「証明と第二幕」
夜が明けた。
トーア・シティの朝は白い。
高層ビルの隙間から差し込む光が、路面の光ラインをかき消していく。
磁気シャトルの一番列車が走り始める音がした。
ソウマたちはマンションから一本入った路地の壁に、それぞれ背を預けていた。
誰も何も言っていない。
リナリィが腕を組んだまま石畳を見つめている。ハンナはヘアピン型の魂玉を静かに指で撫でていた。カイルだけが腕を組んで空を仰いでいる。
「よし!やり方を変えよう」
ソウマが言った。
「昨日みたいに大勢で囲むのはダメだな、玲司に俺たちを見せるんじゃなくて——俺たちの行動を見てもらおう」
「……どういうことですか?」
「追いかけない。話しかけない。あいつが動く場所で見守って、何かあったら助けに入る。」
「信用ゼロのとこから始めなあかんのに、それで間に合うんか」
カイルが空から視線を戻した。
「間に合わなくても…あの分厚い心の壁にひびは入れられる…かも」
「……強引やなあ、お前」
「そうか?」
「そやで」
リナリィが小さく息を吐いた。
「やってみましょう」
その言葉にハンナが目を合わせて頷いた。
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――同じ頃。
トーア・シティ北区画。廃ビルの最上階。
ナウラ・ダグバは錆びた手すりに寄りかかって、街を見下ろしていた。
「ドッカーンって暴れていいのー?」
隣でワッコーが言った。
小さな怪獣型のキーホルダーをくるくる回しながら、眠そうな目でこちらを見ている。
「坊っちゃん」
ワッコーの肩の上で、アーケが翼を小さく畳んだ。
「そうやってなんでもかんでも暴れた結果が、あのヒロイックなのですことよ?」
ワッコーが口をへの字に曲げる。
「……あれはちょっと予想外だっただけだもん」
肩の上でバキアが低く鳴いた。
「ホロロロ……」
ナウラが静かに続ける。
「卵によってトリガーは様々だ。我々は極上の絶望を用意してやらねばならん」
バキアの眼がレンズのようにキリキリと回り、街の中の一点——華渡玲司の姿を映した。
「それに——吾輩はまだ、この『劇』の続きが見たい」
ワッコーがキーホルダーを握り直した。
「……つまんなーい」
「ホロロロ……」
バキアの眼が、ゆっくりと閉じた。
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マンションの五階。
玲司は流しに皿を置いたまま、窓の外を見ていた。
——警察に囲まれていた、あいつら。
でも、逃げようとしていなかった。
両手を上げてその場に立っていた。
それがどうにも引っかかっていた。
「玲司、今日講義何限からだっけ」
キッチンから志織の声が響いてくる。
「三限から」
「じゃあ午前中フリーじゃん、いいなあ」
玲司は答えなかった。
COSMAの選抜試験まで、あと半年。
そのはずだった——昨日の朝まで、そのはずだった。
窓の外の空は、今日も白かった。
午前中のトーア・シティは人が少ない。
路面の光ラインだけが規則正しく点滅している。
ソウマは玲司のマンションから三十メートルほど離れた場所に、ただ立っていた。
追いかけない。声もかけない。
『……玲司、出てきたよ』
メリルがネックレス型の魂玉の中から小さく言った。
「よし」
マンションのエントランスから、白いジャケットの長身が出てきた。一人だった。
玲司が歩き始める。ソウマも歩き始める。
距離は三十メートル。縮めない。
玲司は振り返らなかった。
五分ほど歩き、大通りに出たところで玲司が立ち止まった。
前方の路地の入口、人が散っている。
ぬらりとした輪郭が、朝の光の中でも滲んでいる。
そこにいたのは怪人だった。
小型が三体路地を塞いでいた。
玲司が状況を把握して後退しようとした——その瞬間、一体が跳んだ。
「させるかよっ」
ソウマの体が動いたのは、考えるより先だった。
三十メートルを詰めて、玲司の前に滑り込む。
怪人の腕が左肩を掠めた。布が裂けて、傷口から淡い光の粒子が滲み出た。
「幻装ッ!!」
漆黒の装甲が瞬く間に展開した。
腕を掴んで地面に叩きつける。
リナリィの水の刃が二体目を両断、三体目をハンナの影縛鎖が縫い止めてカイルの槍が貫いた。
調律粒子が朝の空気に霧散する。
