30 「導き」
花のように柔らかな声が響いた。
「!?」
起き上がると、目の前にメジックバウンの継承者たちがいた。一ヶ月ぶりにここへと呼ばれてきた。足元
の白い召喚魔法陣がゆっくりと消えていく。
「ほう……魔法の力、なかなかの強さだな」
グリーディットさんが感心した様子で言った。挨拶が始まった。
「またお会いできて光栄です」
深く頭を下げてから挨拶した。
「こちらこそ、ビウさん」
ロフィさんが答えてから、全員が順に声をかけてくれた。
せっかくここに来たのだから、この一ヶ月で気になっていたことをまとめて聞いておこう。話し始めようとした。
「あの——」
「余の言った計画は進んでいるか?」
「……」
そうだ、ウェルティアンナ王国へ向かうという計画だ。もう少しで忘れるところだった。しかもヴァンセアさんにボロンフィアへ行くなと言われていたのに、つい先ほど依頼でそこへ行って気絶してしまった。どう説明すればいいか。
黙り込んでいると、ヴァンセアさんが背中を叩いてきた。毛に覆われた大きな手のひらが背中に当たって、冷たいような感覚が走った。
「何か言うことがあるだろ。先に言え」
「いえ、何もないです。ヴァンセアさんから先にどうぞ」
ヴァンセアさんが首を傾けてため息をついてから続けた。
「ウェルティアンナ王国への計画は進んでいるのか」
「はい……えっと、なんと言えばいいか」
「進んでいるかどうかだけ答えればいい」
ヴァンセアさんが爪を出して背中に押し当て、筋肉を軽くつついてきた。
「はい!進んでいます!テンツの護衛を辞めてグラットカトル王国を一人で出て、今はヘヴェル国のラアスの街にいます!」
「よろしい」
震える声で答えた。鋭い爪が背中に当たっている。
「ヴァンセア、継承者にそんな手を使わないで」
フリークさんが不満そうに言うと、ヴァンセアさんが爪を引っ込めた。
思わず変な言葉が飛び出しそうになった。
ともかく、ここに来るのはこれで二回目だ。ある程度の間隔もあいた。せっかくだから、この一ヶ月で経験したことを報告しよう。
「この一ヶ月、ビウさんはいかがでしたか?」
ロフィさんが、まるで心が読めているかのように聞いてくれた。
「そうですね……本当にいろんなことがありました」
グラットカトル王国を出てから、何日も食事ができないまま行き倒れてハンネスとシャリオンに出会ったこと、テンツのベルトの留め金がきっかけで事情聴取されたこと、魔法をいくつか練習して錬金術もできるようになったこと、ヘヴェル国でさまざまな種族と生活したこと、この世界の言葉や時間の数え方を覚えたこと。あとはボロンフィアへ行ったことを言うべきかどうか……
「この一ヶ月で、グラットカトル王国を出てヘヴェル国へと向かいました。グリフェラー家の制服のことで事情を聴かれましたが、最終的には無実で解放されました。二人の獣族の仲間もできて、魔法もいくつか使えるようになりました。錬金術も覚えました。男の姿には戻れていませんし、生理もあの日以来来ていません。以上です」
「一ヶ月にしてはなかなか濃い経験だな」
「そうですよ、エイスさん。いろいろと練習を重ねていました」
「少し気になったことがあるのですが、ビウさん。錬金術というのはどういうものですか?」
ロフィさんでもご存知ないのか。じゃあ実際に見せてみよう。
「見せますね、ロフィさん。複数の魔法を反応させる感じです」
そう言って、両手に魔法を発動させた。継承者全員の視線が集まった。
氷を作ってみよう。左手に水の魔法、右手に風の魔法を使いながら、両手をゆっくりと近づけて、風の魔法に水の魔法より多く魔力を流し込む。風が冷気となって水を冷やしていく。普通の水が固まり始めて、やがて氷になった。
「あー……」
「水と風の氷魔法か……」
「どこかで見たことある気がするな」
「錬金術というのはこういうことか……」
ちょっと待ってください皆さん。なんでそんな言い方をするんですか。その目は何ですか。これはちゃんとした錬金術ですよ?
