中編
あおいさん宅にストーキング行為するのを諦めた元アイドル(17)は、こぶしを振り上げて不平等に抗議した。
「ひどいよあおちゃんっ!ここちゃんにばっかりポヤポヤしちゃって!」
「そ、そんなしてませんって!ちょっと……ここあさんを見ているとその……あの頃の姫を思い出すので……」
わかった!と言って、葉子は後ろを向きオホンと咳払いをする。何をするんだと思えば、くるっと向き直り
『……こんにちは。皆さん、あおいさん、盛り上がってますか?……有難うございます。』
マイクを持ったクールなHISUIへ切り替わった。あおいさんはキャー!と言いながら動画を撮りはじめる。
『これだけの大きなステージで……少し緊張してしまうんですけれども、温かい声援……本当に嬉しいです。私が大切にしている、ここにいる皆さんと最後まで、楽しい時を過ごせたら……と思います。皆さんのこと、あおいさんのこと…………大好きです。』
しれっと私情告白をぶち込んだアイドルロールプレイをやり切ると、クールHISUIは後ろを向いて崩れるように床に手をついた。あおいさんもどこか彼方を見ている。
さすが本物。これを常に女神に見せていればいいものを、なぜ演れないのか?それは私にも分かることだ。あくまでキャラは、キャラだから。……本当の自分ではないこと、誰かを演じることは、非常に消耗する。
しばらくの間があってから葉子は立ち上がり、あははと元後輩の肩を叩いた。
「まあこんなこともね、一緒に住めば楽しめるよっ!これからよろしくね、あおいちゃん!」
「……はっ!私は今、どこにいたんでしょう?……って、それはまだ決まってないですからっ!姫っ!」
「あ〜、なんかライブやったらお腹すいたよ〜」
一応、機能している壁時計を眺めると12時だった。
いつもの配信はしなくていいのかと聞こうとしたら、その前にあおいさんがそうだ、と思い出す。
「そろそろ『ひるマナ』の時間じゃないですか?大丈夫ですか?」
「ひるマナ」とは、葉子がファンキーなノリでやりたい放題やっている「一夜 マナ」というVTuberキャラクター名から取ったライブ放送だ。ちなみに夜は「よるマナ」だったと思う。
聞くと、あおいさんは葉子が企業系VTuberだった時代から活動を知っていて、彼女自身も同時期からASMR配信を開始しているらしい。私がすぐさま登録したいとチャンネル名を聞いても頑なに教えてくれず。
「ごめんなさい、ええと…………ちょっと、エッチっぽいのもあるので……ここあさんに見られるのはとても恥ずかしいというか……」
少し目が泳いでいるのはなぜ。……えっちっぽいって、なにそれリラックスできるの?
「そっそれより!葉子さん配信は間に合いますかっ?」
彼女はう〜ん、と珍しい反応を示した。
「なんかねぇ、みんな『まだ寝てる』みたいで変なの。同じ人じゃないのに似てるコメントしてたりとか、何だか今おかしいんだよね〜」
やはり「すべてがゼロに戻った」という推測は当たっているようだ。
地球がリセットされ「名前」という現在を思い出さない限りは混沌へ還る。もしほとんどの人間が今そうであるなら、見えている世界やネットの動きはコピー、つまり完璧な個人の意識ではなくAIに集合体意識としてフリー素材利用されている。おそらく。
あおいさんに、この家に来るまでの街の様子を聞くと突然興奮し、それよりも自分の車が勝手に移動したという聞き覚えのある悪夢を教えてくれた。
「そうなんです!まず夢の中?にいたら、葉子さんの声が聞こえたような気がしてハッとして、気がついたら自宅にいたんです。それで約束を思い出して、すぐに車に乗り込んだらビュ〜ンって、ものすごい速さでここに着いちゃって怖かったんですよ!とにかく必死で周りを見れるような感じではなかったです!」
階段の途中の窓から、クラシックな軽自動車が家の前の道路に停まっているのが見える。そして自宅の庭にもう1台、葉子が生み出したそっくり同じ車種の色違いも置いてあり、なるほどと、あおいさんの話にクールな表情で相槌を打ったが実際には何も分かっていない。
「だから〜みんな変になっちゃってるから、配信はしばらくお休みにするの!ねえねえそれより、あおちゃん!お昼ご飯食べようよっ!」
