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「次元の境界」

 雲が、切れた。


 二つの影が、そこにいた。


 地上から五千メートル。成層圏の入口近く、気温はとうに零下を超えている。薄い大気の中で、白い息すら瞬く間に消えていく。


 マジア・トーナムが、空中に立っていた。


 幻顕力(RE)を凍結させた薄氷の足場。ソキウス「グアイナ」が瞬時に形成したそれを踏み台にしながら、マジアは静かにユーアン・クラムと向かい合っていた。


 眼下には、雲の絨毯が広がっている。孤児院も、街も、ソウマたちの戦いも——何もかもが、もう見えない。「さぁ」 マジアが、言った。


 低い声。


だがその一音に、研ぎ澄まされた何かが宿っていた。


「貴様の邪魔になる者は、ここにはいない……。存分に殺し合うぞ」


 ユーアンは、正面から向き合いながら、軽く肩をすくめた。


「……私は平和主義なんですけどね」


 答えにならない答えだった。


 だがマジアは、それを笑うでもなく咎めるでもなく、ただ右の腰へと手をやった。


「――極災刀(ごくさいとう)……朧……霞」


 静かな宣言だった。


 マジアの両腰から、二振りの刀が姿を現した。


 幻顕力(RE)が剣気として刃に纏わりつき、鈍い輝きを放つ。


調律粒子(アジャストタキオン)が虹色に歪みながら刀身を包み、光の粒子となって霧散していく。


 その瞬間——圧が、変わった。


 ソウマたちがいた地上ですら見せなかった、純粋な剣の殺気。切っ先の圧力だけで魂命(アニムスヴィータ)を削ってくるような重さ。


「……極幻体術(ウルティマアーツ)


 ユーアンは、静かにそう言った。


 内側から——膨大な幻顕力(RE)が、闘気として溢れ出す。肌の表面を伝い、筋肉の一本一本に沿って流れ、全身を薄く発光する闘気の膜が包み込んでいく。


 空気の密度が、変わった気がした。


「来い、マキシマム」


 マジアが、踏み込んだ。


 ――閃。


 一歩で間合いが消えた。


氷の足場を蹴り砕いた衝撃が遅れて爆音になる頃には、マジアの右の刀がユーアンの首元に届いていた。


 ユーアンの首が、数ミリ、横にずれた。


 それだけで刃は空を切り——その瞬間に、ユーアンの右手が動いた。


裂空(れっくう)


 掌底の衝撃波が、音を置き去りにして飛ぶ。


 マジアの氷の足場が、半径二メートルに渡って粉砕された。


 だがマジアはすでに、新たな足場を踏んでいた。


 グアイナが空間を舐めるように駆け、凍った大気の結晶が足場を生み直す。


前後左右、あらゆる方向に無数の白い踏み台が瞬時に形成され、マジアの機動を三次元に解放する。


二撃目が来た。


今度は左から。


刃が迫る——その届く間合いを、ユーアンは知っている。


 最小限の後退。闘気の膜が刃先を弾いた。


 金属音ではなく、空気が破裂したような音がした。


 マジアが、口元を緩めた。


「……ほう」


 それが、開戦の合図だった。


 霞が、広がった。


 マジアが左の刀を一薙ぎする。


刃が空気を切った瞬間——切っ先の軌跡が、そのまま空間に溶け込むように白く霞んで残った。


 一呼吸後。


 その霞の中から、斬撃が飛んだ。


 音も、光もない。ただ鋭い空気の裂け目が、霞の「どこか」から生まれてユーアンへと向かってくる。


 ユーアンの体が、流れるように傾いた。


流円(りゅうえん)


 呟きと同時に、体を包む闘気が円を描くように流れ始める。


霞から生まれた二条の斬撃が、その流れに沿って経路をわずかに逸らされ——空を切った。


 だが次の霞は、もう広がっていた。


 三方向から。


 マジアの両の刀が舞うたびに残滓が積み重なり、ユーアンの周囲に白い空間が形成されていく。


どこから斬撃が来るか読めない、読もうとすれば次の霞が上書きする。


 (いつ見ても悪趣味な能力だ)


