2Eギフテッド 娘の充電ステーション
私はずっと娘が頑張れる場所を増やそうとしていた。けれど本当に必要だったのは、娘が頑張らずにいられる場所だった。
娘が放課後等デイサービスに通うようになって、半月が経った。今のところ、楽しそうに通っている。
バレエもピアノも小学校も、娘にとっては頑張る場所。楽しいけれど、気を張っている。帰宅すると、まず私にくっついてくる。それで私は、今日も頑張ってきたんだなとわかる。
娘には頑張らなくていい場所が必要だと思ったのは、去年、幼稚園での過剰適応を疑った時だった。問題なく通えていると思っていた幼稚園に、もしかして、娘が無理をして適応しているのではないかと疑った。
その頃、私は何もかもに疑心暗鬼になっていた。娘が発達障害だと言われたけれど、誰もどうしたらいいかなんて教えてくれない。
発達障害をスマホや図書館で一人で調べると、次から次に新たな言葉が出てきて、その全てを娘に当てはめた。
けれども発達障害の特性は、娘に当てはまるものもあるけれど、当てはまらないものも多かった。
診断名のところに書いてあった、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、発達性協調運動症…
それだけでは説明できない娘の特性。違和感。他にも何かあるのではと、手当たり次第に探した。
その時に引っかかった言葉が、過剰適応だった。
困らず楽しく通えている幼稚園。それが過剰適応だとしたら、私にはもう本当の娘の姿がわからない…
娘が楽しく通えている場所がもう一カ所あった。病院での感覚統合訓練だ。作業療法士の先生の前での娘は、表情も動きも違う。全力で楽しい、という言葉がそのまま形になったような姿をしている。同じ病院内で行われる、小児科の先生の診察の時と明らかに違う。
自発的に動ける場所で、慣れた大人の前では全力で素を出せる。それに気が付いたのは、その病院で、やっと主治医の診察の順番が回ってきた時だった。
地方の為、発達障害の専門医が少ないらしく、娘の診察は半年後だと言われた。それでも、年長児だからと融通を利かせてもらえた結果らしい。4月から感覚統合訓練に通い、主治医の診察は10月だった。
初めての先生、いつもと違う診察室。娘はパニックだった。けれど、娘は途中で感覚統合訓練の時間となり、作業療法士の先生が迎えに来た。
その時、娘の顔が明らかに変わった。
「リハビリは続けましょうね」
それに気付いて、主治医の先生がそう言われた。半年で、作業療法士の先生の隣が娘の安心できる場所になっていた。
だったら、幼稚園もそうだ。心配しすぎていた。そこで私は、過剰適応だとかの言葉より、娘の表情を見ればいいのだと気が付いた。
遡って年長の7月、娘は児童発達支援に通い始めた。明らかに遅いスタート。もっと娘の発達障害に早く気が付いていればと後悔した。
発達障害当事者、関係者の方々ならお分かりだと思う。どこも空きがない。そんな中で、2カ所ほど見学させてもらえ、その内1カ所と契約した。
その施設は走り回れるようなスペースはなく、娘に合っているとは思えなかった。迷っていると相談員の方が言われた。
「走り回るスペースがあるから走り回る。ないならないで、走らずにすむかもしれないですね」
目から鱗だった。私は娘の居場所に動き回るスペースが必要だと思っていた。それは、私が娘を走れるスペースのある場所にばかり連れて行っていたからかもしれない。
もう1カ所の児発は、この児発よりかなり自宅から遠かった。なので、こちらの児発に通うことに決めた。
慣れないうちは、娘は児発に行きたがらなかった。酷い行き渋りにもなった。
けれど、こちらもお友達もでき、先生にも慣れ、冬にはスムーズに行けるようになった。こちらの児発も、子供の自主性を大切にされている。
児発探しで苦い思いをした私は、小学生になってから通う放課後等デイサービスでは出遅れたくないと思い、夏頃から手当たり次第に見学をした。
10カ所見学し、8カ所申し込み、通っている児発の放デイもお願いした。
年明け、1月から順次お返事をいただいたが、通えますと言っていただけたのは4カ所だった。これはタイミングと運などがあるので一概には言えないが、早めに動いておいてよかったと思った。
