「希望への第一歩」
果ての見えない黒の空間。
点在する光の窓だけが、ここがどこかの世界と繋がっていることを示している。
無重力状態の『影の中』で不器用にぷかぷかと浮きながら、リナリィはほうっと感嘆の息を吐き出した。
「なるほど……。そのコマンダーっていう敵も恐ろしいけど、ソウマ君ってやっぱりすごいのね。初めてのリアリティであんな大技を使うなんて……自分が幻顕者になってみて、その凄さがよりわかったわ」
「ふふっ、そうでしょう? でも、あの時ボロボロになりながらも私やみんなを守ってくれたソウマさんは、本物のヒーローでした」
ハンナは愛おしそうに微笑みながら、現在の自分の制服――白地に青と紫のラインが入った袖口をそっと撫でた。
あの日、自分を助けてくれた彼らの役に立ちたい。その一心でV.C.Tに加入し、彼女もまた今日まで多くの経験を積んできたのだ。
「あの時の決意があるから、今の私があります。……さあ、リナリィさん。私たちも負けずに頑張りましょう!」
「うんっ! 私も、早く誰かを救えるようになりたいな」
二人が顔を見合わせて微笑み合った、その時だった。
空間に浮かぶ「光の窓」の向こう側で、目も眩むような青白い閃光が弾けた。
『ヴルルルルォォォォォォォォォンッ!!』
窓越しに響いてきたのは、狼の咆哮にも似た衝撃音。
ソウマの幻狼・月下咆哮の圧倒的なエネルギーの奔流が、外で暴れていた巨大化した漂流者と、それを指揮していたダルカルを丸ごと飲み込んでいく。
「いよっしゃあ! これにて一件落着、っと!」
断末魔を上げる間もなく、ダルカルの幻体が光の粒子となって霧散する。
無事に敵が強制魂還されたのを見届け、光の窓から一人の少年がひょっこりと影の中へ入ってきた。
黒い幻装スーツを解除しながら現れたのは、もちろんソウマである。彼に随伴していたメリルも、呆れたような顔で肩に飛び乗ってきた。
「ちょっとお前ら! 任務中になーにをお喋りしてんだ!? これじゃリナリィの訓練にならないだろ!」
腰に手を当ててぷんぷんと怒るソウマに、リナリィは悪びれる様子もなく答えた。
「だって、いきなりソウマ君が飛び出していっちゃうし、ここは無重力で上手く動けないし……。だから、ハンナちゃんから『初めてソウマ君に助けられた時の話』を詳しく聞いてたのよ?」
「ん? 俺がハンナを助けた時の……?」
ソウマの動きがピタリと止まる。
先ほどまでの説教モードから一転、彼の顔にニヤニヤとした笑みが浮かび上がった。
「なんだよ……俺の雄姿を話してたのか! くぅーっ、それなら仕方ないなぁ! もっと早く言えよな! あの時の俺の活躍、最高にカッコよかっただろ!?」
「……チョロい。チョロすぎるわソウマ……」
ドヤ顔で胸を張るソウマに、メリルがジト目を向けてため息をつく。
そのコントのようなやり取りに、リナリィとハンナは思わず顔を見合わせて吹き出した。
「あははっ! やっぱりソウマ君だ!」
「ふふふっ、変わらないですね、ソウマさんは」
過酷な戦いを感じさせない、彼ららしい和やかな笑い声が、影の空間に響き渡った。
ふと、リナリィは目の前で微笑むハンナの姿を改めて見つめた。
綺麗に切り揃えられたライトパープルのボブカットは彼女の冷静な性格を表すようで、どこか大人びて見える。
身を包んでいるのは、白を基調としたV.C.Tの共通制服。だが、ハンナのものは彼女のパーソナルカラーである青と紫のラインが入っており、黒のストールにスリットの入ったタイトなミニスカート、その下には黒のスパッツを組み合わせた、動きやすさと凛とした美しさを両立させた着こなしだった。
「ハンナちゃん、すっかりベテランの幻顕者って感じね。制服もすごく似合ってる」
「えっ? あ、ありがとうございます……! 私は『諜報班』として、こうして影から皆さんをサポートするのが主な任務ですから」
「諜報班……そういえば、V.C.Tって私たち以外にもたくさん人がいるのよね?」
「ああ、もちろんいるぜ」
ソウマが腕を組みながら頷く。
「そんなに大規模ってわけじゃないけどな。俺たちみたいに最前線で戦う特務班は大体…リナリィ入れたら十人くらいか? それくらいの少数の組織だ。あとはハンナたちみたいな諜報班や優秀な支援班のみんなが、各世界で俺たちを支えてくれてるんだよ」
「えっ、たった十人!? こんないくつもある多元世界を守る戦力が!?」
リナリィは驚きの声を上げた。
「ああ。でも安心していいわよ、リナリィさん。みんな本当にバケモノみたいに強い幻顕者ばかりだから」
メリルが誇らしげに胸を張る。
「それに、各世界に現れる漂流者の基本的な対処や事後処理は、ハンナたち諜報班や支援班がしっかりやってくれてるからな。俺たち特務班が動くのは、強力な敵が出た時や、新しい卵の保護任務くらいだ」
