。


私の喜ぶ顔を見ているのではないか。


私の気持ちを読み取っているのではないか。


そんなことを考えてしまうのだ。


娘の言葉を疑いたいわけではない。


私は、人の気持ちを読みすぎることの重さを知っている。


だから娘には、自分の気持ちで笑い、自分の気持ちで怒り、自分の気持ちで生きてほしい。


私のためではなく。


娘自身のために。



母のことを書こうと思った。


娘のルーツを辿ろうと思った。


けれど書き終わってみると、私は母についてほとんど知らないことに気づく。


私が知っているのは、統合失調症になった後の母だ。


病気になる前の母が、どんなふうに世界を見ていたのか。


何を感じ、何を考えていたのか。


私は知らない。


今回、私は母のことを知ろうとしたわけではない。


娘を見ていたら、少し見えた。


それだけだ。





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