第75話 「チェーン荘の料理長」
高級レストランの料理人に逃げられた翌日。
チェーン荘の居間では、ふたたび会議が開かれていました。
議題は、ひとつ。
チェーン荘の料理長を誰にするか。
「昨日の料理人さん、逃げちゃったわね」
エリカちゃんが、少し残念そうに言いました。
「うん。逃げたね」
海斗君は、疲れた顔で答えました。
「条件はよかったと思うの」
「条件はよかったと思うよ」
「なのに、どうして逃げたのかしら」
「勤務地だと思うよ」
「チェーン荘、いいところなのに」
「住んでる僕たちは慣れてるけど、外の人には刺激が強すぎるんだよ」
エリカちゃんは首をかしげました。
チェーン荘の何が刺激的なのか、本人にはよくわかっていません。
玄関からチェーンソーを持ったオートマタが出ること。
トイレから花子さんが出ること。
化け猫さんが夜中に人の枕元で二本足で立っていること。
エリポンが急に煙を出して化けること。
マリンちゃんが食器を溶かすこと。
地下室に見てはいけないものが多いこと。
住民にとっては日常でした。
「料理人なら、私がやりましょうか?」
花子さんが、昨日と同じことを言いました。
今回は、全員が花子さんを見ました。
「花子さん、本当に料理できるの?」
海斗君が聞くと、花子さんは胸を張りました。
「できるわよ」
「どこで?」
「トイレで」
海斗君は、また目を閉じました。
「やっぱりそこなんだ……」
「失礼ね。トイレは水回りよ」
「水回りだけど、厨房じゃないよ」
「水道、排水、換気、個室空間。料理に必要なものはそろっているわ」
「最後の個室空間は料理に必要ないよ!」
「集中できるわ」
「集中する場所じゃないよ!」
そんな海斗君の突っ込みをよそに、恵那ちゃんが算盤をぱちぱち鳴らしました。
「厨房建設費、削減」
「恵那ちゃん?」
「花子さんなら、既存設備で調理可能」
「既存設備って、トイレだよ!?」
「追加投資、少」
「そこを見るんだ……」
秀明おじさんも、腕を組んで頷きました。
「まあ、設備として考えりゃ、水道も排水も換気もある。理屈は通ってるな」
「おじさんまで納得しないで!」
「ただし、保健所は通らねえな」
「そこは冷静なんだ!」
エリカちゃんは、ぱん、と手を叩きました。
「それじゃあ、みんなの料理担当を決めましょう」
「料理担当?」
「役割分担よ。みんなで協力すれば、毎日おいしいご飯が食べられるわ」
「うん。それはいいことだね」
海斗君は、少しだけ安心しました。
みんなで協力。
いい言葉です。
家庭的で、温かくて、平和です。
ただし、ここはチェーン荘でした。
平和は、だいたい三秒くらいしか持ちません。
「まず、私は切り専門ね」
エリカちゃんが言いました。
「切り専門?」
「野菜でも肉でも魚でも、私がきれいに切るわ」
「包丁で?」
「カトリーヌで」
「だめ!」
海斗君は即座に止めました。
「チェーンソーで食材を切っちゃだめだよ!」
「どうして? 大根なら一瞬よ」
「一瞬で飛び散るよ!」
「キャベツの千切りもできるわ」
「千切りじゃなくて粉砕になるよ!」
「骨付き肉も楽々よ」
「料理じゃなくて解体だよ!」
エリカちゃんは、不満そうに頬を膨らませました。
「海斗君は細かいわね」
「料理に関しては細かくするよ!」
「でも、切るのは得意よ」
「それは知ってるけど、得意の方向が料理向きじゃないんだよ!」
すると、カトリーヌが部屋の隅で小さく唸りました。
ウィン。
「カトリーヌもやる気よ」
「やる気を出さないで!」
次に、エリカちゃんは海斗君を指差しました。
「海斗君は、お袋料理専門ね」
「お袋料理?」
「うん。お味噌汁とか、お茶漬けとか、卵焼きとか、肉じゃがとか、お弁当とか」
「それなら作れるよ」
「海斗君のご飯は落ち着くわ」
エリカちゃんがそう言うと、海斗君は少しだけ顔を赤くしました。
「そ、そうかな」