「そうなんですか?」
「ええ。そもそも、特務班として最前線で戦えるほど強力なリアリティに目覚める人自体が、すごく稀有なのよ。見つける前に敵に卵を奪われてしまうこともあるしね……」
メリルが少しだけ表情を曇らせる。
「だからこそ、その素質を持ったリナリィさんは、私たちにとって期待の新人なんです!」
ハンナがリナリィの手をぎゅっと握って微笑んだ。
「私が、期待の新人……」
「ああ。それに、人材不足なのは多分敵も同じだ」
ソウマが顎に手を当てて推察を口にする。
「フェデーレの連中だって、最前線で任務に当たれるような人材は少ないはずだ。だからこそ、戦力補強のためにやっきになって卵を探してるんだと思うぜ。……まぁ、そうはさせないけどな。ちなみに俺なんかは、楽園の連中から『A級首』って呼ばれてるらしくてさ! どうだ、なんかカッコいいだろ!」
「だから嬉しそうにしない! それは味方が評価した階級じゃなくて、敵が勝手につけた『危険度』でしょ!」
すかさずメリルがソウマの頭をペチッと叩く。
「痛っ! いいじゃんかよ、強さの証明なんだから!」
「もう、ソウマ君ったら……」
漫才のような二人のやり取りを見て、ハンナがくすくすと笑い、リナリィもつられて笑顔になる。
「リナリィさん、V.C.Tはみんなで支えあってるんです。魂の絆で結ばれた本当の家族みたいな人たちばかりなんですよ。」
ハンナのその言葉に、組織の温かさがすべて詰まっていた。
「うん!ほんとにすごく素敵な場所ね!」
(少数の組織って聞いて少し驚いたけど…みんなの力になれるように私も頑張ろう)
リナリィは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながらそう決意していた。
「さてと、和んだところでそろそろ本題に入るか」
ソウマがパンッと手を叩いて空気を切り替える。
「さっきも言った通り、ここからはリナリィの初任務――特務班としての実地訓練だ。本格的に動く前に、お互いのリアリティと連携の確認をしておきたい」
「連携の確認、ですね。わかりました!」
リナリィは姿勢を正し、力強く頷く。
「リナリィさんの世界は、精霊信仰が一般的だって聞いてるわ。リナリィさんの力も、それに由来するものなのよね?」
メリルの問いかけに、リナリィは左耳につけた三角錐のピアス――ソキウスである『アウラ』の魂玉にそっと触れた。
「はい。私のリアリティは、精霊を幻顕して、その力を『装衣』として身に纏うこと……つまり、精霊との同化です」
「精霊との同化……なんだか、すごく神聖な響きですね」
ハンナが感嘆の声を漏らす。
「まずは見せてくれよ。百聞は一見に如かず、だ」
「わかったわ…アウラ、出てきて」
リナリィがそう言うと、ピアスから微かな光が溢れ出し、ソウマの世界で言うトイプードルに羊の角が生えたような見た目のソキウスが姿を現した。
「フンフン…よっと!」
無重力空間でリナリィの周囲をふわりと漂う。
「わぁ、可愛いですね!」
ハンナは目を細めて微笑むと、自身の髪を留めているヘアピン――ニッカの魂玉にそっと触れた。
「ふふっ。ニッカもご挨拶する?」
すると、そこからするりと黒い影が飛び出し、ムササビのような姿をしたソキウスが姿を現した。
「オイラはニッカ! よろしくナ、リナリィ!」
ニッカは無重力空間をスイスイと滑空し、アウラの横に並んでふわりと浮かんだ。
「ニッカちゃん、よろしくね。……さて、それじゃあ見てもらうわね」
リナリィは姿勢を正すと、祈るように片手をそっと胸に当てた。 彼女の意思に呼応して体内から幻顕力が引き出され、周囲の空間に透明な水の様な球体――調律粒子が発生する。 その光の粒子が、彼女が願う『幻想』を現実へと顕現させる。
「木の精霊――幻顕!」
凛とした声と共に、リナリィの全身を柔らかな淡い緑色の光が包み込む。 光が収まると、彼女が着ていた白基調の制服の上に、木々の葉脈を思わせるような美しい翠緑の装衣が展開されていた。
「おおっ、すげぇ! なんだか空気が一気に澄んだ気がするぞ」
「これが『木の精霊』の力です。……ええっと、まずはこれですね。木の盾!」
リナリィが空間に向けて手をかざすと、何もない無重力空間に、彼女の身長ほどもある巨大で硬質な木の盾が瞬時に編み上げられるように出現した。
「へぇ、展開が早いな! 前衛をカバーするには良さそうだな」
「あとは……木の檻!」
盾を消し去り、今度は少し離れた空間に向かって指を向ける。 すると、虚空から幾筋もの太い木の枝が急成長するように伸び、あっという間に球状を作り上げる
