2Eギフテッド 「紐、切って」と言ったのに、一つだけ知恵の輪を解いた日
「紐、切って」
科学館の、部屋いっぱいに体験型のパズルが並ぶ空間で。
紐が絡まった知恵の輪を少し触って動かし、すぐに手を止めた娘は、迷いなくそう言った。
できないから投げたのか。
そう思いかけて、少し引っかかった。
娘は、あやとりは普通にやれる。それなのに知恵の輪では、紐を切ってと言った。
苦手だからではない。それならば、何が違ったのか…
すぐ隣の列にあった木製パズルでは、全く違う姿を見せていた。
テトリスのような、いろいろな形のピース。それを組み合わせて、一つの立方体にするパズル。
娘は、手を止めなかった。
ピースを置いて、違えば外して、また組み直す。向きを変えて、隙間を見て、また試す。
うまくいかなくても、やめない。難しそうなので私が手伝おうとすると、それに怒るでもなく、自分でやると冷静に言って続けた。
そして一人で、完璧に立方体を作った。
同じ科学館の中の、同じように並んでいたパズルなのに、娘の反応はまるで違った。
どうしてこっちはやり続けて、どうしてあっちは「紐切って」になるのか。
その答えが見えたのは、夫がその知恵の輪を解いた時だった。
一人っ子の娘にとって夫は、ただの父親ではない。絶対に負けたくない相手なのだ。ポケモンカード、将棋、マリオカート、いつだって真剣に対戦している。
そのライバルが、先に紐の知恵の輪を解いた。
娘の空気が変わった。
もう一度その知恵の輪を手に取ると、何度もやり直し、さっきとは比べものにならないほど粘った。
手が、今度は止まらない。
「自分でやる。私がやる!」
そして、解いた。
けれど、たくさん並んだ他の知恵の輪には、全く興味を示さなかった。少し触って、ガチャガチャして、終わり。
さっきの集中力は、一体どこに行ったのだろう…
考えてみると娘には、とにかく最短でやりたがる癖がある。
手順書通りに一つずつ進めるより、途中を飛ばして早くゴールに行こうとする。
展示室に入る前にやった工作教室でも、先生のお手本が持てず、最後まで一気に作ろうとした。
それで上手くいくこともあるし、上手くいかないことも、もちろんある。
だからあの時、紐切ってと言ったのも、できなくて投げたわけではなかった。紐を切れば早い。ただ、それだけのことだった。
娘は最近、こんなことを言っていた。
「2ずつ足したら、2、4、6、8、10でしょ。掛け算の二の段は、それを覚えてから言えば早いよ」
手順を一つずつ覚えるより、まとめて速く進む方法を選んでいる。
さらに、
「2+2と2×2って、なんで同じ答えになるの?」
と聞いてきた。
やり方を覚えたいのではなく、同じになる理由を知りたがっている。
この「紐切って」も、その延長上にあったのかもしれない。
娘はきっとこれからも、正しい手順で進むより、自分が最短だと思う方法でたどり着くことを選ぶ。
だからこそ、ルールの中では止まり、意味を見つけた瞬間に一気に進む。
もしかしたら学校では、このやり方のままでは進めないかもしれない。
けれど、放デイや感覚統合訓練ではそれが許される。娘のやりたいようにさせてくれる。
自分のやり方を間違いにしないでくれる場所が、娘にはある。
「紐、切って」は、娘の限界ではなく、娘の思考の方向だった。娘の言葉の奥にあるものを、なるべく見落とさないようにしたい。




