好きは消えない。ただ、見えなくなる
おもちゃ箱の奥底に沈んでいった物にも、愛着は消えない。
「欲しい!」とあんなに言っていたのに、買ったらもう興味がなくなる。放ったらかされたそれを、私が片付けたらもう忘れる。
飽きっぽい。わがまま。本当に欲しかったの?
ああ、また無駄な買い物をしてしまった…
そう思っていた。
買ったのに全然遊ばないというのは、外から見ただけの現象だったのだ。
娘は、おもちゃを見た瞬間に遊び終わっていた。どう遊ぶか、どんな展開になるか、どこが面白いか、頭の中で一瞬で一通り遊んでいるのだ。
だから、手に入れた時にはもう遅い。遊び終わっている。だからもう触らない。
私は欲しい物は使いたいのだと思っていた。娘にとっての欲しいは、知りたいだった。欲求は本物だけれど、目的が違った。
娘にはもう一つ、似たような仕組みがある。
ある放デイでは、いつもドンジャラをやりたがる。別の放デイでは、ベイブレード。他の場所でも、ここではこれと決まっている。最初はただのこだわりだと思っていた。
娘は情報量が多い事が苦手だ。選択肢がたくさんある中で、何で遊ぶかを決めるという事自体が、相当の負荷になる。だから場所と遊びをセットで固定する。考えなくていいようにする。自分で生み出した、彼女が生きやすくなるための仕組みだと思う。
ただ、他の子が別の遊びをしていると、そちらが気になる。さっきまで存在しなかったものが、目に入った瞬間に現実になる。ここではこれと決めていた自分ルールより、見えた物の方が鮮やかに見える。
気になっても、すぐに混ざりに行くわけではない。知らない場所、知らない子の集団には近付かない。でも知っている場所で、一緒に遊んでいい相手ならば、混ぜてと言える。
引っ張られる感覚は同じでも、動けるかどうかは安心できる環境かどうかで変わる。
見えるとやりたくなるのは、家でもそうだ。
見向きもせずに、まったく触らなくなったおもちゃの数々。それらを「これ、もう捨てるよ」と目の前に出すと、また遊び始める。
見えた瞬間に、存在が戻ってくる。それまで娘の世界から消えていた物、全てが。
だから、娘は捨てることができない。
使わなくなっても「好きだったものリスト」から外れていない。一番ではなくなっても、好きなままで順位に入っている。物がそこにある限り、記憶も存在する。物が記憶の錨になっている。
娘の脳は、自分で保持できない記憶を外部に保存しているのだと思う。
好きは上書きされない。ただ、新しい好きが来るたびに、古い好きは奥へと押し込まれていく。
おもちゃや食べ物だけではない。人も。
一番好きな子はコロコロ変わる。でも前に一番だった子の事も、好きなままでいる。好きが消えたわけではない。新しい好きの下に、ちゃんと積み重なっている。
ただ、環境が変わって疎遠になると、気持ちまで消える。
おもちゃと同じだ。見えなくなると、存在が消える。「捨てるよ」と出しなおせるおもちゃと違って、人はそうはいかない。
会えなくなると、出しなおす機会がない。だから消える。好きが消えるのではなく、思い出せなくなる。娘にとって、愛着の強さは関係なく、見えている事が存在の条件なのかもしれない。
描き終わった絵は「貼っておいて」と言う。捨てないで、と自分で先に言う。幼稚園で一番好きだった子のことを聞いたら、「小学校が違うからもういい」と言った。
しまわれると消える。捨てられると消える。会えなくなると消える。それを娘はわかっている。
娘は、自分の脳の仕組みに正直に生きている。
交換したシール、一緒に作った工作、一緒に遊んだゲーム。
関連した何かさえあれば、思い出は消えない。