「すごい……! 敵の動きを止めるのにすごく役立ちそうですね!」
ハンナが目を輝かせながら拍手をする。
「他にも、木の生命力を分け与えて現界人の自己治癒力を大きく高める木の癒しっていう回復能力と、リラックス効果のある香りでみんなの幻顕力の時間経過による回復量を高めたり、荒ぶる漂流者の気持ちを静めたりする木の活力も使えるよ!」
アウラが飛び跳ねながら木の精霊の能力について語る。
「ただ、木の癒しは本当に現界人にしか効かなくて、私たちみたいな幻体には効果がないみたいなの」
「それで充分さ! 俺たちが守るべき対象をすぐに治療できるなら、戦術の幅がグッと広がる。それに、防御に拘束、幻顕力のブースト… 特務班の中衛から後衛支援としては完璧だな!」
ソウマは驚愕と喜びの入り混じった声を上げた。 無茶な突撃をしがちなソウマにとって、これほどありがたい支援能力はない。
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな。……今はまだこの木の精霊と、水流を少し操れる水の精霊しか幻顕できないけど、もっと強くなって、みんなの役に立ちたいわ」
緑の装衣を纏ったリナリィは、決意を込めた笑顔で頷いた。
「さて、んじゃハンナもちょっとリナリィに力を見せてやってくれ」
「はい。私のリアリティ『影と共に』は、影を操り、影から皆さんを支える力です。……ニッカ、お願い」
「任せときナ!」
ハンナが無重力空間に視線を落とすと、ニッカがその中へと飛び込んだ。
「影法師」
ハンナが優雅にダンスを踊るような軽やかな仕草で指先を振るうと、彼女の影がするりと空間から立ち上がり、ハンナと同じシルエットを持つ三体の『黒い影』が姿を現した。
「わっ、ハンナちゃんが四人に増えた!?」
「これは私の影を実体化させた分身です。戦闘力は私より少し劣りますが、ニッカのサポートのおかげで、索敵などの高度な自律行動をとらせることができます」
ハンナの言葉を証明するように、三体の影法師たちはそれぞれ違う方向へ散らばり、周囲を警戒するような動きを見せた。
「そして、もう一つのサポート能力がこれです。……影縛鎖!」
ハンナがスッと手を伸ばすと、彼女の足元から伸びた影が帯のように空間を疾走り、遠くで待機していた影法師の一体に巻き付いてピタリと動きを封じた。
「すごい! 影がワイヤーみたいに……!」
「私の力は直接的な攻撃には向きませんが、こうして敵の動きを封じたり、見えない場所から情報を集めたりして、ソウマさんたちをサポートします」
少し控えめに笑うハンナだが、その支援能力の高さはリナリィの目にも明らかだった。 前衛で圧倒的な機動力と攻撃力を見せるソウマ。 中衛で防御と回復、バフを担うリナリィ。 後衛から索敵と拘束で戦場全体の動きを把握するハンナ。
「……なぁ、メリル、今回はリナリィの訓練のためにたまたまこの三人で来てるけどさ」
ソウマが顎に手を当てて、感心したように呟く。
「俺たち、めちゃくちゃバランス良くないか? なかなかいいフォーメーション組めそうだ」
「確かにそうね。ソウマがすぐ突っ込んじゃうから、リナリィさんが中衛で守りを固めて、ハンナが後方で戦場をコントロールする……すごく良いんじゃない?」 メリルも納得した様子で頷く。
「わ…私は諜報班で戦闘ではお役に立てませんが…」
と、ハンナは恐縮して言う
「ハンナが状況を把握してくれるだけで大助かりなんだけどな、影隠れめちゃくちゃ便利だし」
「確かに…ハンナさんが後ろにいてくれれば私も安心して動けそう…」
リナリィもまた、腑に落ちるようなその予感に、密かに胸を躍らせていた。
「よし、とりあえずリアリティの確認はバッチリだな! ……それじゃあ、そろそろ外に出るか」
「はい。ソウマさんとリナリィさんには既に出入りの権限を付与してありますから、そこにある『光の窓』からいつでも外の空間へ出られますよ」
ハンナが空間に浮かぶ窓の一つを指し示す。 この『影の中』への出入りは、術者であるハンナが許可した人物であれば自由に行うことができるようだ。
「ただ、ここはあくまで私の幻顕力で作り上げている空間なので……強力な敵なら無理やりこじ開けて入ってきちゃうこともありますし、逆に敵をここに閉じ込めたままにする、なんて都合のいいことはできないんですけどね」
「まぁ、安全な前線基地や索敵の拠点としては最高に便利だけどな。よし、んじゃ行くか!ここからがリナリィの初任務――実地訓練のスタートだ。俺とハンナでしっかり引率するから、安心してついてきてくれ!」
「うんっ! 二人とも、よろしくお願いします!」
力強く頷いたリナリィは、ソウマとハンナと共に、迷うことなく光の窓へと踏み出していった。




