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第72話 「エリカちゃんと冬休みの日記帳」



 三学期が始まりました。


 長かったようで、短かった冬休み。


 クリスマスケーキを作ったり、サンタさんが煙突から二人も落ちてきたり、大掃除をしたら屋根裏から人体模型の予備パーツが大量に出てきたり、初詣に行ったり、お年玉をもらったり。


 普通の小学生なら、楽しい冬休みで済むところですが、エリカちゃんの場合は、だいたい事件でした。


 それでも本人は、いつも通り元気です。


「海斗君、三学期ね」


「うん。三学期だね」


「冬休みって、あっという間だったわ」


「内容は濃すぎたけどね……」


 通学路を歩きながら、海斗君は少し遠い目をしていました。


 エリカちゃんは、ランドセルを背負って、金髪ツインテールを揺らしながら歩いています。


 右手には給食袋。


 左手には、なぜかチェーンソーケース。


「エリカちゃん、三学期初日からチェーンソー持っていくの?」


「もちろんよ。新年のあいさつみたいなものだもの」


「絶対違うよ」


「でも、カトリーヌも学校のみんなに会いたがっているわ」


「チェーンソーは会いたがらないよ」


 海斗君がそう言った瞬間、ケースの中から小さく、


 ウィン。


 と音がしました。


「ほら」


「ほらじゃないよ!」


 そんなやり取りをしながら、二人は学校へ向かいました。


 教室に入ると、久しぶりに会ったクラスメイトたちが、冬休みの話で盛り上がっていました。


「おばあちゃんの家に行った!」


「スキー行ったよ!」


「お年玉でゲーム買った!」


「ぼくは親戚の家でおもち食べすぎた!」


 楽しそうな声が教室に響いています。


 そこへエリカちゃんが入ってきた瞬間、少しだけ空気が変わりました。


「エリカちゃん、冬休み何してたの?」


 勇気あるクラスメイトが聞きました。


 エリカちゃんは、にっこり笑いました。


「クリスマスにサンタさんを追い払って、大掃除で人体模型の部品を分別して、初詣で神様にお願いして、知らないおじさんたちからお年玉をもらったわ」


「……」


「……」


「……知らないおじさん?」


「ええ。お金持ちのおじさんたちだったわ」


 クラスメイトたちは、顔を見合わせました。


 小学生の冬休み話として、すでに何かがおかしい。


 しかし、エリカちゃんなので、深く聞くと危ない気がしました。


 そこへ、山本先生が教室に入ってきました。


「みなさん、おはようございます」


「おはようございまーす」


「冬休みは楽しかったですか?」


「はーい!」


「それはよかったです。では、始業式の前に、冬休みの宿題を集めます」


 その言葉に、教室が少しざわつきました。


 書き初め。


 計算ドリル。


 漢字プリント。


 そして。


「冬休みをどう過ごしたかの日記帳も、前に出してくださいね」


 その瞬間、海斗君の顔が少しだけ青くなりました。


「海斗君?」


「う、ううん。なんでもないよ」


「変ね」


 エリカちゃんは首をかしげながら、ランドセルから日記帳を取り出しました。


 表紙には、大きな文字でこう書かれていました。


 冬休みの日記

 神谷エリカ


 そして、その下に小さく。


 ※正直に書きました。


 と書かれていました。


 海斗君は、それを見てさらに青くなりました。


「エリカちゃん、あの……」


「なに?」


「日記、全部正直に書いたの?」


「もちろんよ。先生が、冬休みにあったことを正直に書きましょうって言っていたもの」


「うん……言ってたね……」


「だから、ちゃんと書いたわ」


「ちゃんと……」


 海斗君は、静かに目を閉じました。


 先生、ごめんなさい。


 心の中で、先に謝りました。


 やがて日記帳が集められ、山本先生の机の上に積まれました。


 始業式が終わり、教室に戻ってから、山本先生は宿題を確認し始めました。


 まずは計算ドリル。


 次に漢字プリント。


 エリカちゃんの漢字プリントには、


