「信用と不信」
朝が来た。
トーア・シティの夜明けは早い。
磁気シャトルが動き始め、路面の光ラインが昼間モードに切り替わる。
街が目を覚ます音がする。
ハンナはその音を、路地の影の中で聞いていた。
ニッカが耳をそばだてたまま、動かない。
『……ハンナ。昨日より多いナ』
小さな声だった、ハンナが目を細める。
『影の中に気配だナ。昨夜は一つ、今朝はもう四つだナ』
ハンナは即座に通信を開いた。
「ソウマさん。楽園の偵察、昨夜より増えてます。少なくとも四体」
『……本格的に動き始めたか』
ソウマの声が短く返ってくる。
『カイルさんは?』
「こっちも感じてるで」
カイルの声が割り込んだ。
「北側の路地にも二体おる。合計六体以上や」
沈黙が一瞬あった。
「今日中に信用を取らな、手遅れになる」
カイルが静かに言った。珍しく、冗談のない声だった。
全員がカフェに集まった。テーブルの上に、ニッカが索敵で拾った情報が並ぶ。
「楽園はもう今日か明日には動くはずだ」
ソウマが地図を見ながら言った。
「あの二人を強引に連れて行こうとするはずだ」
「そうなる前に信用を取る、か」
リナリィが呟く。
「でも昨日あんなに拒絶されて……」
「昨日とはアプローチを変えてみよう」
ソウマが立ち上がった。
「俺が行く。一人で」
「一人で?」
ハンナが眉を寄せる。
「大勢で囲んだのが悪かった。昨日のアイツの目ーーただ、信用できる理由がなかっただけだ」
カイルが腕を組んだ。
「……ま、そうやな。集団で来られたら誰でも身構える」
「その間、カイルたちは周囲のクリエイターの偵察怪人を潰しておいてほしい。アイツに変なものを見せたくない」
「任せとき」
『頑張りや!ソウマ!』
ウェンティの激励を受けてソウマは一人カフェを出た。
大学のキャンパスに、朝の人波が流れていた。
ソウマは正門の外で待った。
ネックレス型の魂玉になっているメリルを首に下げて、ただの高校生として立っている。
九時二十分。
群青色の短髪が人混みの中に見えた。
玲司が一人で歩いてくる。
志織とは別の講義らしい。
ソウマは並んで歩き始めた。
声はかけない、ただ隣にいる。
玲司が気づいた。
足を止めかけて、止めなかった。
無視して歩き続ける。
ソウマも歩き続けた。
五十メートル。
百メートル。
玲司が低い声で言った。
「……しつこいな」
「ああ、諦めは悪い方なんだ」
「何がしたい」
「話がしたいだけだ」
「昨日も同じこと言ったが?」
「ああ」
また沈黙…キャンパスの木立の間を風が抜けていく。
ソウマはふと、口を開いた。
「アンタ、宇宙飛行士目指してるんだろ」
玲司の足が、止まった。
振り返った目に、昨日とは違う何かがあった。
警戒ではない。
——驚き、だった。
「……なんで知ってる」
「昨日の夜、空を見てた。あの目で分かった」
玲司はしばらくソウマを見ていた。
探るような目だった。
嘘かどうか、測っている目だった。
「……俺の何を見てた」
「星が見えない空でも、探してた。そういう目だった」
長い沈黙だった。
玲司が小さく息を吐く。
「……五分だけだ」
初めて、少し扉が開いた気がした。
木陰のベンチに、二人で座った。
玲司は腕を組んで、正面を向いたまま話を聞く体勢だ。
ソウマを見ていない。
それでいい、とソウマは思った。
「俺たちはV.C.Tという組織の人間だ。多元世界——平行して存在する無数の宇宙を守るために動いている」
「……」
「アンタには素質がある。俺たちが言うところの卵——俺たちと同じく、幻顕者になれる素質だ。そしてそれを狙っている敵がいる」
玲司がゆっくり息を吸った。
「多元世界」
「ああ」
「リアライザー」
「ああ」
「……正気か?お前」
「まぁ…普通そういう反応になるわな」
玲司が初めてソウマの方を見た。
馬鹿にしているわけではない、本気で確認している目だった。
「証拠は」
ソウマは少し考えて、立ち上がった。
キャンパスの端、人気のない木立の奥に場所を移す。
玲司が黙ってついてきた。
ソウマは胸元のネックレスに触れた。
「メリル、今は必要な幻装だ行けるな?」
『うん、大丈夫そう』
ネックレス型の魂玉が淡く光る。
「……幻装、ノックスファング」
ソウマの全身を調律粒子が包んだ瞬間——漆黒の装甲が展開した。
青紫のフォトンラインが走る。
変身は瞬く間だ。
玲司が立ち上がりかけて止まった。
目が、大きく開いている。
「……」
「信じてもらえたかな?」
装甲を解いてソウマが言う。
玲司はしばらく黙っていた。
「お前、今——何をした?」
「変身だな、装着とも言えるけど…」
「……変身」
「そうだな」
また長い沈黙。
玲司が頭を抱えて、ゆっくり息を吐いた。
「……わかった。話を聞く」
