今朝、小学校の裏門で娘が号泣した
入学式から10日。娘が初めて泣いた。
小学校の裏門の前で立ち止まり、号泣しだした。
最初は、いつもと違う門だったからだと思った。小学校のプリントに送迎は裏門からと書いてあったので、今まで正門から入っていたけれど、裏門へ行った。
それだけの事だった。ああ、またか、と思った。変化に弱い子だと、ずっとそう思っていた。
けれど、違った。娘にとって裏門は、いつもと違う門ではなかった。
ただ、正しくない門だったのだ。
娘の正しさは、ルールブックの中にあるのではなく、自分がいつもしていることの中にある。正門から入ること。それが娘の登校だった。
先生が迎えに来てくれて、裏門から入ってもいいのだと説明をしてくれた。娘は納得し、門をくぐった。強制でも慣れでもなく、論理が更新されたことで、体が動いた。
その様子を見ながら、思い出したことがあった。
バレエ教室で、行き渋りをした日のことだ。
今までいた子が辞めて、新しい子が入ってきた時だった。最初は、人見知りや環境の変化だと思った。新しい子が来たから、緊張しているのだと。
けれど、今日、見え方が変わった。
娘にとってそれは、変化ではなかったのかもしれない。正しくない状態だったのだ。
今までのメンバーで成り立っていたバレエ教室。その中で、自分の位置や関係も含めて、これがバレエ教室だという形ができていた。娘は、自分の所属に対する愛着が強い。発表会直後という事もあり、尚更だったことだろう。
娘にとって、クラスメイトが違う子になるということは、そこが別の場所になる事なのだ。だから、立ち止まった。いつものバレエ教室ではないから行きたくなくなった。
けれど、新しく入った子と仲良くなると、行き渋りはすぐに自然と消えた。
慣れたからではなかった。娘の中で、更新が起きたのだ。新しい子がいる状態が、今のバレエ教室として組み直された。正しくなったから、動けた。
今朝と同じだ。
説明を受けて納得した時も、自分で関係を作り直した時も、やっていることは同じで、世界の方を合わせるのではなく、自分の中の世界を書き換えている。
今まで私は、変化に弱いという娘の表面しか見ていなかった。
そうではなく、いつも、彼女の中のもっと芯の部分が揺らいでいたのに。
ASDのルーティン化と、ギフテッドの完璧主義。それが重なって、崩れ方が激しくなる。
けれど、納得からの回復の早さ。それは彼女の強みなのではないだろうか。激しく崩れるけれど、自ら世界を構築し直して、立ち直る事が出来る。
ずっと変化に弱い子だと思っていた。でも本当は、違った。娘は、曖昧なまま進めないだけだった。一度崩れて、納得できる形に組み直して、それからまた、進み出す。その速さと、極端さが、この子らしさだ。
娘のルール更新と同時に、今朝、私の中の娘も更新された。




