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第74話 「エリカちゃんと専属料理人」



 高級レストランに行った翌日。


 エリカちゃんは、チェーン荘の居間で真剣な顔をしていました。


「海斗君」


「なに?」


「昨日のお肉、おいしかったわね」


「うん。すごくおいしかったね」


「また食べたいわ」


「たまにならいいんじゃないかな」


「たまにじゃなくて、毎日」


「毎日!?」


 海斗君は目を丸くしました。


「でも、毎日あんな高級レストランに行くのは大変だよ」


「じゃあ、料理人さんに来てもらえばいいわ」


「えっ」


「チェーン荘専属料理人よ」


「発想がすごいよ!」


 海斗君は全力で止めようとしました。


 しかし、その横で惠那ちゃんが算盤を取り出しました。


 ぱちぱちぱち。


「可能」


「可能なの!?」


「年俸、契約金、厨房改装費、食材費。全部、計算上は可能」


「計算上はって言い方が怖いよ!」


「お金はある」


「問題はそこじゃないよ!」


 秀明おじさんが新聞を読みながら、ぼそっと言いました。


「厨房改装なら、俺がやれるぞ」


「おじさんまで乗らないで!」


「いや、今の台所でプロを呼ぶのは失礼だろ」


「呼ぶ前提になってる!」


 エリカちゃんは、にっこり笑いました。


「決まりね。昨日のお店に行って、料理人さんをスカウトしましょう」


「スカウトって、そんな簡単に……」


「お金はあるわ」


「お金で解決しようとしないで!」


 こうして、エリカちゃんたちは再び銀座の高級レストラン、銀の鹿亭へ向かうことになりました。


 もちろん、今回は食事ではありません。


 目的は、料理人の引き抜きです。


 夕方。


 銀の鹿亭の入口に、エリカちゃんたちは立っていました。


 エリカちゃんは白いワンピース。


 海斗君は小さなスーツ。


 惠那ちゃんは帳簿を抱え、秀明おじさんは妙に真面目な顔で立っています。


 エリポンは蝶ネクタイをつけています。


 花子さんは、すでに店内の化粧室から偵察を済ませていました。


「厨房は奥ね」


「花子さん、勝手に偵察しないで!」


「トイレからなら自然に入れるわ」


「自然じゃないよ!」


 黒服のスタッフが、丁寧に頭を下げました。


「いらっしゃいませ。本日はご予約でございますか」


「今日は食事ではないわ」


「では、どのようなご用件でしょうか」


「料理人さんをもらいに来ました」


 スタッフの笑顔が、ぴしっと固まりました。


「……料理人を、でございますか」


「はい。昨日のお肉を焼いた人がほしいです」


「お客様。当店の料理人は、販売しておりません」


「販売じゃないわ。雇用よ」


「なおさら困ります」


 そこへ、惠那ちゃんが一歩前に出ました。


 小さな手で、一枚の紙を差し出します。


 そこには、こう書かれていました。


 チェーン荘専属料理人募集条件


 年俸 二千万円より応相談

 契約金 一千万円

 厨房新設

 食材費別枠

 住み込み可

 個室あり

 危険手当あり

 怪異対応手当あり

 チェーンソー騒音手当あり

 狸食害手当あり

 トイレ幽霊対応手当あり


 スタッフは、最後まで読みました。


 そして、無言になりました。


「……少々、お待ちください」


 数分後。


 店の支配人と、昨日の肉料理を担当した料理人がやってきました。


 料理人は、白いコック服を着た、きりっとした顔の男性でした。