 ユーアンは内心で思いながら、体だけを動かし続けた。


 霞の密度が高い方向に、斬撃は来ない。密度が薄れた瞬間に、来る。その「薄れ」を皮膚で読む。


 …右。


 体が、先に動いた。


 流円の闘気が刃の軌道を一ミリ単位で逸らし、頬の数センチ先を斬撃が通過していく。


「……これだ」


 マジアが、低く言った。


「この感覚……!」


 悦びだった。隠しようのない、純粋な戦闘狂の悦び。


「貴様という研石がなければ、我が剣は鈍る一方だ!」


 三振り、四振り——マジアの刀が踊るたびに、霞が増殖する。


 空間全体が白く染まっていく。


 斬撃の本数が増える。


 密度が上がる。


 ユーアンは動き続けた。


 後退しない、左右にも大きく逃げない。


 ただ最小限の動きで、流円の流れを変えながら霞の中を泳ぐ。


 十撃。


 二十撃。


 三十撃。


 一撃ごとに大気が爆ぜ、衝撃波が雲を散らす。


 地上ではその余波が雷鳴のように轟いているはずだった。


 だがここでは、音すら遅れてくる。


 斬撃と回避だけが、この空間の時間を刻んでいた。


 五十撃目。


 ユーアンの動きが、一瞬だけ止まった。


 止まった——のではない。


 止まるように見えた。


 その一瞬に、マジアの左の刀が踏み込んだ。


 霞の中から、最速の一撃。


 ユーアンの右腕が、横に薙いだ。


 ――ズガッ。


 掌が、刀の腹を直接叩いた。


 衝撃が刃を弾き、マジアの体ごと数メートル後退させる。


 流円ではない。


 純粋な体術の返しだった。


 空中で体勢を立て直したマジアが、初めて目を細めた。


 ユーアンは右手を下ろしながら、静かに言った。


「……誘いでしたよ。それくらいは」


 マジアは答えなかった。


 ただ、口の端が、上がった。


 二人の間に、一瞬だけ距離が生まれた。


 どちらが引いたわけでもない。


 ただ互いの間合いが、自然に開いた。


 雲の上の、奇妙な静寂。


 マジアが氷の足場に立ち、刀を下げる。


 ユーアンが空中に立ち、闘気を緩める。


 数百合——交差のたびに衝撃波が雲を散らし、その余波が遥か下の地上まで届いていた。


 それだけの密度の攻防が、今だけ止まっている。


 そのとき。


 遠く、下方から、重低音が近づいてきた。


 旅客機だった。


 雲を割って現れた機体が、二人の真下をゆっくりと横切っていく。


 この高度を飛ぶには少し低い。


 おそらく乱気流を避けるためのルート変更、機体は悠然と白い雲の上を進んでいた。


 そのさらに上


 成層圏


 そこでは


 人間ではない何かが殺し合っていた。


 刹那


 マジアが動いた。


 音もなく踏み込む。右の刀を腰に引く——その刃が、見えた。


 短い。


 いつもより、明らかに短く見える。


 (極災刀・朧(ごくさいとう・おぼろ)


 ユーアンは知っていた。


 何度も食らいかけた、間合いを狂わせる幻惑。


 刀身は実際よりも短く見える。


 だから体は「まだ届かない」と判断する——そこに、本当の間合いが来る。


 わかっている。


 わかっていても——旅客機が、視界に入った。


 一瞬だけ、注意が割れた。


 その一瞬で、刃が来た。


 ユーアンは体を捻った。


 間に合った。


 ——間に合った、が。


 左の頬を、何かが掠めた。


 熱い。


 薄く、しかし確かな感触。


 手をやると、指先に微かな光が滲んでいた。幻顕力(RE)が、傷口から少し漏れている。


 ユーアンは左手でそれを拭い、傷を塞いだ。


 旅客機は、何も知らないまま雲の中に消えていった。


「……ふぅ」


 ユーアンは、静かに息を吐いた。


「貴方と戦っていると、自分の未熟さを痛感して嫌なんですよ」


 本音だった。


 強がりでも謙遜でもなく、ただの事実として。


 マジアは刀を構えたまま、しばらく無言だった。


 やがて、低く言った。


「……ぬかせ」


 一拍。


「貴様でなければ、今の一撃でもとうに十数回は膾切りだ」


 褒め言葉ではない。


 だが、侮辱でもない。


 ただ——事実として。


 二人の間に、奇妙な空気が漂った。


 敵対している。殺し合っている。

 

