「脚本の外」
深夜二時。
玲司は机に向かったまま、動いていなかった。
COSMAの選抜書類が広げてある。
だが視線はその上にある志織の付箋に止まっていた。
「絶対受かる。二人で」
半年前に貼った字だ。
玲司はゆっくり息を吐いて、書類を閉じた。
——俺は今、何を迷っている。
窓の外、トーア・シティの夜景が光っている。星は見えない。いつ見ても見えない。それでも玲司は空を見上げた。
背後でドアが開いた。
「……起きてたのか」
「眠れなくて」
志織がコップを二つ持って入ってきた。一つを机に置く。
玲司は受け取らずに、また窓の外を見た。
「あいつら、明日も来ると思うか」
「来ると思うよ」
迷いなく志織が言った。
「……なんでそう思う」
「だって昨日も来たじゃん」
玲司は黙っていた。
「玲司」
志織が兄の背中に向かって言った。
「私、明日もう一度話しかけてもいい?」
少しの間があった。
「……勝手にしろ」
拒絶ではなかった。
志織が小さく笑った。玲司には見えなかったが、気配でわかった。
「うん。おやすみ」
ドアが閉まる。
玲司はコップを手に取って、一口だけ飲んだ。
窓の外の空は、まだ暗かった。
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同じ頃。
トーア・シティの路地の奥、ソウマたちは壁に背を預けていた。
「もう三日目やで」
カイルが腕を組んで空を仰いだ。
「早いなぁ」
「うーん早いなぁ」
ソウマが同意する。
「楽園は今日より大きな手ぇ打ってくるで。昨日みたいな茶番やなく——玲司の目の前で、俺らをほんまもんの悪に見せにきよる」
「来るだろうなぁ」
「来たとき、玲司はどっち信じると思う?」
「そりゃ俺たちだろ?」
即答だった。
カイルが眉を上げる。
「ちなみに…根拠は?」
「昨日、帰り際に謝ってくれたぜ?」
「それだけかい!」
「っへ、十分だろ?」
カイルがしばらくソウマを見て、それから小さく噴き出した。
「ほんっまおめでたいやっちゃなぁ!」
「そうか?」
「そうやで」
『そやそや!』
カイルとウェンティが声を揃えた。
リナリィがくすっと笑った。
「私、今日は志織さんのところに行きます」
「え、一人で?」
「昨日より距離が縮まってるのわかったので。ここはいけると思います」
「頼もしいな」
「任せてください」
ハンナがリナリィの隣でこくりと頷く。
「私もリナリィさんと一緒に行きます」
「二人で行くんかい」
「……心強いですよね」
「まあそうやけど」
「よし」
ソウマが立ち上がった。
「じゃあ俺は玲司を待つ。作戦会議終わり」
「早っ」
「行動あるのみだろ」
カイルがもう一度噴き出す。
「ほんまこいつは——」
夜のトーア・シティに、笑い声が溶けていった。
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廃ビルの最上階。
ナウラが窓枠に肘をついて、夜景を眺めていた。
バキアが肩の上で目を細める。
「ホロロロ…楽しそうですね。」
「ああ」
ナウラが静かに笑った。
「あの男——昨日、帰り際に何と言った」
「怪我させて悪かったな、だったかなぁ」
ワッコーが欠伸をしながら答えた。
「ホロロロ……実に、興味深い」
バキアの目がゆっくりと開く。
「脚本通りには動かない男か」
ナウラが夜景から視線を切った。
「——では、明日は少し丁寧に舞台を整えよう」
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朝のトーア・シティは人が多い。
磁気シャトルが次々と滑り込んでくる時間帯だった。
リナリィとハンナはマンションの向かいのカフェで、ガラス越しにエントランスを見ていた。
「……来るかな」
「来ると思います」
ハンナが静かに言った。
「志織さんは昨日、自分から動いた人ですから」
「そうだよね」
リナリィがカップを両手で包む。
九時を少し過ぎたころ——カフェのドアが開いた。
「やっぱりここにいた!」
志織が迷いなく入ってきた。リナリィたちの席に一直線に歩いてくる。
「ちょっと聞いていい?」
椅子を引いて、許可を取る前に座った。
リナリィが目を丸くする。
「え、あ、どうぞ……」
「玲司のこと、本当に守れるの?」
「……守ります。」
「なんで?」