「私が昨日の肉料理を担当した者です」


「あなたね」


 エリカちゃんは目を輝かせました。


「昨日のお肉、とてもおいしかったわ」


「ありがとうございます」


「だから、うちに来て」


「……はい?」


「毎日、お肉を焼いてほしいの」


「お嬢様、ありがたいお話ですが、私はこの店の料理人ですので」


「年俸二千万円」


 惠那ちゃんが静かに言いました。


 料理人の眉が少しだけ動きました。


「契約金一千万円」


 眉がもう一度動きました。


「厨房新設。食材費別枠。個室あり」


 料理人は、少し真剣な顔になりました。


 支配人の顔が青くなります。


「お客様、当店の料理人を本気で引き抜こうとなさらないでください」


「でも、お金はあるわ」


「そういう問題ではございません」


 料理人は咳払いをしました。


「条件だけは、非常に魅力的です」


「本気で検討しないでください!」


 支配人が叫びました。


「ただし」


 料理人は、募集条件の紙を見ました。


「この、危険手当とは何でしょうか」


「チェーン荘は、少し危ないの」


 エリカちゃんは正直に答えました。


「少し?」


 海斗君が小声でつぶやきました。


 料理人は続けます。


「怪異対応手当とは」


「花子さんとか、化け猫さんとか、マリンちゃんとか」


「マリンちゃん?」


「スライムです」


「スライム」


「銀食器を溶かすことがあります」


「銀食器を」


「でも、悪い子ではないわ」


「悪い子かどうかの問題でしょうか」


 料理人の表情が、少しずつ固まっていきました。


「チェーンソー騒音手当とは」


「朝稽古のときに、少し音がするの」


 エリカちゃんが言いました。


「少し?」


 海斗君がまた小声で言いました。


「どの程度の音でしょうか」


「ウイイイイイイイイイイイン、くらい」


「それは少しではありませんね」


「慣れれば平気よ」


「慣れる必要がある職場なのですね」


 料理人は、紙をそっと置きました。


「狸食害手当とは」


「エリポンが、たまにつまみ食いするでちゅ!」


 エリポンが元気よく手を上げました。


「たまに?」


「毎日でちゅ!」


「正直でちゅね!」


「それ、自分で言うことじゃないよ!」


 海斗君が慌てて止めました。


 料理人は、ゆっくりとエリポンを見ました。


 そして、花子さんを見ました。


 花子さんはにっこり笑って、半分だけ壁から出ていました。


「こんにちは」


「……壁から出ていませんか」


「トイレが近くにないから、少し無理してるの」


「無理して出るものなのですね」


 料理人の額に、汗が浮かびました。


「最後に、確認してよろしいでしょうか」


「いいわよ」


「勤務地は、どちらですか」


「チェーン荘よ」


 その名前を聞いた瞬間。


 料理人の顔色が変わりました。


「チェーン荘……?」


「知ってるの?」


「入った人間が、帰ってこないと噂の……」


「帰ってくる人もいるわ」


「帰ってこない人もいるんですね」


「細かいことは気にしちゃだめよ」


「いえ、そこは気にします」


 料理人は、静かに一歩後ろへ下がりました。


「大丈夫よ。妙なことをしなければ斬らないわ」


「斬る可能性があるのですね」


「失礼ね。私はむやみに斬らないわ」


 その瞬間。


 クロークの方から、けたたましい音が響きました。


 ウイイイイイイイイイイイン!