 それでも、互いの実力を正確に測り合える者同士にしか生まれない、静かな共鳴のようなもの。


 マジアが、再び刀を持ち直した。


「続きをやろう、マキシマム」


 ユーアンは、頬の傷が塞がったのを確認してから、正面を向いた。


「……えぇ」


 短く答えた。


 二人の間の空気が、また張り詰めていく。


 マジアの右手が、刀を逆手に持ち替えた。


 それだけで、空気が変わった。


 さっきまでの剣気とは、密度が違う。重さが違う。魂命(アニムスヴィータ)が本能的に警告を発してくる——この一撃は、受けるな、と。


「グアイナ」


 マジアが、静かに呼んだ。


 氷狼のソキウスが応えた。


 グアイナの巨体が凝縮されるように収束し、光の粒子となって刀身へと流れ込んでいく。


 刀が——変わった。


 白くなった。


 白ではない。


 白を超えた何かだった。


 熱を奪う色。


 光を拒絶する色。


 刀身の周囲の大気が瞬時に結晶化し、触れるものすべての熱を根こそぎ奪い取るような輝きが、刃全体から迸った。


 ユーアンの体から、湯気が消えた。


 闘気の熱が、周囲の冷気に押し負け始めている。


「……これが」


 ユーアンは、目を細めた。


「本気ですか、スパーダ」


「当然だ」


 マジアの目が、真っ直ぐにユーアンを捉えた。


「貴様を相手に、出し惜しみなどしない」


 踏み込みの予備動作すら、なかった。


 ただ——消えた。


 氷の足場が粉砕される音が、一拍遅れて届く。

 

 グアイナの足場生成が追いつかないほどの踏み込み。


 マジア自身が空間を蹴りながら直線で来る。


 刀身の絶対零度の輝きが、夜の成層圏に白い閃光を刻んだ。


 ユーアンは、全身の幻顕力(RE)を一点に凝縮した。


 両腕に。


 拳の中に。


 体の中で渦巻く闘気が、極限まで密度を上げていく。


 圧縮するたびに熱を帯び、ユーアンの拳の周囲だけが、零下の空気の中で赤く揺らめいた。


 刃が届く。


 ユーアンの両拳が、刀身を挟むように合わさった。


 ――ズガァァァンッ!!


 衝撃が、空間を揺らした。


 絶対零度の刃と、凝縮した闘気の熱が、鍔迫り合いの一点でぶつかり合う。


 膨大なエネルギーが衝突する余波が衝撃波となって四方へ弾け、周囲の雲が根こそぎ吹き飛んだ。


 遥か下の地上では、夜空が昼間のように白く染まって見えたはずだった。


 二人の間で、火花でも氷でもない何かが弾けている。


 拮抗。


 一秒。


 二秒。


 マジアの目が、僅かに見開いた。


 押し返されている。


 ソキウスを剣に同化させた、自身の最大の一撃が——止められている。


 ユーアンは、そのまま静かに言った。


「……いい一撃でした」


 闘気が、弾けた。


 二人が同時に後退し、数十メートルの距離が開く。


 ユーアンの両腕から薄く幻顕力(RE)が漏れていた。


 刃には触れていない。


 だが凝縮した闘気を一点に集中させた反動は、相応に残っている。


 マジアは空中で体勢を立て直し、刀を下げた。


 その口元に、薄く笑みが浮かんだ。


 沈黙が、落ちた。


 マジアは刀を構えたまま、動かなかった。


 ユーアンも、動かなかった。


 二人の間に残った余波が、ゆっくりと散っていく。


 吹き飛んだ雲の代わりに、星空だけが広がっていた。


 遥か下方には、雲の絨毯が静かに広がっている。


 マジアが、刀を下ろした。


 ゆっくりと、丁寧に。


「……フン」


 短く息を吐いた。


「第9席が墜ち、我の幻顕力(RE)もわずかか」


 独り言のように言った。


 悔しさでも、言い訳でもない。ただ現状を確認するような、静かな口調だった。


「まぁ……いいだろう」


 グアイナが、マジアの足元に戻ってくる。


 刀身に纏っていた絶対零度の輝きが薄れ、調律粒子(アジャストタキオン)が光の粒子となって霧散していった。


 マジアの視線が、ユーアンを真っ直ぐに捉えた。


 一瞬だけ。


「今日の所はこれまで……か」


 刀が、消えた。


 静かに、確かに。


「また殺り合おう……マキシマム」


 闇が、マジアを飲み込んだ。


 調律粒子(アジャストタキオン)の残滓だけが虹色に揺らめき、それもすぐに光の粒子となって夜気に溶けた。


 後には、星空だけが残った。


 ユーアンは、しばらくその場に立っていた。


 両腕の痛みを確認する。


 幻顕力(RE)の残量を確認する。


 どちらも、笑えない状態だった。


「……まったく」


 誰にともなく、呟いた。


 ファティが、静かに隣へ寄ってきた。


 ペガサスの白い翼が、風に揺れる。何も言わない。


 ただ、そこにいた。


 ユーアンは、ファティの首筋に手を置いてから、眼下の雲を見下ろした。


 雲の切れ目から、遠く地上が見える。


 孤児院のあった場所。


 破壊された街並みの中で、小さな人影がいくつか、寄り集まっていた。


 ユーアンは目を細めた。


 ソウマ。リナリィ。ハンナ。


 生きている。


 立っている。


 それだけで、十分だった。


「……よくやったな」


 声は届かない。


 それでも、ユーアンは微かに笑った。


 ファティが静かに翼を広げ、二人はゆっくりと地上へ向けて降りていった。

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