ソウマは幻装を解いて振り返る。
玲司が立っていた。後退も逃げもせず——ただ、ソウマを見ていた。
昨日と違う目だった。何かを、測っている目だった。
ソウマは何も言わなかった。
左肩の裂けた布をちらっと見て、また玲司に視線を戻す。
「別に説明とかしないぜ」
玲司が眉をわずかに動かした。
ソウマはそのまま踵を返した。
『ソウマ、REが漏れてるよ』
「いいよ後で。——でも」
角を曲がる前に、一度だけ振り返った。
玲司がまだこちらを見ていた。
「悪くない朝だ」
それだけ言って、ソウマは路地に消えた。
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―――昼過ぎ
ソウマたちはマンション周辺の警戒を続けながら、それぞれ距離を保って動いていた。
ハンナが影で索敵、リナリィが北側、カイルが南側。
午後の人波がトーア・シティの大通りを埋め始めていた。
『ソウマ!バキアの気配』
メリルの声が硬くなった。
「っ!どこだ――」
『上!ビルの上の方!』
「全員、来るぞ」
通信に緊張が走った。
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廃ビルの屋上で、ナウラが静かに立ち上がった。
「さて」
上着の襟を正して、街を見下ろす。
「第二幕を始めよう」
ワッコーがキーホルダーをくるくる回す手を止めた。
「今度は何するのー」
「ホロロロ……」
バキアが低く鳴いた。
ナウラが片手を上げる。
「吾輩の『脚本』では——英雄は、悪に見えなければならない場面がある」
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玲司は大学からの帰路についていた。
志織と待ち合わせて、いつもの道を歩いている。
志織が横で何か話している。玲司は相槌を打ちながら、頭の片隅で今朝のことを反芻していた。
——何も言わなかった。
庇って、傷を負って。説明も言い訳もなく。
「玲司、聞いてる?」
「……聞いてる」
「全然聞いてないじゃん」
志織が苦笑する。
そのとき——前方の交差点で、人が散った。
悲鳴が上がる。
体長三メートルを超える人型の怪人が二体。昨日の今朝の奴らとは格が違う。
動き、質量、重圧——全てが明らかに上だった。
「……っ」
玲司が志織を引いて後退しようとした——背後の路地から、さらに一体。
三方を塞がれた。
「ソウマさん、中型三体——玲司さんたちが囲まれてます!」
「見えてる!行くぜ!」
ソウマが走り出した。
ワッコーがキーホルダーを手の中で転がしていた。
三体の怪人がじわじわと配置を変えていく。
「なんだ?交戦する気がないのか?」
ソウマ達が怪人を追い払おうとする動きが——玲司の視界では、自分たちを包囲しているように映る位置へ。
台詞もない。認識操作もない。
ただ、舞台だけが整えられていった。
「——なんで」
玲司の目がソウマを捉えた。
今朝庇ってくれた、そいつが——包囲網の中心に立っていた。
玲司の目が、ソウマを見ていた。
——やっぱりそういうことか。と、そういう目だった。
「くそっ!こう来たか!」
ソウマはコマンダーの策略だと
「リナリィ、右!ハンナ、志織さんから目を離すな!」
「わかりました!」
「ソウマ君、左っ!」
リナリィの声と同時に、左の怪人が跳んだ。
狙いは玲司だった。
「!? させるかよっ! 幻装ッ!!」
ソウマは走りこみながら幻装を幻顕し、怪人の軌道に割り込んだ。
脇腹に衝撃。吹き飛ぶ寸前、地面を踏みしめて堪える。装甲から幻顕力が淡い光の粒子になって滲み出た。
怪人の腕を掴んで引き倒す。
「おっしゃ、もろたぁ!」
カイルが一体を槍で貫く。ハンナの影縛鎖が最後の一体の四肢を縫い止め——リナリィの水の刃が仕留めた。
調律粒子が午後の陽光に混じるように霧散する。
ソウマは幻装を解き、脇腹を一度だけ押さえ、傷口を修復する。
顔を上げると——玲司がいた。
三メートルの距離。
動いていなかった。志織がハンナの後ろで息を呑んでいる。
玲司だけが、その場に立ったまま、ソウマを見ていた。
今朝と同じ目だった。
何かを、測っている目。
でも——今朝より、深かった。
「……怪我ないか、お嬢さん」
