魚屋さん一緒にやる約束でしょ 〜仕切りたがり屋に見える2E児の成長記録〜
先日、小学生になってはじめての参観日で、私は少し不安になった。
娘たちは支援学級で、ふえたらいくつ? へったらいくつ? を、手作りのバスと、バス停で乗る乗客と降りる乗客で、体験しながら学んでいた。
その後、算数のプリントが終わったら自由時間だと言われた。
娘は、あっという間にプリントを終わらせた。
そして先生に花丸をもらうと、魚屋さんの準備を始めた。
コピー用紙をカラフルに塗った手作りの魚と、折り紙の寿司を並べ、テイクアウト用の容器やレジ、お金を用意し、自分の世界を作っていく。
お魚屋さんをやっていますと書かれた旗や、ポスターもあった。
ところが、一緒に魚屋さんをする約束をしていたらしい男の子が、別のことをして遊び始めた。
すると娘は男の子のところへ行き、半ば強引に、魚屋さんのねじり鉢巻きを頭につけた。
「魚屋さん一緒にやる約束でしょ」
そう言って、魚屋さんに誘っていた。
その姿を見て、私は少し前の授業を思い出した。
算数の時間、娘は自分の考えをどんどん話し、隣の男の子はそれに合わせていた。
先生は娘ではなく、その男の子に向かって、
「やさしいね」
と声をかけた。
急に、不安になった。
娘は、周りの子を従わせているように見える。
このままでいいのだろうか。
相手が子供であれ、大人であれ、娘はよく仕切る。
けれど、それは人を支配したいからではない。
やりたいことを形にするために、あれやって、こうして、と要望を伝えている。
けれど、思いついたまま口に出すせいで、口調が強すぎる。六年生相手でも、先生が相手でも、敬語が使えない。
このままでは、「何この偉そうな子」と思われてしまうだろう。
普段からそうな訳では無い。
娘はやりたいことで頭がいっぱいのとき、早口になり、口調が強くなる。
これは、きっと、今すぐにはどうしようもない。
「お願いがあるんだけど、これしてくれない?」
と、大抵は言ってはいる。けれど、早口すぎるのと、目の前のことに集中しすぎて相手を見ていないことで、威圧的になる。
「ありがとう」
と言うけれど、それも早口すぎるし、相手を見ない。
娘に悪気はない。リーダーになりたい願望もない。あるのは、自分の世界を早く作りたい気持ちだけだ。
だからこの時、私は支援学級にしてよかったと、改めて思った。
先生が間に入り、子ども同士のやり取りを見守ってくれる。
まだ不器用なコミュニケーションを、失敗しながら練習できる場所がある。
娘はまだ、自分のイメージを他者と共有したいのに、うまく伝えきれていない。
「これやって」 「次はこれ」
集中するほど、言葉が短くなる。周りは置いてけぼりだ。
口約束の子も、以前やってくれただけの子も、娘の中で、最初から世界の一員に組み込まれている。
だから娘は、
「魚屋さん一緒にやる約束でしょ」
と言ってしまう。
約束したのだから来るはず。一緒にやるはず。そう思っていたのだろう。
一緒に遊ぶ側から見れば違う。
今は別のことがしたいかもしれない。気が変わることもある。自分の意見も言いたい。自分のやり方もある。
人を動かす力と、人と動く力は別だ。
先生が男の子を褒めたのも、そこだったのかもしれない。
受け入れる力。合わせる力。合わせてもらう力。
集団には、どれもが必要だ。
娘はまだ、そのバランスを学んでいる途中なのだと思う。
娘は、年上に合わせてもらうときや、年下に合わせるときは、うまくコミュニケーションできている風になる。
問題は、同年代とのコミュニケーションだ。
嫌われない仕切り屋とは何だろう。
それは指示する人ではない。
参加したくなる世界を作る人だ。
お願いができる人。
ありがとうが言える人。
相手の案を面白がれる人。
そして、自分の計画と同じくらい、相手の気持ちも大切にできる人。
娘にとって魅力的な世界が、他の子にとっても魅力的とは限らないことを、娘はまだ知らない。
ただ、娘はまだ一年生だ。最初からできなくても仕方がない。
「一緒にしてくれる?」
「手伝ってくれてありがとう」
まずは相手の顔を見て、そう言える人になれたらいいなと思う。
考えてみれば、娘の世界は、いつも参加者を求めている。
魚屋さんごっこでは、魚を作るだけでは終わらない。
ポスターを作る。旗を作る。呼び込みをする。
「魚屋さんに来てください」
「お寿司もありますよ」
そうやって、自分の作った世界に人を招こうとする。
一緒にやりたいのだ。
一緒に見てほしいのだ。
自分の頭の中にある、面白い世界を。
だから私は、仕切ることそのものを直してほしいとは思わない。
世界を作る力は、そのまま持っていてほしい。
ただ、あと一歩。
相手にも相手の気持ちがあること。
来たい時もあれば、来たくない時もあること。
優しさと思いやりが身についたら。
お願いする力と、待つ力が身についたら。
娘の世界は、今よりもっとたくさんの人が集まる場所になる気がする。
「誰でも来ていいですよ」
そういえば、呼び込みのときは、娘は敬語を使っている。