「玲司さんに——絶望してほしくないから」
志織が少し首を傾げた。
「絶望…って?」
「敵は…フェデーレ玲司さんの卵、魂を狙ってるんです。強引に来られたら、魂に取り返しのつかない傷が残るかもしれない。それだけは——させたくない」
志織がじっとリナリィを見た。
三秒ほど沈黙した。
「……嘘じゃないね」
「嘘じゃないです」
うん、わかった」
志織があっさり言った。
「私が玲司を説得してみる」
「え」
「「玲司はああ見えて、わかったら動くから。ただ時間かかるだけで」
ハンナが少し目を見開く。
「……志織さんは、怖くないんですか。こんな話に巻き込まれて」
「怖いよ」
志織がぱっと答えた。
「でもソウマさん、昨日怪我してたじゃないですか」
「…はい」
「それでも今日も来た。あの人の目、怖がってなかったから」
志織が窓の外を一度見た。
「嘘をついてる目でも、諦めてる目でもなかった。だから私は信じることにしました」
リナリィが何か言いかけて、止まった。
ハンナが静かに微笑んだ。
「そういえば——」
志織がハンナを見た。
「あなたの名前、まだ聞いてなかったね」
ハンナが少し驚いた顔をした。
「……ハンナ、です」
「ハンナさん。よろしく」
志織がにこっと笑った。
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昼過ぎのトーア・シティは人が多い。
昼休みの学生、買い物客、磁気シャトルから吐き出されるサラリーマン。
路面の光ラインが人波に埋もれて見えなくなる時間帯だ。
廃ビルの屋上で、ナウラが空を見上げていた。
「ワッコー」
「ん?」
「今日の舞台は——広く使う」
ワッコーの目が少し動いた。
「広く?」
「一点に集中させす、街全体に散らす。そうすることで——」
ナウラが手すりから離れて、街を見下ろした。
「ヒロイックたちは分断される」
ワッコーがキーホルダーの束をじゃらりと取り出した。
小型の怪人型が十数個、鎖でまとめてある。
「全部出していいの?」
「好きなだけ構わんよ」
ワッコーの目がぱっと輝いた。
「やったぁ!」
「坊っちゃん。」
アーケが呆れたように翼を広げる。
「はしゃがないですことよ。これは舞台ですことよ」
「わかってるよ」
ワッコーがキーホルダーを一つ摘まんで、街へ向けて放り投げた。
次。また次。
十数個が夕空に弧を描いて、トーア・シティの各所へ散っていく。
「ホロロロ……」
バキアの目が大きく開いた。
街のあちこちを同時に捉える。
着弾点ごとに、小型の怪人が膨れ上がった。
路地に一体。公園に二体。駅前の広場に三体。
それぞれが別の方向に走り出す。
悲鳴が上がり始めたのは、ほぼ同時だった。
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『ソウマさん!北側二体です!』
ハンナの通信が飛び込んできた。
『南も出た!三体、駅前に向かってるわ!』
リナリィが続く。
「っ、散らしてきやがったか——」
『ソウマ、東の公園にも気配だナ!』
ニッカの声。ソウマは瞬時に地図を頭に展開した。
北、南、東——少なくとも三方向。同時多発だ。
「カイル、北頼む!リナリィとハンナは南!俺は東だ!」
「一人でいくんか!?」
「小型だろ、余裕余裕」
「……わかった、気ぃつけや!」
四人が一斉に走り出した。
廃ビルの屋上で、ナウラが口角を上げた。
「分断できたな」
「ホロロロ……」
「さて」
ナウラがバキアの視界を通して、街を見渡した。
東の公園——ソウマが単独で向かっている。
北——カイル。
南——リナリィとハンナ。
そして。
大通りを歩いている二人組。
玲司と志織だった。
「ヒロイックが手薄になった場所に——」
ナウラが静かに手を上げた。
「丁度いい怪人が、現れる」
ワッコーが最後の一個を手の中で転がした。
一番大きなキーホルダーだった。
「こいつはお気に入りだよっと」
それを放り投げた。
大通りは夕方の人波が戻り始めていた。
玲司は志織と並んで歩いていた。
志織が今日リナリィたちと話したことを、ぽつぽつと話している。
「ハンナさんって静かな子なんだけどね、目がすごく真剣で」
「……そうか」
「玲司、また上の空」
「聞いてるよ」
「どうせCOSMAのこと考えてる」
玲司は答えなかった。
——違う。
今考えているのはCOSMAじゃない。