ソウマが説明した。
多元世界のこと、フェデーレのこと、オーウォーが狙われる理由。
玲司は途中で口を挟まなかった。
宇宙工学を学んでいる頭で、聞いた情報を整理しているのが表情から伝わってきた。
全部話し終えたとき、玲司が静かに言った。
「志織には言うな」
ソウマが眉を寄せる。
「あいつを巻き込みたくない」
「でも志織さんも——」
「志織には関係ない」
強い声だった。
有無を言わせない声だった。
ソウマは一瞬、何かを言いかけて、止めた。
——今じゃない…か、俺たちが守ればいいだけの事だ。
「……わかった」
「俺一人で対処する。お前たちのことも、まだ完全には信用してない。ただ——」
玲司が空を見上げた。
木立の隙間から、トーア・シティの白い空が見えている。
「昨日の夜、空を見てたのは本当だ」
それだけ言って、玲司は立ち上がった。
「また話す。それじゃあな」
背中が遠ざかっていく。
ソウマは見送りながら、胸の中で何かが引っかかるのを感じていた。
——志織には関係ない。
守りたい、じゃなくて、遠ざけたい。
あの言い方は——何か、違う気がした。
それ以上は上手く言葉にならなかった。
同じ頃。
リナリィは大学の近くの公園のベンチに座って、アウラの魂玉を手の中で転がしていた。
ハンナが隣で周囲の影を静かに探っている。
カイルに怪人の残党狩りを任されて、二人で待機中だった。
そこへ、声がかかった。
「あの——」
振り返ると、群青色のミディアムヘアの女性が立っていた。
志織だった。
リナリィが立ち上がりかけると、志織が先に言った。
「座ったままでいいです。私から話しかけたかったので」
その落ち着いた声に、リナリィは少し面食らった。
「……私たちのこと、覚えてたんですか」
「一度会った時に…特徴的な制服だったから覚えやすくって」
志織がベンチの端に腰を下ろした。
リナリィとの間に少し距離を置いて、でも逃げる気配はない。
「玲司に、何をしようとしてるんですか」
真っ直ぐな目だった。
怒っているわけじゃない、ただ、知りたいという目だった。
リナリィは少し考えて——正直に話すことにした。
「玲司さんには、私たちには見えている危険が迫っています。それを伝えて、守りたいんです」
「危険って」
「上手く説明できないんですが——」
リナリィが言葉を選ぶ。
「玲司さんは特別な素質を持って生まれていて、それを狙っている人たちがいる。私たちはその人たちから彼を守る組織にいます」
志織はしばらく黙っていた。
「……信じるかどうかは別として」
志織がゆっくり言った。
「あなたたちが嘘をついているようには見えない」
「本当のことしか言っていません」
「うん」
志織が小さく頷く。
「玲司はどうでした?」
「今日、仲間が話しに行っています」
「そっか」
また沈黙…公園の木の葉が風に揺れた。
「玲司はね」
志織が空を見上げながら言った。
「昔から、全部一人で抱えようとするんです。私を心配させないように、全部自分で解決しようとする」
「……」
「だから多分、あなたたちのことも、私には黙ってると思う」
リナリィは何も言えなかった。
「でも私は」
志織が視線を戻した。
「信じます、あなたたちのことを」
その目が、リナリィの目をまっすぐ見ていた。
「玲司は絶対信じないと思う——でも、私は信じる」
リナリィは胸の中で何かが動くのを感じた。
この人は、兄のことを全部わかっていて、それでも自分で判断している。
「……ありがとうございます」
気づいたら、そう言っていた。
志織が小さく笑った。
「あなた、いくつ?」
「十六です」
「三つ下か」
志織が少し目を細める。
「なのに、ずいぶん真剣な顔するんだね」
「そういう任務…仕事?なので」
「そっか」
志織が立ち上がった。
「玲司をよろしくお願いします」
深く、頭を下げた。
リナリィは立ち上がって、同じように頭を下げた。
——絶対に守る。
言葉にはしなかった、でも、そう思った。
夕方になり、トーア・シティの街に橙色の光が落ちてくる。
磁気シャトルの本数が増え、帰宅する人波が路面の光ラインを埋め始めていた。
最初の異変はハンナが感じた。
『ハンナ。影の気配が一気に増えたナ』
「……来た」
ハンナが即座に通信を開く。
「ソウマさん、カイルさん、楽園が動きます」
『わかった』『こっちも見えてるで』
二つの声が重なった。
怪人が姿を現したのは、大通りの三か所同時だった。
体長二メートルほどの人型。
ぬらりとした輪郭が夕暮れの中に滲んでいる。
ソウマが幻装した。
「幻装——ノックスファング!」
漆黒の装甲が展開する。
「竜騎士!」
カイルが隣で竜騎士の装束を纏った。
ソウマとカイルが二体を各個撃破する。
