レストランでも知りたい 〜選んだのに食べないお子様ランチ〜
週末、外食に行くたびに、私は少し悩む。
娘はいつも、可愛くて楽しそうなメニューを選ぶ。
国旗が立っているお子様ランチ。チョコバナナパフェ。 フルーツやクリームたっぷりのパンケーキやワッフル。
メニューを見ながら目を輝かせる。
「これにする!」
本当に嬉しそうだ。
料理やデザートが運ばれてくる。配膳がネコロボットだと、もっとテンションが上がる。
「かわちい!」「わたしがとる!」「ボタンおしたい!」
そう言って受け取った後、食べない。
私の唐揚げを食べる。チキンステーキを食べる。白米を食べる。わかめのおみそ汁を飲む。
気づけば私のお皿は空になり、私は娘が残したお子様うどんやお子様カレーを食べている。
だから私は、娘が食べそうなものを注文する。
大抵、唐揚げかチキンステーキだ。ナポリタンやミートソースのスパゲティだったりもする。
娘が途中で心変わりしても大丈夫なように。
そうやって何年もやってきた。
けれど、最近、これでいいのだろうかと思うようになった。
娘は本当にお子様ランチやパフェを食べたかったのだろうか。
違う。
娘は、頼んだものを食べたいわけではない。写真のものを、実際に見たいだけなのだ。
運ばれてきた時のわくわくを味わい、目で味わったら、もういらない。口に入れて食べたいものは、馴染みのあるもの、そして、シンプルな味のものだ。
娘は昔からそういうところがある。
おもちゃを欲しがったから買ったのに、家ではもう遊ばない。
かわいいパッケージのおやつも、欲しがったから買ったのに食べない。
「食べたい」ではない。「遊びたい」ではない。
「見たい」「知りたい」「確かめたい」
娘が知りたいのは、お子様ランチの味ではなく、どこの国の旗が立っているかなのだ。
「メキシコ!」「アメリカ!」「オーストラリア!」
それだけのために、娘はお子様ランチを頼んでいる。コインガチャや、おもちゃ券があれば、尚良し。
スイーツは、その可愛さを確認したらもういい。食べたいのは、チョコのかかったバニラアイスなのだ。
それを知っている私は、いつも自分の食べたいものではなく、娘が食べるものを注文する。
自分の食べたいものを、いつも諦めている。
夫は違う。娘が幼い頃から、夫は自分の好きなものを注文した。取り分けなんてできそうにないメニューばかり。
娘と喧嘩をする。自分が頼んだものを食べろと言う。
私はずっと、親はみんな、子どもに取り分けられるものを頼み、子どもが残したものを食べるものだと思っていた。
だからずっと、そうしようとしない夫に苛ついていた。
でもそれは、私の思い込みだったのかもしれない。
私は私の食べたいものを注文して、これは私のだと教えればよかったのかもしれない。
誰かの我慢で成り立つ平和は、本当に平和だったのだろうか。
けれど、娘が私の皿を空っぽにするとき、私はいつも嬉しかった。
またお子様カレーを食べる羽目になったと思いながら、進んで取り分けた。
私が苛立つのは、夫に対してだけだ。
「たまにはあなたが娘が食べそうなもの頼んでよ」
と言うと、嫌そうな顔をする。一緒に外食に行きたくなくなる。
けれど、これから娘が大きくなると、だんだん家族で外食に行くことも減っていくのだろう。
その頃には、娘はもうお子様ランチを頼まない。
辛さのないカレーを食べるのも、今だけだ。
その日に向けて、少しずつ、私は私の食べたいものを頼む日を増やしていこう。
夫に腹が立ったことも、娘がお子様ランチの旗を確認する顔も、薄味のうどんやカレーも、かけがえのない家族の思い出になるから。