「あなたはまだ魔法のことをあまりわかっていないのかもしれないわね……」
フリークさんがそう言いながら、杖を持っていない方の手を差し伸べてきた。
「あなたが言う錬金術と私が思うものはまったく違う。でも私が言ったからって私が絶対に正しいわけでもないの。でも水と風の氷魔法なら私が見せてあげる」
そう言って、フリークさんが差し伸べた手から莫大な魔力のオーラが溢れ出した。継承者全員の頭上に、巨大な氷の塊が現れた。
「わあっ!」
驚いて尻もちをついた。ちょっと待って。僕が錬金術で作ったのと同じものでも、あの大きさで出せるのか。あんな大きさのものを出すことは自分にはできない。いや、できるのか。
「氷魔法は水魔法を基礎にして、形と条件を色々と決めて魔力を流し込むと、決めた通りの魔法の形が現れる」
そういうことか!つまり自分の錬金術は無駄遣いだったのか。
「あなたがやろうとしていることも、氷魔法とそれほど変わらない。でも二つの魔法を同時に使って反応させると魔力の消費が多くなりすぎる。片方の手に魔力を集中させて、使いたい魔法のイメージを決めて、そこに魔力を注ぎ込んでその形として出す。各属性の魔法の基礎があることが前提だけど。言葉で伝えきれるかわからないけど、私が言えるのはこれだけよ」
目が覚めた。さすが第三世代の継承者フリークさんだ。なぜこんなに的確に教えられるのか。
でも待って、フリークさんが言ったことで思い当たることがある。「形と範囲を決めてから魔力を注ぎ込む」——これは以前に自分で気づいたことと同じだ。なぜこの一ヶ月、それを練習しなかったんだろう。
フリークさんが言った、各属性の魔法の基礎を持つこと。
ちょっと待って。もし各属性——地、水、風、火、雷、光、闇——それぞれに基礎があるとしたら、クスや先輩たちはそれぞれ一つの属性しか使えないけど、それは他の属性の魔法を使えないということではないはずだ。
つまりこの並行世界では、一人が一つの属性しか使えないというわけではないんだ。
深く理解できた気がした。みんな思い込んでいただけなんだ。
「本当にありがとうございます、フリーク先生」
思わずフリークさんを先生と呼んでしまった。深く頭を下げると、ヴァンセアさんの手が背中を引っ張って立たせてくれた。
「それはそれとして、魔法は属性魔法だけじゃないのよ。ロフィ様、あなたの召喚の力をお借りできますか?」
「もちろんよ」
ロフィさんの召喚魔法陣が床一面に広がり、白い光が輝いた。巨大な盾の姿が現れた。見覚えがないが、シーリン先輩のものに形は似ている。白い盾に、苦しむ魔族たちの顔が中央に刻まれていた。
「ファリード盾——五百年前の勇者のものよ」
「この盾、本当に懐かしいですね、ロフィ様」
ファリード。勇者の名前か。この世界の重要人物の伝記本を探さなければと思った。
「さあビウ、よく見ていなさい」
フリークさんが杖を両手で握り、ファリード盾へと向けた。莫大な魔力が杖に集まっていく。ファリード盾がある一点に押しつぶされていくように感じた。
「ペスフォル!」
瞬時に巨大な盾が圧縮されて粉砕された。ヴァンセアさんが後ろで拍手をしている。
自分は圧縮されていく盾を見つめることしかできなかった。もし自分があの場にいたら、体がぐしゃぐしゃになって跡形もなかっただろう。
思わずゴクリと唾を飲んだ。恐怖の方が大きかった。持っていた杖が手から落ちた。
「これが属性魔法に頼らない魔法よ」
「フリークさん、すごすぎます」
しばらくするとファリード盾が元に戻った。さすが勇者の盾だ。
「でも私の魔力ではロフィ様ほどの量はないから、盾の回復をこれ以上遅らせることはできないわ」
テンツのテシャドヴォルに似ている。でもこの仕組みは何となくわかった気がする。
「せっかく来たんだから、ファリード盾に力を使ってみなさい」
「私もそう思う。試してみなさい」
「第六世代の継承者としてのビウさんの力を、私も見てみたいわ」
フリークさん、グリーディットさん、ロフィさん三人の視線が向いてきた。この状況は少し気まずい。
もうやるしかない。
「わかりました。やってみます」
そう言って盾から数十メートル離れた。杖をファリード盾へと向けた。
ジタ波を発動させる。糸状の波が盾へと集まっていく。すべてが遅くなる感覚。ジタ波が完成した。
次に、形を決める。アイアンプルの形——できるだけ鋭く。速さは、回転音が出るほど魔力を絞り込む。範囲は盾のみ、広がらない。
ジタ波がすべてをスローにしているが、回転するアイアンプルは普通の速さで回り続けている。飛ばしたい衝動があるが、待て。目標もなしに飛ばすことはない。
ここで火の魔法の魔力を絞り出してみよう。ブレスレットから流れ出す魔力を感じ取れた。
オレンジ色の炎がアイアンプルを包んだ。ブレスレットから紫の光が、杖の先端からオレンジの光が放たれた。
待て、もう少し……
「えっ!」
ジタ波の糸が消えた。残っているのはスローの感覚だけだ。
なぜ。急に消えるのか。どういうことだ。
糸が消えてしまった。前にあるのはファリード盾だけだ。自分でなんとかするしかない。
「アイアンプル・レッドフレイム!」
オレンジの炎を纏った鋭い鉄の弾丸——アイアンプル・レッドフレイム。火の魔法と合わさったアイアンプルだ。
見た目がこれまでとは違う。勇者よ、申し訳ない。これは力の試験なんです。どうか天から許してください。
受け取ってくれ、アイアンプル・レッドフレイム。
放った瞬間、ファリード盾に穴が空いたような感覚があった。魔力が一点を突き抜けていく。
ガンッ!!
