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― クス視点 ―
すべては一瞬の出来事だった。
コンビニの中を歩いていたはずなのに、暗闇が俺を飲み込んだ。気づいたときには見知らぬ次元にいた。空気は重く冷たく、生臭いにおいがあらゆる方向から漂ってくる。
ここはどこだ。ビュウは……ビュウはどこにいる。
周りを見渡すと、コンビニはもう消えていた。あるのは暗闇と、あたり一面に立ち込める灰色の霧だけ。
そのとき、俺はそれを見た。
俺とまったく同じ姿をした何かが、目の前に立っていた。顔も、服も、立ち方も——何もかも俺そのものだった。ただ一つだけ違うのは、その口元に浮かぶ笑みだった。
オーク……
それは何も言わなかった。ただ、俺の顔で笑って——一瞬の光とともに消えた。
どこへ行ったか、俺にはわかっていた。
ビュウが、あれと二人きりになっている。
ここから出なければ。そう思った瞬間、別のオークたちが俺を取り囲んだ。大きく、皮膚は分厚く、目は濁った赤い光を放っていた。
考えている暇はない。
「嵐よ、天を駆けろ!」
風の力が解き放たれ、最初のオークが次元の壁へと弾き飛ばされた。だが倒れない。立ち上がり、低い唸り声を上げる。
戦い続けた。息が上がる。腕を引っかかれ、血が滲む。それでも止まれなかった。
早く倒せ。早くしないと。
最後のオークが倒れた。俺はその場で少しよろけてから、なんとか踏みとどまった。現実世界へ戻る道を探しながら、一つのことだけを考えていた。
間に合ったか……ビュウ。
*****
なんて役立たずな人間だ。
目の前に立っている。びしょびしょで、何も知らない。目の前にいるのが友達じゃないことさえ、気づいていない。
腕輪。あいつの手首にある。
それだけでいい。あとはどうでもいい。
愚かな人間め。自分が今、何と対峙しているかも理解していないとは。
細い体。弱い力。抵抗なんてできるはずがない。
むしろ好都合だ。
「クス、何してるの!? ねえ、聞こえてる!?」
叫び声が上がる。腕輪のある手首が壁に押さえつけられた。
いくら叫んでも、誰にも聞こえない。
*****
すべてがおかしかった。
体が震えている。心臓の音が自分でも聞こえるくらい激しく打っている。止めてくれと叫ぼうとした。でも声が出なかった。
これはクスじゃない。これはクスじゃない。
わかっている。わかっていても、体に抵抗する力が残っていなかった。恐怖と混乱と絶望が全部ごちゃ混ぜになって、何もできなかった。
頭の中にはたった一つの疑問だけが残っていた。
なんでクスがこんなことをするんだ。
「嵐の檻よ、刻め!」
ドアの前に男が立っていた。制服は汚れ、あちこちが破れていた。手のひらには風の刃が渦を巻いている。
風……風の力。クスだ。クスしかあんな力は使えない。
次の瞬間、上に乗っていた「クス」の体が変わった。大きく、醜く、オークの本来の姿に戻りながら飛び退いた。しかし刃は逃さなかった。オークの体が斜めに断ち切られる。
「もう少しだったのに……あの腕輪も、あいつも、全部手に入れられたのに!」
断末魔の声を残して、オークは霧のように消えた。
「ビュウ!無事か!?」
クスが叫んだ。
ベッドから体を起こした。足がうまく動かない。それでも構わなかった。
クスが本物だとわかった瞬間、体が勝手に動いていた。
廊下を駆けてクスに飛びついた。何も着ていないまま、力もほとんど残っていないまま。それでも離したくなかった。
「……よかった」
声にならない言葉が口から漏れた。そのままクスの胸に顔を埋めると、涙が止まらなくなった。
「怖かったんだな……もう大丈夫だ。俺がここにいる」
「怖かった、すごく怖かった……消えないでくれよクス、もう消えないでくれ」
泣きながら訴えた。顔はぐちゃぐちゃで、声も震えていた。それでもクスはずっとそこにいた。頭をそっと撫でながら、何も言わずにいてくれた。
「うん、うん。もう泣かなくていい。ここにいるから」
一時間以上が過ぎた。
泣き止んだあと、クスが服を持ってきてくれた。着替えを済ませてソファで待っていると、クスが着替えて部屋から出てきた。
「あのとき何があったか、話すよ」
クスが静かに話し始めた。
「買い出しに行ったとき、いきなり攻撃を受けた。気づいたら魔界に引き込まれてて、オークに囲まれてた。お前のところにはあいつが俺に化けて行ったんだ。……正直、生きて帰れるか自信なかった」
また涙が出そうになった。
「泣くなって。今はもう二人一緒にいる。怖いものなんてない」
「……うん」
しばらくしてクスが温かいミルクを持ってきてくれた。二人でそれを飲んで、その夜は眠った。クスはベッドをオレに譲って、自分は床で寝た。