「うん。海斗君のご飯は、毎日食べたいわ」
「えっ」
海斗君の耳まで赤くなりました。
恵那ちゃんは、すっと帳簿に書き込みました。
「海斗君、家事労働価値、高」
「計算しないで!」
「通い妻枠」
「違うよ!」
「朝ご飯、お弁当、看病飯。主婦力、高」
「小学生だよ僕!」
花子さんも頷きました。
「海斗君のご飯はいいわよね。家庭の味って感じで」
「花子さんまで……」
「私の料理は技術。海斗君の料理は生活ね」
「なんか急に深いこと言わないで」
続いて、エリポンが元気よく手を上げました。
「エリポンは食べ専門でちゅ!」
「知ってた」
海斗君は即答しました。
「エリポン、作る方は?」
「食べる方が得意でちゅ!」
「片付けは?」
「食べるでちゅ!」
「味見は?」
「いっぱい食べるでちゅ!」
「それ、味見じゃなくて食事だよ!」
エリポンは胸を張りました。
「おいしいかどうかは、エリポンのお腹が判断するでちゅ!」
「君のお腹、すぐ壊れるよね」
「壊れても判断するでちゅ!」
「判断基準が命がけすぎるよ!」
その横で、マリンちゃんが、ぷるん、と揺れました。
「マリンちゃんは、溶かす専門ね」
エリカちゃんが言いました。
「溶かす専門って何!?」
「固いものを溶かしてくれるわ」
「食材を!?」
マリンちゃんは、近くにあったスプーンをじっと見ました。
じゅう。
「あー! スプーン溶けた!」
海斗君が叫びました。
マリンちゃんは、満足そうにぷるんと揺れました。
「マリンちゃん、銀食器は溶かしちゃだめって言ったでしょ!」
ぷるん。
「返事はかわいいけど、スプーンがなくなったよ!」
恵那ちゃんが、すっと算盤を弾きました。
「損失計上」
「やめて!」
秀明おじさんは、腕を組んで言いました。
「じゃあ俺は、レトルトとインスタント専門だな」
「おじさん、料理できないの?」
「できるぞ。カップ麺に湯を入れる。レトルトカレーを温める。冷凍チャーハンを炒める」
「それ、料理って言っていいのかな……」
「生きていけるなら料理だ」
「たくましいけど、料理長には向いてないよ」
秀明おじさんは、ふっと遠い目をしました。
「昔は忙しくてな。現場から帰って、カップ麺食って、寝る。そんな生活だった」
「おじさん……」
「だから三分待つのは得意だ」
「得意分野が狭い!」
「あと、袋ラーメンに卵を落とす技術もある」
「急に生活感があるね」
恵那ちゃんは、最後に自分を指差しました。
「私は出前専門」
「料理しないんだ!?」
「料理はしない。選ぶ」
「選ぶ?」
「クーポン、ポイント還元、送料無料、配達時間、レビュー、量、原価、満足度。総合判断」
「それ、料理担当じゃなくて発注担当だよ!」
「大事」
「たしかに大事だけど!」
恵那ちゃんは、すでに数枚のチラシを並べていました。
寿司。
ピザ。
中華。
カレー。
うな重。
なぜか精進料理。
「この店、初回二十パーセント引き」
「こっちはポイント十倍」
「こっちは大盛り無料」
「この寿司屋は、穴子の評価が高い」
「恵那ちゃん、調べすぎだよ!」
「勝負は注文前に決まる」
「出前で勝負しないで!」
最後に、花子さんが胸を張りました。
「私は料理長ね」
「トイレ料理長……」
海斗君が小声でつぶやきました。
「違うわ。水回り料理長よ」
「言い方を変えても、トイレなんだよ」
「じゃあ、実力を見せるわ」
花子さんは、すっと女子トイレへ消えました。
チェーン荘のトイレです。
普通の家なら、ただのトイレです。
しかし花子さんにとっては、厨房でした。
ぱたん。
個室の扉が閉まります。
しばらくすると、中から音が聞こえてきました。
とんとんとん。
じゅうううう。
ことことこと。
ごぼごぼごぼ。
しゃり、しゃり。
ぱちぱちぱち。
「……海斗君」
「聞こえてるよ」
「トイレから、料理の音がするわ」