 「新年」の横に「新斬」と書かれていました。


「エリカちゃん」


「はい」


「新年は、新しく斬るではありません」


「新年一発目に何かを斬るのかと思いました」


「思わないでください」


 山本先生は赤ペンで直しました。


 次に書き初めです。


 みんなの書き初めには、「正月」「新年」「希望」「友達」など、普通の言葉が並んでいました。


 エリカちゃんの書き初めには、大きくこう書かれていました。


 海斗君


 山本先生は、しばらく沈黙しました。


「エリカちゃん」


「はい」


「書き初めの課題は、冬に関係する言葉でしたよね」


「私の冬休みに一番関係していました」


「気持ちはわかりますが、課題とは違います」


「でも、丁寧に書きました」


「丁寧なのが逆に困ります」


 海斗君は真っ赤になって机に伏せました。


 クラスメイトたちは、ひそひそ話を始めました。


「エリカちゃん、堂々としてる……」


「海斗君、真っ赤だ……」


「新年から強い……」


 山本先生は、こめかみを押さえながら、日記帳へ手を伸ばしました。


「では、日記帳を確認します」


 最初は普通でした。


 クラスメイトの日記には、家族でお出かけしたこと、親戚の家に行ったこと、おもちを食べたこと、お年玉をもらったことなどが書かれていました。


 山本先生は、ほっとした顔で赤ペンを入れていきます。


「うん、よく書けています」


「字が丁寧ですね」


「楽しい冬休みでしたね」


 そして、エリカちゃんの日記帳を開きました。


 十二月二十四日。


 海斗君とクリスマスケーキを作りました。

 スポンジをチェーンソーでサンタさんの形にしようとしたら、海斗君に止められました。

 チェーンソーでケーキを切ると、けばだちます。

 勉強になりました。

 来年はもっときれいに切りたいです。


 山本先生の赤ペンが止まりました。


「……ケーキをチェーンソーで切らないでください」


 赤ペンで、そう書きました。


 十二月二十五日。


 サンタさんが二人来ました。

 どっちも怪しかったです。

 煙突から入ってきたので、防犯設備が動きました。

 悪いものを配ろうとしていたので、回収しました。

 サンタさんは煙突から逃げました。

 クリスマスは大変だと思いました。


 山本先生は、静かに胃薬の場所を確認しました。


「……サンタさんは、煙突から逃げるものではありません」


 赤ペンで、そう書きました。


 十二月三十一日。


 大掃除をしました。

 屋根裏から人体模型の部品がたくさん出てきました。

 海斗君が、これは普通の家の大掃除じゃないと言っていました。

 でも、惠那ちゃんが掃除をすると金運が上がると言ったので、がんばりました。

 地下室の塩辛も整理しました。

 百二十本くらいありました。


 山本先生は、目を閉じました。


「……人体模型の部品は、家から出てこないのが普通です」


 赤ペンで、そう書きました。


 一月一日。


 初詣に行きました。

 神様にお願いしました。

 海斗君とずっと一緒にいられますように。

 あと、カトリーヌが今年もよく斬れますように。

 海斗君は、二つ目はいらないと言っていました。

 でも、大事なお願いです。


 山本先生は、少しだけ優しい顔をしました。


 最初のお願いは、小学生らしくてかわいらしい。


 最初のお願いだけは。


「……チェーンソーの切れ味を神様にお願いしないでください」


 赤ペンで、そう書きました。


 そして、問題のページにたどり着きました。


 一月二日。


 知らないおじさんたちから、お年玉をたくさんもらいました。

 みんな黒い車に乗っていて、まわりに黒い服の人がたくさんいました。

 すごくお金持ちなんだと思いました。

 おじさんたちは、ちゃんと名前を教えてくれました。

 外国の名前は難しかったので、名刺を貼っておきます。


 山本先生は、そこで手を止めました。


 日記帳のページには、本当に名刺が貼ってありました。


 一枚目。


 A国大統領


 二枚目。


 B国首相


 山本先生の顔から、すうっと血の気が引きました。