「そ、そうですね……出かけるとなると、あの車……これまでのようにまともに動いてくれるならいいんですけど……」
「え〜面倒くさい〜今食べたい今〜」
そう駄々をこねる3歳児の言葉と連動して、周りの景色が突然光の速さでうねり出す。私たちは一瞬で地元の商業施設のフードコートを眼前に呼び出した。
「わっ!!!こ、これ……どういう事ですかっ?!」
「やった〜っ♪私、ラーメン食べたい〜♪」
ほ、ほう、そういうことが可能なのかと思案することでジェットコースター状態の心拍数を通常に戻していく。
愛と創造性があるのなら物だけではなく場も創りだせるようだ。今望んでいる景色へ自ら移って体験をしていくというのなら、もう乗り物は必要ない。車は自分自身であり、そして車庫は自宅という事になるのだろう。
靴下で到着していたので葉子から新品のスニーカーを創生してもらい、明らかにコピーの千円札を持ってうどんの店舗に並んだ。周囲の人々の生気があまり感じられず目を開けながら眠っているように見える。
注文したカレーうどんは通常の3倍の速度で提供され、お会計をしても店員は受け取ったようでお札を回収しておらず、無表情にありがとうございますと言って次の接客をはじめた。あまりツッコミを入れ過ぎると過労死するので脳には何も問題ないと教える。
あおいさんは、未だ葉子の創り出す超展開と超空間に理解が追いつかないままとりあえずテーブルに未回収の千円札とタラコパスタを置き、それから3人分の紙コップのお水を持ってきた。
「私、まだ夢を見てるのかな……?」
彼女は頬をつねることはしなかった。代わりにほっぺたを自分でツンツンして確かめている。その動きの一つ一つがどこかの国の若い王女のように品がありながら可憐で、毎日大きな園児を相手している保育士の身としては大変癒されるから末永く見ていたい。
彼女が新現実に過剰反応を続けると心身によろしくないので、ツーショットを撮りましょうよと話を持ち出す。
「え!?いいんですか?!」
葉子が席に戻って来ないかを左右確認し、座ったままこっそり2人で撮ると、はぁ……と画面をいつまでも眺めはじめた。
あおいさんは年上ですし私とはもっと気楽に話して下さい、母には呼び捨てタメ語で構いませんからと言うと、そんなそんな!できませんって!と割と強めに拒否される。
「あくまでも私は、葉子さんの見えないところで控えて輝きを眺めていたい者ですからっ。それはここあさんに対しても同じ気持ちで……こうして一緒にいること、本当に夢じゃないんですかね??私、まだ起きてない??」
はい現実ではないです、と言ったらどうなるのだろう?また激しいタックルで地面に追加トライされてしまうのだろうか?あおいさんの謙虚さに隠れた爆発的欲望は激しい一面があるけれども間違いなく彼女の魅力の一つなので、心身のためにあまり抑圧はして欲しくないと思う。
「ぜんぜん夢じゃないよ〜あおちゃんっ♪はい!買ってきたよっ♪」
葉子の持つ両手のトレーには、スプーンの刺さったカップアイスクリームがずらっと並んでいる。
「全種類をみんなで食べようよっ♪」
ラーメンはどうした?とは、もうツッコむまい。あおいさんは瞳を輝かせて分かりやすく喜んでいる。
「やっぱりこれは夢ですよ!夢なら好きなものを食べればいいんですよねっ!」
だから夢じゃないって〜、と、チョコミント味をガバっとひとすくいしてスプーンをくわえたまま喋り出す。小鳥のようにちょんちょんテイスティングしている女神と比べて余りにも品がないのだけれども、それでもおいしーっ、と笑ったそのままが雑誌の表紙になってしまうのは悔しい。
こんな明るさがあれば同じような人生を歩んだのかな、などと私が余計な事を考えるほど、この女は人を惹きつけてその者の何かを変える力がある。
あおいさんも彼女に永いこと照らされて多くの恩恵を感じたからこそ、これまで推しとしてのサポート人生を送ってきて、今後もそうしようと望んでいるのだ。
けれど葉子は今「ずっと一緒に住みたい」という願いを叶えようとしている。それは、はっきり言ってしまえば推し、などというものは要らないという意味ではないか?なぜなら彼女が望んでいるのは崇拝ではなく対等という「人間の関係」だから。