三体目の動きをハンナの影縛鎖で封じ、リナリィが新しく覚えたリアリティ『水の精霊』の技、水の刃で仕留めた。
偵察用に幻顕された怪人だ、一分もかからなかった。
だが——
「…多すぎひんか」
カイルが周囲を見渡して、眉を寄せた。
「七体いたな」
「昨日の偵察は六体。増えてる」
『ソウマ』
メリルの声が硬かった。
『これ、陽動じゃない?』
その瞬間、ハンナが叫んだ。
「北の路地——ナウラです!」
路地の奥に、ナウラ・ダグバが立っていた。
肩の上でバキアが羽を広げている。
その目が、静かに街を見渡していた。
「……遅かったな、幻顕者諸君」
ナウラが小さく笑った。
「吾輩の『脚本』は——もう、始まっている」
その声が、この街の空気に溶けていくように広がった。
玲司は帰路についていた。
大学からマンションまで、いつもの道だ。
志織と待ち合わせて、一緒に帰るはずだった。
そのとき、前方が騒がしくなった。
サイレンの音…警官が走っている。
無線から何かの声が漏れ聞こえた。
——凶悪犯グループが大通りで暴れている。
複数名、要警戒——
玲司が立ち止まった。
角を曲がると、視界に飛び込んできたのは——警官隊に取り囲まれたソウマたちの姿だった。
ソウマが両手を上げている。
カイルが動きを止めている。
リナリィとハンナが背中合わせで固まっている。
「……」
玲司の頭の中で、何かが音を立てて崩れた。
警官に囲まれている、逃げようとしている。
やっぱりこいつらは——
「玲司!」
志織の声がした。
振り返ると、志織が走ってくるところだった。
「何があったの——」
「行くぞ」
玲司は志織の手を取って、その場を離れた。
背後でソウマの声がした気がした。でも、振り返らなかった。
路地の奥で、ナウラが踵を返した。
「第一幕は——吾輩の『脚本』通りだ」
バキアが静かに羽を畳んだ。
ソウマが幻装を解いたのは、警官隊が引き上げた後だった。
ナウラの悲戯曲の効果が切れたのか、警官たちは首をかしげながら散っていった。
残ったのは、夕暮れの大通りと、四人の沈黙だった。
「……やられたな」
カイルが低く言った。
「凶悪犯グループ、か。うまいことやりよる」
「玲司が見てた」
「わかっとる」
リナリィが俯いて、拳をぎゅっと握った。
「……せっかく志織さんが信じてくれたのに」
「切り替えよう」
ソウマが言った。
声は静かだったが、有無を言わせない響きがあった。
「楽園は明日も動く。今夜中に次の手を考えよう」
カイルが一瞬ソウマを見て、小さく頷いた。
「……そうやな。落ち込んでる暇はないか」
ソウマは玲司が立っていた場所を一度だけ見た。
——守ろうとしていた…全力で。あの背中は俺と同じだ。
「明日また話す。それだけだ」
そう言って、ソウマは顔を上げた。
マンションに帰り着いた玲司は、リビングのソファに座ったまま動かなかった。
志織がお茶を持ってきて、隣に置いた。
何も言わずに、隣に座る。
しばらくして、玲司が口を開いた。
「警察に囲まれてた」
「そだね」
「やっぱり、あいつらは——」
「玲司」
志織が静かに遮った。
「私ね、今日あの子たちと話したよ」
玲司が顔を上げた。
「……志織」
「茜色の髪の子。リナリィって言うんだって」
「なんで——」
「私が話しかけたの」
志織が真っ直ぐ玲司を見た。
「嘘をついてる目じゃなかったよ、玲司」
「でも警察が——」
「それがあの子たちのせいだって、証拠はあるの?」
玲司は言葉に詰まった。
志織が続ける。
「玲司は全部一人で抱えようとするから、私には黙ってるつもりだったでしょ」
「……」
「でも私も関係あることだよ、これ」
玲司はしばらく黙っていた。
窓の外、トーア・シティの夜景が静かに光っている。
「……少し、考える」
それが精一杯の答えだった。
志織は何も言わずに、お茶のカップを兄の手に押し付けた。
その夜、ソウマは特異領域へ通信を入れた。
『状況は把握してるよ』
アルの声が静かに返ってきた。
『ナウラが動いた。想定より早い』
「明日、また接触する。玲司はまだ——」
『ソウマ』
アルが遮った。
『君が諦めない限り、扉は閉じない。それだけだよ』
「信用ってのは一日で積み上がるもんやない」
ソウマは少しの間、黙っていた。
「……わかった」
通信が切れた。
メリルが魂玉の中から、小さく言った。
『ねえ、ソウマ』
「どした?」
『あの波動……やっぱり、何か、引っかかるんだよね』
ソウマが眉を寄せる。
「波動が…?」
『うん……なんだろ。上手く言えないんだけど』
メリルはそれ以上言わなかった。
ソウマも、それ以上聞かなかった。
夜のトーア・シティに、静かに光が満ちていた。
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