カイルが志織に向かってごく普通の声で言った。
「……はい」
「そらよかった。行こか」
カイルがさっさと踵を返し、リナリィとハンナが続く。
ソウマも続いて歩き出した。
「……なんで庇うんだ?」
玲司の声だった。
ソウマが止まる。が、振り返らない。
「俺はお前らを信用してない」
「タハー、ストレートだねぇ…まぁ、それはわかってるよ」
「……それでも庇うのかよ」
「そりゃそうさ」
間を置かなかった。
「信用してもらいたくて守ってるわけじゃない、俺は、ヒーローとしてここに立ってるんだ。」
そのまま歩き出す。
『……ソウマ、RE大丈夫?』
「おう、平気平気」
さっきの玲司の目が、頭に残っていた。
あの目は——怒りじゃなかった。
「よし…もうちょっとだ」
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夕暮れが、トーア・シティを橙色に染めていた。
磁気シャトルの本数が増え、帰宅する人波が路面の光ラインを埋めていく。
調律粒子がゆっくりと夕空に溶けていく。
ソウマは歩きながら、脇腹を一度だけ押さえた。
止まっている。問題ない。
リナリィが振り返って志織に歩み寄った。
「志織さん、怪我ないですか」
「……はい。ありがとうございました」
志織が深く頭を下げる。
「玲司が、ごめんなさい」
「ええ!?謝らなくていいですよ」
リナリィがまっすぐ志織を見た。
「玲司さんが信じてくれなくても、私たちは守ります。それは変わらないので」
「……勝手なことを言うな」
玲司が低く言った。
誰も言い返さなかった。
ソウマだけが、玲司を見た。
怒っている。でも——さっきと目の色が違う。
「帰るぞ」
玲司が志織の腕を取って歩き出した。
ソウマも歩き出す。同じ方向に。
玲司が前を向いたまま言った。
「ついてくるな」
「別についてってるわけじゃないぜ」
「……じゃあなんだ」
「そうだなぁ、同じ方向に歩いてるだけ?」
玲司が舌打ちした。
志織がそっと兄の袖を引く。
「……いいじゃん、玲司」
「よくない」
「でも怪我してたじゃん、その人」
玲司が一瞬、ソウマの脇腹を見た。
傷口らしきものはもう見当たらないがあの時確かに光の粒子が漏れていた。
玲司は何も言わなかった。
ただ、歩くのをやめなかった。
追い払いもしなかった。
全員黙ったまま、夕暮れの大通りを歩いた。
そしてマンションの前で玲司が立ち止まり、振り返らずに言う。
「……ここまでだ」
「そうだな」
「明日もくるのか」
「まぁ、たぶんな」
短い沈黙。
玲司がエントランスに入りかけて——止まった。
「……怪我させて悪かったな」
それだけ言って、中に消えた。
志織がちらっとソウマを見て、小さく頭を下げた。
扉が閉まる。
『ソウマ』
メリルが小さく言った。
『ちょっとだけ、開いたね』
「ああ」
ソウマはふぅっと息を吐いた。
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廃ビルの屋上で、ナウラは夕空を見上げていた。
バキアが肩の上で羽を小さく畳む。
「……脚本通りではなかったな」
ワッコーがキーホルダーを放り上げてキャッチした。
「じゃあ失敗?」
ナウラが低く笑った。
「ホロロロ……」
「失敗ではない」
ナウラが夕空から視線を街へ落とした。
「——むしろ、面白くなってきた」
「ねえ次は暴れていい?」
「坊っちゃん」
アーケが翼を広げる。
「次こそ脚本通りに進めますことよ。焦らないこと…ですことよ」
ワッコーがまた口をへの字に曲げた。
「あ~つまんないつまんない」
「ホロロロ……」
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夜。
玲司は部屋の机に向かっていた。
COSMAの選抜書類が広げてある。
半年前から何度も見返してきた書類だ。
でも今夜は——文字が頭に入ってこなかった。
書類の端に視線が止まる。
志織の字で書いた付箋が貼ってある。
「絶対受かる。二人で」
玲司はしばらくそれを見ていた。
ため息をついて、書類を閉じた。
窓の外、トーア・シティの夜景が光っている。
——まだ、決めていない。
あいつらを信じて受け入れるのか…
でも、あの目は——嘘じゃなかった。