……飛んだ。
「……」
何も残っていなかった。床に炎が散らばっているだけだ。
ファリード盾が粉砕された。
ファリード盾の白い粉末が目に舞い込んでくる。あの轟音がまだ耳に残っている。
成功した。
「……すごい、ビウさん!」
ロフィさんが後ろで感嘆の声を上げた。
ファリード盾を砕いた。
「なんでそんな威力が出るんだ」
「これがビウの魔法の力か」
「一撃でファリード盾が砕けたのか」
アイアンプル・レッドフレイムは失敗しなかった。ファリード盾も砕けた。ブレスレットから魔力が流れ出す感覚はまだ残っている。魔法の合成と集中を一度でやるのは難しい作業だとわかった。でも今の感覚を覚えておけば、練習を重ねれば必ずうまくなる。
「まさか……ファリード盾があの子の力で砕けるとは。す、すごい……」
ヴァンセアさんが驚いた様子を見せてから「羨ましいくらいよ」と呟いた。一撃でこれほどの威力が出るとは自分でも思っていなかった。
「すごいよビウ。これからも魔法の練習を続けよう」
「はい!」
ガシャン!
ブレスレットが紫色の光を放った。
久しぶりにこの音を聞いた。ブレスレットが光るとき、それが何を意味するかはもうわかっている。男の姿に戻るときの合図だ。
でもこんな場所で男に戻るのか。まあ、悪くないか。しばらく会えていない「弟分」に会いたいな。
ふわっ
紫の光がすっと消えた。
男に戻れなかった。最初からそう思っていた。
さようなら、僕の弟分よ。獣の本能が宿る男の体よ。
さようなら……
「どうしたんだ、若者。ブレスレットが」
「何でもないですよ、エイスさん。フリークさん、お願いがあるんですが」
「あ……うん、いいわよ、こっちへ来なさい」
男の姿に戻れなかったことは悲しいが、それでも自分の本来の体が懐かしい。
きっともう戻れない。男の姿も、元の世界も。お母さんも、パンニャーも、天国のお父さんも。
お父さん、お母さんに黙って消えてしまってごめんなさい。許してください。
お母さんは強い人だ。お父さんがいなくなった後も、お父さんが言い残したことを全部守って僕を育ててくれた。
自分もお母さんみたいに、心の強い人間になりたい。
「若者、大丈夫か……?」
気がつくと泣いていた。そんなつもりはなかったのに。泣きたかったのかもしれない。自分は一体何をしているんだろう。
自分はメジックバウンの継承者だ。並行世界と現実世界を歪めてきたケティフを倒さなければならない。
あいつを必ず倒す!
