娘に似た子を探していた 〜ギフテッドとAuDHDのあいだで〜
私はこれまで、娘が世界を作っていると何度も書いてきた。
けれど、娘は別に世界を作ろうとしてはいない。
娘が何かしたあとに、勝手に世界ができているだけではないか。
娘はポケモンのコイキングとシャリタツが好きだ。もっとかわいいポケモンもたくさんいるのに、何に惹かれているのだろう。
共通点は魚だということ。魚といえば、娘は工作のモチーフに、よく海の生き物を使う。
幼稚園で、タコの凧を作った。家で、クラゲの貯金箱を作った。放デイで、魚のうちわを作った。
小学校の工作では、娘は金魚を作ったそうだ。授業でやったのはそこまで。
休み時間に、金魚に値段がついた。参観日に見ると、一匹20,000円とか、30,000円とか書いてあった。高級魚だ。
次に看板を作った。上手にシャリタツが描けていた。「おさかなやさんひらいています」と鉛筆で書いてあった。
それから、旗とポスターを作った。もっとお客さんに来て欲しいと思ったのだろう。
紙を捻ったねじり鉢街も準備した。自分の分と、もう1人、一緒にやってくれた男の子の分。
お魚屋さんの格好で、旗を持って廊下を練歩いた。
「やすみじかんにおさかなやさんやってます。だれでもきていいですよ」
四年生二人と、教頭先生、隣のクラスの先生が来てくれたらしい。
折り紙でお寿司も作り、メニューを作り、テイクアウトの入れ物と箸を用意した。
準備が整った日、ちょうど参観日があった。参観日に合わせたわけではない。夫や、男の子のお父さんをお客さんにして、娘は満足そうにお寿司を売っていた。
参観日の次の日、今度はクイズを作り始めた。
問題ができた。迷路も書いた。ワープゾーンも作った。
何枚かになったクイズや迷路を、ホッチキスで留めて本にした。
娘は最初から魚屋を作ろうとしていたのだろうか。
クイズの本にしようとしていたのだろうか。
たぶん違う。
娘はただ、その時面白いと思ったことをしただけだ。
こうしたらもっと面白くなる。もっともっと。アイデアが止まらないだけ。
けれど、その結果として世界ができる。
娘が学ぶたび、遊ぶたび、世界は広がる。
私はそれを何度も見ているうちに、娘はギフテッドなのだろうと思った。
独特な発想。創造性。世界観。
なんだか、ギフテッドっぽい気がした。
けれどADHDとASDが奇跡的に噛み合った結果、ちょっとギフテッドっぽくなったのかもしれない。
最近、AuDHDという言葉を知った。前から見かけていたけれど、ADHDとASDの併発と、AuDHDは同じ意味らしいと検索したあとはスルーしていた。
なのに、私はその言葉を、なぜ急に使おうと思ったのだろう。
娘はギフテッドなのだろうか、発達障害児なのだろうか。
私はその問いを何度も繰り返してきた。考えたし、書いてもきた。
WISCの結果を見た時も、本を読んだ時も、娘の行動に驚かされた時も、いつもギフテッドという言葉が浮かんだ。
魚屋さんごっこを見た時もそうだった。
ギフテッドが一つの世界を作る力を見た。
けれど別の見方もできる。
ASDがきっかけを作り、ADHDによって次々にアイデアが浮かんでくると考えた場合、その二つが重なって、結果としてギフテッドが作ったような世界ができているようにも見える。
クイズ本もそうだった。
ある日突然作りたくなって、迷路や問題を次々に書いた。
ワープゾーンには色を塗り、「正解したらワープできるの」と嬉しそうに説明してくれた。
魚屋さんのときと同じだ。また、ASDの没頭と、ADHDの連想の広がり。
娘が作るのは、いつもそういうものだ。絵本や、物語、作詞、作曲。
娘は、ただ頭の中にあるものを表現したい。それがギフテッドでも、AuDHDでも、娘にとってはどちらでもいい。
そして、私にとっても。
ギフテッドか、AuDHDか。
考えれば考えるほど、境界は曖昧になる。
私は以前、娘の知的な特徴を探した。
これまでの交友関係、パズルをした月齢、作った絵本、立ち位置変更に対応した初舞台…
娘がギフテッドであることを証明しようとした。
けれど、私は本当に「娘がギフテッドかどうか」を知りたかったのだろうか。
振り返ると、私がずっと探していたのは娘に似た子だった。
なにかに夢中になる子。
思考が飛躍する子。
ずっと踊る子。
大人びた会話をする子。
少し賢い、賢すぎない子。
そして探しているうちに、たくさんの「娘に似た子」に出会った。
その子たちは、不思議なくらい、ギフテッドの本や記事の中に多かった。
だから私は、「やっぱり娘はギフテッドなのかもしれない」と自信を持つようになった。スキや、いいねに増え続ける、娘に似た子。
けれど、最近、気がついた。
娘に似た子は、本当にギフテッドの子に多かったのだろうか。
本になる。記事になる。研究される。
そうした機会が多かったのが、たまたまギフテッドの子ばかりだったのではないか。
もしASDとADHDを併せ持つ子がいて、好きなことに没頭し、独特な世界を持ち、年上と話し、大人を驚かせる発想をしていたとしても、私が見つけられていないだけなのではないか。
「娘に似た子はギフテッドに多い」
という私の感覚は、間違いではないけれど、見ている範囲が狭すぎた。
当たり前だ。ギフテッド、2E、そんな言葉ばかり検索してきたのだ。
ADHD、ASDと検索したときより、ギフテッドと検索したときの方が娘に似た子が多く出た。
ASDとADHDの併発、AuDHDと検索しても、そもそもの母数が少ない。
ギフテッドの子は、たくさん出てくる。
「娘に似た子がギフテッドの子に多い」
ということは、事実ではある。
娘にAuDHDだけで説明できる部分はたくさんある。
けれど、説明しきれない部分も確かにある。
結局、娘が2Eなのか、2Eに見えるAuDHDなのか、またわからなかった。
新たな言葉を見つけ、また似たような堂々巡りをしただけか。
ただ、以前と違うこともある。私はもう、そこまでギフテッドという答えにこだわってはいない。
娘がどの名前に当てはまるのかよりも、娘がどんな世界を作ったかを書き留めていきたい。
私はただ、その世界の広がり方を見るのが好きなのだ。
娘に似た子は、きっとたくさんいる。
ギフテッドの子にも、AuDHDの子にも。
私が娘に似た子を探したように、娘に似た人や、その周りの人たちが、娘を探してくれているかもしれない。
その人はもしかしたら、AuDHDかもしれない。
そう思い、私はプロフィールにAuDHDという言葉を足したのだ。