「聞こえてるけど、チェーン荘だともう驚く人が少ないね……」
そして数分後。
「お待たせ」
花子さんが、女子トイレから大きなお盆を押して出てきました。
まず、きれいに盛られた刺身。
次に、握り寿司。
揚げたてのとんかつ。
皮目がぱりっとした焼き魚。
トマトソースのパスタ。
ほくほくの肉じゃが。
チーズの焼き目がついたドリア。
魚介の香りが広がる海鮮ブイヤベース。
そして、いちごのホールケーキ。
どれも完璧でした。
ただし、全部トイレから出てきました。
「花子さん、すごいわ」
エリカちゃんが目を輝かせました。
「でしょ」
「お寿司までできるのね」
「個室一番は寿司場よ」
「寿司場にしないでほしいけど、もう今さらだね……」
海斗君は苦笑しました。
「二番は揚げ場」
「とんかつ用ね」
「三番は焼き場」
「焼き魚ね」
「四番は洋食と菓子」
「ホールケーキまで出てくるのはすごいわ」
「手洗い場は洗い場」
「そこだけ名前が合ってるのが嫌だよ」
エリカちゃんは刺身を食べました。
「おいしいわ」
エリポンはとんかつに飛びつきました。
「揚げたてでちゅー!」
ぱくっ。
「あちゅいでちゅー!」
「だから揚げたてって言ったでしょ!」
マリンちゃんは、ブイヤベースの鍋をじっと見ていました。
ぷるん。
「マリンちゃん、鍋は溶かしちゃだめ。食べるなら中身だけ」
ぷるん。
「返事が信用できない……」
秀明おじさんは寿司をつまみ、頷きました。
「うめえな」
「おじさん、トイレから出てきたの気にしないの?」
「チェーン荘に住んでりゃ、今さらだろ」
「まあ、それはそうかも……」
恵那ちゃんは、料理を見て算盤を弾きました。
「外食費削減。品質向上。花子さん採用」
「採用が早いね」
「ただし、来客には調理場所を省略」
「省略していいのかな……」
「外部反応、悪い」
「悪いと思うよ」
花子さんは、ふふんと笑いました。
「まだ本気じゃないわ」
「これで!?」
「今日は急ぎだったから」
「急ぎで寿司とブイヤベースとホールケーキが出るの!?」
「本気なら、北京ダックも焼けるわ」
「焼かなくていいよ!」
エリカちゃんは満足そうに頷きました。
「決まりね」
「決まり?」
「チェーン荘の料理長は、花子さん」
「ありがとう」
花子さんは、胸を張りました。
「ただし、海斗君は家庭料理長ね」
「家庭料理長?」
海斗君が首をかしげます。
「花子さんは、すごい料理を作る人。海斗君は、毎日食べたいご飯を作る人」
エリカちゃんがそう言うと、海斗君は固まりました。
「……毎日?」
「うん。海斗君のご飯は、安心するもの」
海斗君の顔が、みるみる赤くなりました。
花子さんは、それを見てにやりと笑いました。
「負けたわ。味とは別のところで」
「勝ち負けなの!?」
こうして、チェーン荘の料理長は決まりました。
料理長、花子さん。
家庭料理長、海斗君。
切り専門、エリカちゃん。
食べ専門、エリポン。
溶かす専門、マリンちゃん。
レトルトとインスタント専門、秀明おじさん。
出前専門、恵那ちゃん。
つまみ食い専門、化け猫さん。
そして、カトリーヌは調理器具ではありませんが、なぜか調理場の近くで待機することになりました。
その日の冷蔵庫には、新しいメモが貼られました。
料理は、できるだけ台所で作りましょう。
トイレで寿司を握っても、来客には調理場所を説明しすぎないようにしましょう。
「トイレ産」と言うと外の人が驚きます。
その下に、花子さんの字でこう書き足されていました。
産地偽装ではありません。調理場所を省略しているだけです。
さらにその下に、海斗君の字でこう書き足されていました。
それはたぶん説明した方がいいやつです。
さらにその下に、恵那ちゃんの字でこう書き足されていました。
外部販売は要検討。
さらにその下に、秀明おじさんの字でこう書き足されていました。
保健所は通らねえぞ。