放デイ選びで重視したのは、発散と、自主性。自由な時間がある事。最初にお声がけいただいた放デイにはグラウンドがあり、スケジュールは宿題の後は自由時間だった。この中では絶対にここだと、私は決めた。
通っていた児発の放デイにも、行けることが決まった。こちらは子供が少なく、一人一人を本当によく見てもらえる。
さまざまな特性を併せ持つ娘にとって、娘の全てを理解してくれるような、そんな場所が今よりも未来に必要なのだと私は感じている。
4月、この児発から放デイに変わった初日。他の子供たちは娘より年齢が上だった。初めて来た一番小さな子である娘に、周りの子供たちは親切丁寧にお世話をしてくれたらしい。けれど、娘は小さい子扱いをされることを嫌がった。
娘はホワイトボードの裏に隠れたそうだ。その後、娘は別室で、先生とマンツーマンで過ごすようになったらしい。先週は初めてやったドンジャラをいたく気に入り、迎えに行った際、うちにも買ってと言われた。
落ち着いた環境で、気の済むまで好きな事ができる。
今後、年上の子たちと少しずつ交流をしてみるのか、ずっとこのままなのかはわからないけれど、この放デイは娘のタイミングで進めてくれるだろうと思える。
春から新しく行き始めた放デイは、反対にとても賑やかな場所だ。定員10名、やんちゃ盛りの子供たちが好きな様に遊んでいる。
聴覚過敏のある娘には負担かもしれないと思った。けれど、自分が楽しく遊べる場所なら、どんなにうるさくても娘は平気だ。
キッズランドなどの室内遊び場などでは、どんなに周りがうるさくても、いつも気にせず遊べていた。
こちらの放デイの初日。大丈夫だろうとは思ったけれど、少し心配もしていた。
朝、少し不安そうだった娘は、帰りにはもう笑顔だった。お友達と廊下を走って一緒に怒られたのだと自分から話してくれた。
最初は先生と古生代図鑑を見ていたそうだ。少しだけ、その場に慣れるのに時間がかかった。けれど男の子がベイブレードをしているのが気になって、自分から声を掛けたらしい。そして、仲良くなったその子と一緒に廊下を走った。
不安症で初めての場所が苦手な娘が、まさか1日目で廊下を走って怒られるまでになるなんて…
嬉しい驚きだった。やっぱりここは娘に合う場所だったんだと思えた。ここを選んでよかった。
けれど同じ場所で、近くの高校生がお手伝いに来てくれた時には、ここでもやっぱり違う部屋にこもったらしい。
やりたいことをやらせてくれる。自主性を重んじてくれる。それが今の娘が楽しく過ごせる場所の条件だ。
去年まで必須だった慣れた大人の前…、ではなくても良くなったのは成長だろうか。
それと、これまでの作業療法士の先生や、児発の先生たちとの関係があるから、娘は新しい場所に踏み出す事が出来るようになったのだと思う。もちろん、新しい放デイの先生たちのお力もあるけれど。
けれど、正直に言うと、私はまだ手放しで喜べてはいない。ゴールデンウィーク明けに崩れるかもしれない。もしかしたら、二学期かもしれない。いつかはわからないけれど、また崩れる日が来るのを知っているからだ。
娘を育てていると、これは大丈夫かもと思う度に、また全てがひっくり返される出来事が必ず起こるのだ。もう、慎重になってしまう癖がついている。
それでも、娘が安心できる場所が、少しずつ増えてきている事は確かだ。
好き勝手することができないバレエ教室やピアノ教室でも、娘は慣れた先生の前で、少しずつ様子を見ながら素を出し、どこまで許されるかを探っている。
レッスンを見られないので娘がどんな顔をしているのかは分からないが、きっと、笑顔の時間も増えているのではないかと思う。
成長しているのは、娘だけではない。私も、娘の表情を見て判断することを、少しずつ覚えてきた。言葉や診断名より先に、顔を見る。それが今の私にできる事だ。
時間をかけ、自分で安全を確かめて、自分の居場所を作っている。きっと娘は、小学校でもそうしている。そして私は、そんな娘を信じて待つ練習をしている途中なのだ。
疲れて帰ってきた娘がくっついてきたら、くっつけておく。まるでルンバみたいだ。そうか、私は充電ステーションだったのか…




