2Eギフテッド 娘の名前はイッパイアッテナ
娘は、行く先々で違う子になる。
幼稚園で見れば、困っていない子だった。社交的で、お友達と遊ぶのが好きで、先生の話も聞ける子。
発達相談で見れば、強く特性が出る子だった。喋らず、視線を避け、衝動的に絵を描きなぐる子。
発表会で見れば、本番に強い子だった。大勢の前でも淡々とやり切る子。
家で見れば、ずっと歌ったり踊ったりする子だったり、切り替えられずに泣き叫ぶ子だったり、工作に夢中になり手が止められない子だったりする。
今、小学校や放課後等デイサービス、感覚統合訓練では、娘は楽しそうに過ごしている。そういう場所で見れば、娘は困っていない子だった。面で支えられる環境では、娘の凹はあまり出てこない。
娘は、空間によっても変わった。
広い公園では何時間でも遊びを作り続けるのに、逃げ場のない静かな個室では、急に言葉を失う。
3歳半健診のとき、あまりにも踊り続ける娘を見て、多動ではないかと相談した。保健師さんには否定された。広いホールには観察できる子どもたちが大勢いて、娘は落ち着いていたからだ。
娘が自然体でいられた環境では、特性は見逃された。
5歳の発達相談は逆だった。逃げ場のない個室に、知らない大人が3人。静寂と視線。娘が最も苦手とする条件がそろった空間で、彼女はひと言も喋らず、衝動的な絵を描きなぐった。その場で「小児科を受診してください」と言われた。
同じ娘が、環境によってまるで別の子に見えた。
検査でも、同じことが起きた。
ADHDもASDも、数値が低く出た。当時の私は、その数値の低さに安心した。やっぱり違うのかもしれない、と。
けれど、数値が低かったのは、特性が薄いからではなかった。ADHDとASDがそれぞれ強く存在しながら、互いを打ち消し合っていたのだ。単体の検査様式では、その構造は捉えられない。
小児科、心理士、作業療法士、相談員、教育関係者。たくさんの専門家に診てもらった。
それでも、どこへ行っても娘の一部分にしか触れられなかった。
当時の私は、なぜわかってもらえないのだろうと思っていた。専門家なのに、と。
けれど今は、それも無理はなかったのだと思う。
それぞれが、真摯に、目の前の娘に向き合ってくれていた。
ただ、一つの場所で見た娘は、その一つの顔でずっとそこにいる。他の顔を見る機会がない。
点や面で見たとき、娘はそう複雑ではなかったのだ。
誰も間違ってなどいない。娘がたくさんいただけだった。
だから私は、生活の中に散らばった矛盾を、自分で繋ぎ合わせていくしかなかった。
ひたすら娘を観察して、本を読み、自分で調べた。
幼稚園の帰り道、娘が突然走り出したことがある。これが衝動性か、と追いかけると、娘はちゃんと家の前で待っていた。道路には飛び出さない。赤信号では止まる。走り出す衝動を、ルールへのこだわりが止めていたのだ。
それだけなら、ただの些細な出来事だ。そこから衝動とこだわりが共存しているなどと、思い至るはずがない。
私に知識が増えるにつれて、見えるものが変わっていった。同じ出来事が、違う意味を持ち始めた。
そういう些細なことが積み重なり、ある日、点と点が繋がった。
必死だったのだと思う。親だから、この子のことを誰より知りたくて、誰より理解したくて、探し続けた。
専門家には見えなかったものが、私には見えた。それは知識でも経験でもなく、必死さの量だったのかもしれない。
娘のことを一番長く、一番近くで見てきたのは、私だった。
点と点を繋げ、面と面を繋げ、立体にできたのは、私だけだった。
私は、自分の観察眼を信じていいのではないか。
これが娘なのだと思った次の日には、また別の顔を見せる。
だから私は、これからも娘を見続けていく。
娘の顔は増え続ける。
「おれの名前は、いっぱいあってな」と言った、あの猫のように。