今朝、ソウマが怪人の前に滑り込んできた瞬間のことだ。
考えるより先に動いていた。アイツの動きは——
「玲司…」
志織が急に立ち止まった。
前方の人波が、音もなく左右に割れていく。
路地の入口から這い出てきたのは、小型の怪人だった。一体じゃない。路地の奥から次々と溢れ出てくる。
五体。六体。七体——
「っ」
玲司が志織を背後に庇って後退した。
左。塞がれている。
右。路地がある——が、奥が見えない。
前方の怪人が一歩踏み出した。
「逃げるぞ」
「どっちに!?」
玲司が右の路地を選んだ瞬間——奥から二体が走ってきた。
完全に囲まれた。
志織が玲司の背中を掴む。
玲司は両手を広げて、志織を壁に押しつけるように庇った。
怪人たちがじりじりと距離を縮めてくる。
——何もできない。
武器もない。逃げ道もない。
玲司の奥歯がギリ…と鳴った。
それでも、一歩も動かなかった。
「玲司、怖い…」
「っ大丈夫だ!」
何の保証もない、だけど…
怪人の一体が跳躍した——――
「やらせるかっての!!」
真横から黒い装甲が飛び込んできた。
怪人を腕ごと掴んで、地面に叩きつける。
ソウマだった。
幻装のフォトンラインが路地の薄暗さの中で青紫に光る。
「すまねぇ遅くなった!」
振り返りもせずに叫んだ。
残りの怪人が一斉に向かってくる。
「偵察用の雑魚なんざ何体いても蹴散らしてやるぜ!」
ソウマが前に出た。
二体を同時に受け止めて、路地の壁に叩きつける。三体目を蹴り飛ばす。四体目が背後から——
「ソウマ君!」
リナリィの水の刃が背後の怪人を両断した。
「東は片付いたので手伝いに来ました!」
「おっと、早いな!」
ハンナの影縛鎖が残りを縫い止める。
調律粒子が路地に霧散した。
ソウマが幻装を解いた。
玲司がソウマを見ていた。
壁を背に志織を庇ったまま動いていなかった。
一歩も退かなかった。武器も力もないのに——退かなかった。
二人の目が合った。
ソウマが口を開きかけた。
玲司が先に言った。
「……お前らが来なかったら、どうなってたかはわかる」
「っと…」
「……それだけだ」
ソウマが少し笑った。
「十分だよ」
怪人が霧散した路地に、夕方の光が差し込んでいた。
カイルが北側から戻ってきた。
「全部片付けたで——って、もう終わっとるやん」
「おそっ」
「うるさいわ、北は五体おったんや」
リナリィが小さく笑った。
志織がハンナの隣でほっと息を吐いている。
玲司は路地の入口に立ったまま、ソウマたちを見ていた。
笑っている。普通に、笑っている。
怪我をして、囲まれて、それでも——こいつらは笑っている。
「……一つ聞いていいか」
玲司が口を開いた。
全員が玲司を見た。
「お前たちが言う、多元世界ってのは——本当に無数にあるのか」
ソウマが答えた。
「そうだなぁ、数えきれないくらいには」
「宇宙も」
「宇宙もってか、宇宙がいっぱいある…かな?」
玲司がしばらく黙っていた。
空を見上げた。
トーア・シティの夕空は、オレンジと灰色が混じっている…星はまだ見えない。
「……話を、聞かせてくれ」
誰も声を上げなかった。
リナリィが口を手で押さえた。
ハンナが目を細める。
カイルが腕を組んで、ふいっと空を仰いだ。
「……そらよかったわ」
カイルがぼそっと言った。
「ほんなら場所変えよか。立ち話もなんやしな」
「すげぇ静西弁だな…俺達の家来るか?」
玲司が言った。
全員が少し驚いた顔をした。
「言っとくが、狭いぞ」
「大丈夫ですよ」
志織がぱっと笑った。
「私、お茶淹れます」
「急に張り切るなよ」
「いいじゃん」
玲司が小さく息を吐いた。
歩き出す。
ソウマが隣に並んだ。
玲司は何も言わなかった。
ただ、追い払いはしなかった。
夕暮れのトーア・シティを、六人で歩いた。
========>
廃ビルの屋上で、ナウラは夕空を見ていた。
バキアの目が、六人の背中を映している。
「……脚本の外へ出たな」
ワッコーがキーホルダーを一つ、手の中で転がした。
「あっれー?失敗じゃん!」
「坊ちゃん。」
「ホロロロ……」
「失敗ではない」
ナウラが口角を上げた。
「信頼させてからの方が——絶望は味わい深くなる」
バキアの目が、ゆっくりと閉じた。
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