「はい!大丈夫です!ケティフを絶対に倒してみせます!」
「さっきまで泣いていたのに急に燃え上がったな。火が消えないようにしろよ」
「消えても自分で再び点けますから!」
「若さというのは熱いものだな」
ケティフよ、たとえ十年かかっても必ずお前を倒す。
「ロフィさんに聞きたいことがあります」
ずっと気になっていたことがある。フィッシャン・ティアンナ——ティアンナという名字を持ち、魔法が使える。ロフィさんの血筋なのか。
「はい、ビウさん。何ですか?」
「ロフィさんには、現代まで続く子孫がいますか?」
継承者全員がしんと静まり返った。グリーディットさんだけが少し違う反応をしていた。
「この子、何か勘違いしてるんじゃないの!ロフィ様にどうやって子孫がいるの!」
ヴァンセアさんが怒鳴った。勘違いをしていたらしい。継承者たちが互いに首を傾けていると、グリーディットさんが口を開いた。
「おそらく余の子孫のことだろう。余には子孫がいてな。最初はケティフの呪いを受けるかと思ったが、聖域の聖職者たちの協力で呪いが効かなかった。今頃はウェルティアンナ王国を治めているはずだ」
「フィッシャン・ティアンナ、ウェルティアンナ王国の王子、十七歳です」
「フィッシャン!?ウェルティアンナを治める若者か?」
ロフィさんが興奮した声で言ってから、微笑んだ。
「でも長い時間が経ったから、余の血筋も薄れているだろう。それでもティアンナの血を引く子孫がいる。ケティフの呪いはもう大きく影響しないかもしれない」
「わかりました。疑問が解けました、ありがとうございます」
グリーディットさんから真実を聞いた。フィッシャン・ティアンナ——サイビアと一緒にいるあの青年は、グリーディットさんの血筋だ。血が薄れてきたためにケティフの呪いが効かなくなったということか。何か特別な条件があるのかも少し気になったが、一番の疑問は解けた。
「ありがとう、グリーディットさん」
「どういたしまして、継承者よ」
今回の召喚ではいろんなことを得られた。ここに呼ばれてよかった。
「皆さん、本当にありがとうございました。次に呼んでもらったとき、また報告します!」
「道中、気をつけてな」
白い光が足元から現れた。魔法陣が広がっていく。帰る時間だ。ケティフ、必ず倒してやる。
***
「あ……はぁ……くはぁ……最高だったぞ」
「一度にみんなに声をかけるからクリストフィア様が選べなくなるんですよ」
「うわぁぁん……気持ちよかった、クリストフィア様、もっと獣を解き放ってください……うわぁぁ」
「クリストフィア様のあのお手並み、本当に淫靡だこと……うわぁ」
ペレイアン国、ゴダオ王国のスラムにある娼館から漏れてくる娼婦たちの声。東の果て、北の地——冒険者たちが欲に溺れることで有名なその場所に、一人の青年が姿を見せた。背中には無数の剣傷。両腕には謎めいた文字が刻まれている。邪悪な気配が体を包んでいた。その青年が娼婦たちと情事の最中にあった。
クリストフィア・ファーニング——風の魔法と謎の大鎌を使う青年。
「満足させたいなら、もっと速くしろ、このだらしない者め!」
「うわぁぁ……クリストフィア様ってひどい……」
ウェルティアンナ王国の兵士との戦いで負った傷跡。王国の魔法の秘宝を盗み出すために乗り込み、ロフィ・ウェルティアンナの偉大な女魔法使いの魔法の宝石、ウェルルビーを城から奪い去った。その王国では悲劇が起きた。数百人の兵士が殺された。青年は複数の王国から指名手配されていたが、行く手を遮った者はすべて屍となった。青年の目的は古代の魔法の秘宝を集めること。そのために殺戮が必要だった。良心が体に警鐘を鳴らしているが、世界を支配するという約束と計画は止まらない。
この売女どもの手管はたいしたものだな、人間よ
娼婦四人と男一人。ベッドの上で娼婦たちが青年に組み敷かれていた。飢えた獣が欲を放出しようとしていた。
突然、娼婦の一人がベッドの下から刃物を取り出した。青年の喉元へと振り下ろそうとした。
「!?」
青年の右手がその娼婦の首を掴んだ。他の娼婦たちは光景を目にして逃げ出した。
「何をするつもりだ?」
「は……放して……!」
「答えてから言え。何をするつもりだった」
娼婦は必死に足を使って顔を蹴ろうとした。
「くっ!!」
「答えないなら、ここで死ね」
刃物が手から落ちた。もがいていた脚がやがて止まった。
「ちっ!売春で生計を立てながら盗みまでするとは」
そう言ってクリストフィアは浴室で体を洗い、服を着た。紫色の服に白と黒のマントが対照的な組み合わせだ。すべて整ってから荷物を確認した。
全部揃っている。ウェルルビーと金。金貨五十枚は盗まれたが、必要なものはそのままだ。
荷物を閉じてから娼婦の屍の傍らへ歩いていき、火の魔法で火をつけた。
炎が旅館全体に広がっていった。通りを行き交う人々が足を止めた。
「旅館が燃えてるぞ!」
「水の魔法が使える冒険者を呼べ!」
「くそっ、俺の金が!」
数十人の声が騒然とする中、火をつけた当の青年はすでに姿を消していた。
「気分がいいな」
青年の体の中で魔王の声が響いた。
ケティフよ、やりすぎだ
「余にやりすぎはない。この体は余のものだ。やりたいことはまだ終わっていない」
ケティフ!……まあいい
「協力的でいい。そろそろこの腐った王国を出る時間だ」
何をするつもりだ!?
「汚れたものを清めるだけだ」
ゴダオ王国で激しい地震が起きた。地面の亀裂が広がった。瞬く間に建物が倒れ、人々を押し潰した。子どもも例外ではなかった。この王国で屍の山が積まれていった。ケティフの冷酷な破壊が始まった。




