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パドブレができた日 〜DCDの子が、頭の中の設計図を身体に繋ぐまで〜

娘は、赤ちゃんの頃から音に合わせて体を動かしていた。


音楽が流れると、自然に揺れる。リズムに合わせて跳ねる。まだ言葉も十分ではない頃から、身体の方が先に反応していた。


1歳半からリトミック教室に、2歳からはダンス教室にも入った。


けれど、娘は先生と同じようには踊らなかった。みんなが先生を見て踊る中、娘は鏡を見ていた。そして、音楽に合わせて、自分の感覚で身体を動かしていた。


でも、不思議なことに、本番ではちゃんと踊った。


娘は子ども向けの音楽には全く惹かれず、絶対に踊らなかったのに、高校生と先生が踊るブレイクダンスを見ると、家で逆立ちして頭で回転しようとした。


大人の踊りと子どもの踊りを判別し、踊るかどうかを決めていた。2歳が子供っぽさを嫌う違和感を、私は当時から感じていた。



娘がバレエをやりたいと言い出したとき、私は無理だと思った。身体が硬かった。そしてダンス教室で、みんなと同じように踊っていない。バレエのように集団で揃えることが重視される世界は、娘には難しいのではないかと思っていた。


半年様子を見たが、娘の気持ちは変わらなかった。


それならと、バレエ教室の体験に行くと、娘はほとんどの教室で、先生の言われるとおり、ストレッチをし、バーレッスンをした。


ダンス教室ではストレッチすらあまりしないのに、何が違うのだろうと不思議だった。


今ならわかる。自分でやりたいと決めたから、できたのだ。


バレエにも、子供向けの演目はある。キャンディボンボンも、赤ちゃんの踊りも踊った。娘は、それを嫌がったことはなかった。


なぜバレエだったのかは、私にはわからない。けれど娘には、バレエでなければならない理由があったのだと思う。深読みのし過ぎで、もしかしたら、ただ、かわいいレオタードが着たかっただけかもしれないけれど。


それでも確かなのは、彼女の関心は先生や人にどう見られるかではなく、常に自分の身体をどう動かすかに向いていたということだ。


ダンス教室で娘が見ていたのは、先生ではなく鏡だった。周りの子の動きを真似するのではなく、自分の身体が空間の中でどう動いているのかを確かめていた。


娘は昔から、地図や案内図、フロアマップを見るのが好きだった。どこに何があるか、自分は今どこにいるか。それを把握するのが楽しいのだと思う。


そんな娘にとって、踊りとは、音楽に乗るだけでなく、同時に、空間をデザインする行為なのかもしれない。


そんなことを考えるようになったのは、3歳の発表会での出来事を思い出したからだ。


ダンスの発表会、インフルエンザによる欠員で、当日に立ち位置の変更があった。


娘はリハーサルで混乱していた。


今まで、このお姉さんとお兄さんの真ん中ねと言われていたのに、そのお姉さんがいない。


リハーサルではフラフラと彷徨う難破船だった娘が、本番、自ら違うアンカーを見つけ出し、立ち位置を修正して見事に踊りきった。


よかった、できた。としか思わなかったあの日。後日、一緒に踊ったお姉さんのママさんから、立ち位置ちゃんと動けてすごかったねと声をかけられて、

あの時の娘はすごいことをしたのか、と思った。


あの日の立ち位置変更に対応できたのは、空間の中で、自分の身体をどこに配置するか、ステージを3D視点で捉えられていたからだと思う。


実際、娘は自分の立ち位置を驚くほど正確に把握できる。


その後のバレエの発表会でも、動きは拙いのに、立ち位置だけはビシッと決まった。


振り付けを覚えるのも早い。


そして、ゾーンに入った時の踊りは惹きつけられると、先生に言われた。


けれどその一方で、娘には強い苦手もある。


バーレッスン。その場から動けないことは、娘にとって何より辛いことなのだと思う。


パドブレ。小さく、細かく、連続して動くステップ。これも、最速最短を良しとする娘にとっては、一歩ですむところを、10歩や20歩にして進むことが苦痛なのだと思う。


娘は自信のない動きのとき、途中でふざけて逃げてしまう。やりたくないわけではない。むしろ、やりたい。でも身体が追いつかない。


娘のバレエでの困難は、身体が硬いことではなく、目に見えない時間を細かく刻み、身体を制御し続けることなのかもしれない。


意外なのは、娘はクラスで一番体が硬いのに、ストレッチは真面目に取り組むことだ。


他の子と比べて、自分が一番硬いことを自覚している。けれど、嫌がらずにできる。


きっと娘にとってストレッチは、他者との比較ではなく、過去の自分との戦いになっているのだと思う。


ブリッジのように、空間の中でカチッとキープする動きの時には、決まって「これ得意!」と輝くような笑顔を見せる。


全部ができないわけではない。苦手と得意の凸凹が、とても大きい。


去年の発表会の練習で、全員がステージの端から端へ移動する場面があった。


みんなでタイミングを揃えて移動する。娘は、それがなかなかできなかった。毎回、一人だけ先に行ってしまう。


私はその姿を見るたびに、「やっぱり娘にバレエは無理なのではないか」と落ち込んだ。


空間把握はできる。振り付けも覚えられる。でも、みんなと同じタイミングで動くのは難しい。娘の凸凹が、そこにはっきり出ていた。


けれど、本番1カ月前頃。娘は突然、合わせられるようになった。


前回まで、できなかったのに。急に。


その時私は思った。娘は周りの真似をして覚えているのではない。音と空間と他者の位置、そして自分の身体。その全てが、彼女の頭の中でひとつの完璧な設計図として統合されるのを、じっと待っていたのだ。


時間はかかる。けれど、できないわけではない。


娘には、発達性協調運動症がある。


理解が身体に届くまでに、時間がかかる。


体はふざけたり、やらなかったりするけれど、頭ではずっと、ものすごい勢いで学習している。そしてある時、娘が脳内で納得した瞬間、急にできるようになるのだ。


私は、その瞬間を何度か見てきた。


みんなと同じように動けるか。同じタイミングで合わせられるか。年齢相応に振る舞えるか。


できない姿を見るたびに、周りに迷惑をかけている。やっぱり向いていないのではないか、と不安になった。


でも娘は、私に教えてくれた。


今できないことと、ずっとできないことは違うのだ。


だから最近は、まだできないことを、以前ほど怖いと思わなくなった。


娘の中では、見えないところで、今日も膨大な情報が組み上がっている。そしてきっとまたある日、突然、その設計図が完成する。


今日、発表会の練習を見学した。


前回見学したときにはやらなかったパドブレを、娘はやった。隣の子とタイミングを合わせながら。


帰宅後に褒めると、「もう、昨日からやってるよ」と、少し照れくさそうにしていた。


娘なら、きっとできる。


もちろん、簡単ではない。時間もかかる。上のクラスに行けば、今より厳しくなるかもしれない。


娘自身も、今の自分の振る舞いがバレエ教室にふさわしくないことを知っている。自分の凸凹を、高すぎるメタ認知能力でわかってしまっているからこそ、進級を怖がっている。


娘は、頭ではわかっているのに、身体が追いつかないことがもどかしいのだ。


だから、ふざけたり、やらなかったりしてしまう。


みんなより時間はかかる。


けれどそれは、人より大きくて緻密なパズルを、頭の中で組み立てているからだ。


身体の中で何かが繋がると、彼女は突然、誰も真似できない世界を見せてくれる。


その独特な学び方で。


今日も娘は、自分だけの設計図を確かめるように、鏡を見ながら踊っている。



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