 スタッフの悲鳴が聞こえました。


「カトリーヌ!」


 エリカちゃんが振り向きました。


「預けていたチェーンソーが、自力で出てきた!?」


 海斗君が叫びました。


 チェーンソーケースが床をずるずる動きながら、こちらへ近づいてきます。


 中から、怒ったようなエンジン音。


「ごめんね、カトリーヌ。置いていかれたと思ったの?」


 エリカちゃんがケースを撫でると、音は少しだけ静かになりました。


 料理人は、それを見ました。


 見てしまいました。


「……申し訳ございません」


「なに?」


「今回のお話は、大変ありがたいのですが」


「うん」


「辞退させていただきます」


「どうして?」


「命が惜しいので」


 料理人は、深々と頭を下げました。


 そして次の瞬間、厨房の方へではなく、なぜか非常口の方へ全力で走っていきました。


「あっ」


「逃げた!」


 エリポンが叫びました。


「追うでちゅ?」


「追わないよ!」


 海斗君が止めました。


 エリカちゃんは、不思議そうに首をかしげました。


「どうして逃げたのかしら」


「怖かったんだと思うよ」


「何が?」


「全部だよ!」


 支配人は、汗を拭きながら言いました。


「お客様、大変申し訳ございません。当店の料理人は、引き抜き不可ということで……」


「わかったわ」


 エリカちゃんは少し残念そうに頷きました。


「でも、昨日のお肉はおいしかったわ。また食べに来るわね」


「ありがとうございます。お食事でのご来店は、心よりお待ちしております」


「料理人さんは?」


「お持ち帰りはご遠慮ください」


「残念」


 こうして、専属料理人引き抜き作戦は失敗に終わりました。


 帰り道。


 海斗君はほっと息をつきました。


「よかった……」


「海斗君、どうしてほっとしているの?」


「だって、チェーン荘に専属シェフが来たら大変だよ」


「おいしいご飯が食べられるわよ」


「たぶん、三日で逃げるよ」


「失礼ね」


「今日、会うだけで逃げたよ」


「根性が足りないのね」


「普通の人は、チェーンソーが自力で動いたら逃げるよ」


 惠那ちゃんは、帳簿を閉じました。


「引き抜き失敗」


「うん」


「次回、条件見直し」


「次回あるの!?」


「危険手当、増額」


「そこじゃないよ!」


 秀明おじさんは腕を組みました。


「まあ、考えてみりゃ、チェーン荘に来る料理人なら、料理の腕より胆力だな」


「胆力が必要な台所って何!?」


「あと、包丁よりチェーンソーに慣れてるやつがいい」


「そんな料理人いないよ!」


 エリカちゃんは、少し考えました。


「じゃあ、海斗君が料理長ね」


「えっ」


「外から来る人は逃げちゃうもの」


「僕?」


「海斗君のご飯、おいしいもの」


 海斗君は、少しだけ顔を赤くしました。


「でも、僕は高級料理は作れないよ」


「いいのよ」


「いいの?」


「高級なお肉もおいしかったけど、海斗君のお茶漬けの方が落ち着くわ」


「エリカちゃん……」


「でも、たまにはお肉も食べたいわ」


「うん。たまにならね」


 その夜。


 チェーン荘の台所では、海斗君が塩辛茶漬けを作りました。


 エリカちゃんは、それを食べて、ほっとした顔をしました。


「やっぱりこれね」


「高級料理より?」


「海斗君が作ったから」


 海斗君は、耳まで赤くなりました。


 惠那ちゃんは、横で帳簿に書きました。


 専属料理人引き抜き、失敗。

 理由、逃亡。

 次回対策、危険手当増額。

 代替案、海斗君を料理長に据える。


「惠那ちゃん、それ書かなくていいよ!」


 エリポンは、お茶漬けをのぞき込みました。


「エリポンも食べたいでちゅ」


「ゆっくり食べるんだよ」


「わかったでちゅ」


 ぱくっ。


「あちゅいでちゅー!」


「だから言ったのに!」


 花子さんは、銀の鹿亭の化粧室を思い出しながら、うっとりしていました。


「また行きたいわ。あそこのトイレ、よかった」


「料理じゃなくてトイレ目当てなんだ……」


 秀明おじさんは、新聞を読みながら言いました。


「まあ、料理人は逃げたが、台所の改装くらいはするか」


「本当にやるの?」


「海斗の坊主が料理しやすい方がいいだろ」


「おじさん……」


「ただし、チェーンソー置き場は別にしろ。油の近くに置くな」


「そこから!?」


 こうして、チェーン荘専属料理人計画は、初回にして失敗しました。


 理由は、待遇ではありません。


 給料でもありません。


 勤務地でした。


 なお、その日の冷蔵庫には、新しいメモが貼られました。


 料理人さんを引き抜くときは、職場環境を正直に説明しましょう。

 チェーンソーは、クロークで勝手に動かないようにしましょう。

 危険手当を出しても、逃げる人は逃げます。


 その下に、エリカちゃんの字でこう書き足されていました。


 でも、海斗君が料理長なら大丈夫。


 さらにその下に、海斗君の字でこう書き足されていました。


 僕は料理長じゃないよ。


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