お金や物の存在意義が実質なくなったことは何とか理解してもらうとしても、共に暮らす上で問題となるのはその点なのだろう。女神は、葉子に対するある種の極端な姿勢を崩さない。そうなると何となくマズい気がしないでもない。
ポップな虹色のアイスを適度にすくって、この味食べませんか?と隣に座るあおいさんの口元に運ぶことにする。
「……えっ!そんなっ!」
とにかく、お互いに「ともだち」になっていくのだ。ありふれた関係という「慣れ」を積み重ね、なるべく私たち親子に対する推し的な感覚をあおいさんから抜き取ることを計画して行動していく。
前方観客席からこちらへ放たれる黒い視線を無視し、麗しき女神にどうぞと半ば強引にスプーンを近づけると素直に口を開けて食べてくれた。
「あっ!意外にさっぱりしてますねこれっ!私こういう系が好きなんですよっ」
私も試しに一口食べると、言われた通りラムネのような清涼感のあるフレーバーで自分も好みだった。彼女とは食事の嗜好等、色々相性良く過ごしていけそうだ。
あおいさんはこちらから視線を外して若干、耳を赤らめている。ともだちだし、間接キス的なものは無いでしょうと思ってやってみたけれど、こうして同じもので同じものを取って食べるというのは思っていたよりも気恥ずかしい感じになるという事を個人的に実感した。
「あおちゃ〜んっ!はいっ!これもおいしいよっ!あ〜ん!」
良い子に順番を待っていた葉子が、すかさず次のアイスをあおいさんに勧めていく。あのあのっ私の事はいいですから姫は食べてくださいっと彼女から混乱気味に断られると、ぷくーっとむくれるのかと思いきや
「……私のは食べてくれないの?ここちゃんのはもらってたのに……やっぱり好きじゃないんだね私のこと……」
アイスごときに厄介な女になったところで私はもう一回、スプーンをあおいさんにあーんと運び、食べてもらった。
「あっ!これも味変わってますけどいけますよっ!」
「あおちゃんっ!!?」
すっかりエビのようにプリプリしてしまった元アイドル(17)の機嫌を戻すのに3分かかった。
「もーやだ!あおちゃんのこと嫌いになっちゃったからね!知らないっ!」
「ご、ごめんなさいっ、あまりに美味しかったのでつい夢中に……もう、そんなこと言わないでくださいよ姫ってば」
「じゃあ〜大好きって、言ってくれたらいいよ〜?はい、はい、言って〜?」
葉子はだいぶ悪い顔をしながら耳を指さした。あおいさんは少し戸惑っていたが、一瞬でプロの表情に切り替わり、喉に軽く手を当ててから彼女の耳元に寄って
『……好きですよ。』
脳の奥まで溶けるような涼やかなささやき声が、妙に静かなフードコートの中で響いた。
「……うんっ!!」
満足したのか照れているのか、立ち上がって急に走り出していく。
「ねぇ〜追いかけっこしよ〜よっ!」
「あ!どこへ行くんですかっ?」
葉子はわぁ〜っ!と大声で専門店街の広い通路を奥まで駆け抜けていく。すれ違う人々は誰も振り向かず反応しない。その無関心さが心地よい。
外出となるとどうしても、これまでならマスクをしたり人目を気にしたりと不自由さが常にあった。今、こうしてこれまでの世界が終わったことを確認すると見えなかった重荷から解かれたように心も足取りも軽くなる。葉子もきっとそう感じているだろう。
――そう、気楽でいられる存在とだけ永くいたい。
常々そう思っていたのだ。時間に邪魔されずに、のんびりと。
動作が重いだけの大容量の現実はもう、煩わしかった。人も体験も、両手で受け取れる程度でまずは良い。私たちはシンプルへ立ち帰っている。
「わわっ!?ちょ、ちょっと姫っ!??」
そんなピースな想いに耽っていたら、足元の床がやたら滑るカオスな氷に一瞬で変更された。いくよーっ!と、葉子は凍っていない一番端から走り込んで滑るという人間カーリングを開始する。
暴走女はかなりの速度で向こうから流れてきて私とあおいさんをがしっと掴み、そのまま反対側へと滑っていく。きゃああ!という声を上げていかにも女神は転びそうだったが、彼女も私もなぜか倒れずに長い通路を滑走した。
「なにしてるんですかもうっ!」
珍しく怒り気味になったあおいさんに心ときめ……ではなく、良い流れだと思った。これは……ともだちっぽくないだろうか?気兼ねない関係に変われるチャンスでは?