「おやすみ、クス」
「おやすみ」
/フッ!/
目が覚めると、並行世界にいた。最初に来たときと同じ場所。隣にクスが立っている。
「来たか、ビュウ。せっかくだし行こう」
「どこに?」
「あ、そっか。二回目とはいえまだわからないことが多いよな。街に行くんだ。そこに防具と武器がある。冒険するなら必要になるから」
「街に!? 武器も!?」目が輝いた。アニメや漫画で見たやつだ。最高すぎる。
「早く行こうクス、見てみたい!」
「あ、でも一つ言っておくと——ここの言葉、お前はまだわからないよな。こっちの世界は俺たちの言葉とは違う言語を使ってるから、俺が通訳するよ」
これが異世界か……。
クスが連れて行ってくれたのは「リーア」という街だった。道中には小型のモンスターや行商人もいた。行商人は割高な値段で希少なアイテムを売っていたが、仲間同士で奪い合って死ぬこともあるらしい。この世界も物騒だな。
街に入ると、その美しさに息を飲んだ。彫像、行き交う人々、信頼できそうな衛兵たち。
クスが連れて行ってくれたのは防具と武器を扱う店だった。中には騎士や、クスのような特殊な力を持つ人間たちがいた。
「いらっしゃい、何を探してるんだい、若いの」
店主のおじさんが話しかけてきたが、言葉はわからなかった。
「中級品の防具と剣を一式、この子に合うサイズで」クスが答えた。
「ほうほう、できるぞ。しかしこの嬢ちゃん、かわいいじゃないか。彼女か?」
クスの顔が赤くなった。こちらを見てくる。
「何?」
「な、なんでもない」クスはすぐ店主に向き直った。「ギルドの新しい仲間です。別の国から迷い込んで、俺が連れてきました。注文の品をお願いします」
「そうかそうか。ちょっと待ってな——中級の防具と剣、女の子サイズ、持ってきてくれ!」
店主が奥に向かって叫ぶと、ドワーフが出てきた。クールな防具と、刀に似た剣を抱えて。
「全部でいくらですか」
「十五シーセン銀貨だが……嬢ちゃんのために十三にしとくよ。新入りへの特別価格だ、ははっ」
クスが代金を払い、二人で店を出た。クスが防具と剣をオレに渡した。
「重い?」
「全然。防具も剣も、普通の服みたいに軽い」
「中級品だからな。低品質だと重くて安い。高品質だと羽みたいに軽いけど値段は金貨になる。だから普通は中級を使う。俺も同じだよ」
「す……すごすぎる!!」
思わず叫んだら、周りの人たちがこちらを見た。
街を歩きながら、クスと冒険の準備について話した。途中でペットショップが目に入った。欲しいと思ったけど、クスにこれ以上お金を使わせたくなくて黙っていた。
そのとき——騎士と兵士の一団が誰かを追いかけているのが見えた。緑色のフードを被った人物だ。
「止まれ!止まれ!一般人は下がれ、危険だ!騎士と兵士に任せろ!」
空と地面から光の輪が出現した。フードの人物が消えた瞬間、落雷のような轟音が響いた。
ドォォン!
二頭の巨大な狼の魔獣が現れた。召喚の力だ。フードの人物はそのまま逃走し、騎士と兵士は魔獣と対峙した。
クスとオレもそこへ向かった。
「一般人は下がれ、ここにいる場所じゃない」
「手伝います」クスが風の力を放った。しかし魔獣は脚でそれを弾き飛ばした。
「下がれと言っている!これ以上犠牲者を出すな!」
それでもオレたちはその場にいた。
魔獣がこちらに向かってくる。
そのとき——体が勝手に動いた。
腕が前に伸びた。指を上に向けて、くいっと曲げた。
ただそれだけだった。
次の瞬間、魔獣の体が空へ浮き上がった。どこからともなく巨大な岩と鉄の塊が現れ、その体を貫いた。
周りが静まり返った。
「魔法……魔法だ」
「一撃で……」
「召喚獣を一撃で」
騎士も兵士も、言葉を失っていた。
「ビュウ……今のお前がやったのか」クスがオレの顔を見た。驚きを隠せていない。
「え?俺が?……気づかなかった。体が勝手に動いて、ただ指を曲げただけで……まさかあれが力だとは思わなかった」
オレも、周りの全員と同じくらい驚いていた。
第6話でまた会いましょう、Kuzagiが来ました!
クスが魔界に連れて行かれる最初のシーンなんですが、実は追加しようか迷っていました。元々の構成では、クスに化けたオークがビウくんにあんなことをしようとする場面を入れる予定だったんですよね…でも、せっかくなので追加することで、皆さんが「なんでクスはこんなことをしたんだろう?」と思わずに済むかなと思いまして。
まあとにかく、引き続き読んで応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます!これからも頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします!ありがとうございました!