「あはっ!楽し〜♪ねぇねぇ、もう一回いこっ?今度は3人でね?」
えええ?またですか?と露骨に嫌がる彼女の側に寄って、滑るのって面白くありません?やりましょうよ♪と、慣れない狂人ロールプレイをした。演じるのは向いていない。
あおいさんを真ん中に、両側から肩を組んで3人4脚で連れ出すように歩くと女神も仕方なく前進して。そこから葉子が走り出すので私も合わせ、3人とも全力疾走手前のかなりのスピードで足を運ぶ。
「は、速いですよ〜!また転びそうになっちゃいますって〜!」
「大丈夫っ♪転ばないよっ♪」
そのまま氷の張ってあるゾーンへ突入すると、全く摩擦なしで速度を落とさないどころか加速していく。顔と全身にビュオオ!と風が吹き抜けて、あおいさんはこんなのおかしいですからっ!と必死に叫びながら私と葉子の服を掴む。
商業施設の長い通路を何百mも高速で滑り抜けて、終点のカーペット床の上に飛んで倒れた。そのまま自宅の一階に場が切り替わり、葉子は靴を脱ぎ投げながら壊れたみたいに爆笑している。
「あははははっ!!……最高♪楽しかった〜♪」
あおいさんは放心状態なのか仰向けで天井を見上げ、そのうちに意識が戻ったのか、ふふ!と変な笑いをした。
「全く……こんな無茶なことするの、小さい頃以来ですよ。本当にめちゃくちゃです姫は……」
その表情は、私が普段母に対して向けているものによく似ていて。彼女と永い付き合いをした者にしか出せない「親愛なる諦観」だった。
久しぶりに走ったなと上半身を起こしていたら、女神があ、と微かに声を漏らす。あおちゃん大丈夫っ?と何かを察知した葉子がすぐに側に寄ると、軽い膝のすり傷があった。
全然大丈夫ですからと言うが、ほんのり血が滲んでいる。葉子はごめんねごめんねと言いながらすぐに指で触れて元の肌に戻す。
「え?……すご……な、なんですかこれ??」
何なのかは分からないが神の領域であることは間違いない。だんだん何とも思わなくなってきた。
「あおちゃんごめんね……服も汚れちゃったね。私、あおちゃんに嫌いになって欲しくないよ、ずっと仲良く一緒にいたい。」
少し落ち込んで抱きついてきた葉子をあおいさんは受け止める。
「いますよ、ずっといるに決まってるじゃないですか」
「……じゃ、一緒に住もうねっ?今日からねっ?」
「…………」
「あおちゃん!!?」
「そ、それは……やっぱり無理ですって、私は葉子さん達と同じ空間にいるのも気が引けてしまうのに、そんな……」
これ以上はエンドレスループになりそうだと察知したので、私もあおいさんの側に寄り、小声でそっと伝える。
……お仕事や色々なこと心配されていると思いますが、今は世の中の方が混乱していますのであまり深いことは考えずに置いて、様子見ということでとりあえず母の要望の方に付き合って頂けると私も助けになり嬉しいのですが……
あおいさんはそれを聞いてから静かに頷き。
「そう、みたいですね……世間は変わってしまったんですね。今思えばフードコートにいた人たち、みんな無口で変でした。あんな風に大多数の方が『寝ている』というのなら私が職場に行っても誰にも気づかれなくてどうしようってなっちゃうんでしょうね……」
お昼のレジ会計を思い出す。あの店員は「代金を受け取った」という「もう一つの世界」で勝手にやっていた。しかしこちらから見ればお札は回収されていない。
片方は夢で、片方は真実だ。夢を見ている者は名前を思い出した者と一緒の景色にいることはない。新しい場所からでしか本当の合流ができないのであるなら、今のところ私たちは、孤独だ。
「……葉子さん。あの……もし、私なんかで良ければなん、です、けど……?」
あおいさんは意を決して何かを言おうとしたが、至近距離で葉子を見つめ、思い出したように顔を赤くして
「え?え?これ、プロポーズになってませんか??いやいや!そういう意味で言ってるわけじゃ!……あの、推しの身であることに変わりはないんですけどっ」
「うんっ♪うんっ♪」
「……私が側にいて、それが姫のお役に立つのなら……このお家の隅にてご一緒させて頂くことは………………できます」
「……やっと叶ったねっ!あおちゃんっ!!」
葉子は、涙を隠すようにあおいさんを永い間抱きしめた。全然隠せてないけども。
「もう、そんな泣かなくたって。昔も暮らしてたじゃないですか。」
「ううっ……!嬉しいよぉ〜あおちゃ〜んっ!!」
私は両手と身体全体を確認した。……よかった、葉子の「みんなでおばあちゃんにならずに一緒に住む」という願望が叶えられた瞬間に世界が消えてしまうような筋書きでもファンタジーでもなく、そして夢オチでもなかった。
そうではなくこれは現実だ。母親ともう一人の聖母が自分と同じくらいに若返り、マジシャンのように手から札束を生み出しても意味を成さず、別の住居を自宅にマージさせて同居をアンロックさせるという少し変わっているけれどごく普通のシンプルな……
「これから毎日、一緒にお風呂入ろうねっ♪ほら、ここちゃん、あおちゃん、いくよ〜♪みんなで身体洗いっこしよっ♪」
「……ええっ!!!?」
つ・づ・く