「……」


 教室の音が、遠くなりました。


 山本先生は、日記帳をそっと閉じました。


 そして、もう一度開きました。


 見間違いではありません。


 A国大統領。


 B国首相。


 きちんと肩書きが書かれた名刺が、かわいいシールで日記帳に貼られていました。


 しかも、シールはうさぎでした。


「……エリカちゃん」


「はい」


 エリカちゃんは、元気よく返事をしました。


「この、知らないおじさんたち、というのは」


「お年玉をくれたおじさんたちです」


「A国大統領、と書いてありますが」


「はい。そう言っていました」


「B国首相、とも書いてありますが」


「はい。そう言っていました」


「……知らないおじさんではありません」


「でも、初めて会いました」


「初めて会ったかどうかの問題ではありません」


「名前は聞きました」


「名前を聞けばいいという問題でもありません」


「名刺ももらいました」


「むしろ、名刺をもらっていることが問題です」


 山本先生の声が、少し震えていました。


 エリカちゃんは、不思議そうに首をかしげました。


「先生、A国とB国のおじさんって、有名なんですか?」


「有名というか……とても偉い方です」


「やっぱりお金持ちなんですね」


「そこではありません」


「でも、お年玉をたくさんくれました」


「たくさん、とは」


「袋が重かったです」


「袋」


「はい。ポチ袋です」


「ポチ袋に入っていたんですか」


「はい。とても大きいポチ袋でした」


「大きいポチ袋」


 山本先生は、言葉を失いました。


 大きいポチ袋とは、何でしょうか。


 それはもう、封筒ではないでしょうか。


 あるいは、書類ケースではないでしょうか。


「エリカちゃん」


「はい」


「知らない人から、お金をもらってはいけません」


「でも、お年玉です」


「お年玉でもです」


「お正月なのに?」


「お正月でもです」


「お年玉を断るのは失礼だと思います」


「相手によります」


「偉い人なら、なおさら失礼じゃないですか?」


「……それは、少し難しい問題です」


 山本先生は、頭を抱えました。


 小学二年生に外交儀礼の話をする日が来るとは、思っていませんでした。


「先生」


「はい」


「返した方がいいですか?」


 エリカちゃんが、きょとんとした顔で聞きました。


 山本先生は、すぐに答えられませんでした。


 返す。


 返さない。


 そもそも、何を、どこへ、どう返せばいいのでしょうか。


「……まず、大人に相談しましょう」


「先生も大人ですよ」


「先生だけでは足りない大人です」


「大人にも種類があるんですね」


「あります。今回ばかりは、あります」


 山本先生は深呼吸しました。


 そして、海斗君の日記帳を手に取りました。


 嫌な予感がしたからです。


 一月二日。


 エリカちゃんが、外国の偉い人たちからお年玉をもらいました。

 ぼくは、受け取っていいのかわかりませんでした。

 でもエリカちゃんは、

 「お年玉を断るのは失礼よ」

 と言っていました。

 たぶん、ぼくには止められません。

 先生、ごめんなさい。


 山本先生は、海斗君を見ました。


「海斗君」


「はい……」


「あなたは悪くありません」


「先生……」


「これは、小学生が止められる案件ではありません」


「やっぱりそうですよね……」


「むしろ、よく日記に書いてくれました」


「僕、書かない方がいいかと思ったんですけど」


「書いてくれて助かりました。胃は痛くなりましたが」


 山本先生は、次に惠那ちゃんの日記帳を開きました。


 一月二日。


 臨時収入あり。

 提供者、A国大統領およびB国首相。

 お姉ちゃんは「知らないおじさんたちからのお年玉」と認識。

 現金性、換金性、ともに高い。

 ただし出所および外交的扱いは要確認。

 没収回避を優先。

 税務処理は保留。


 山本先生は、静かに日記帳を閉じました。


「惠那ちゃん」


「はい」


「これは日記ではなく帳簿です」


「冬休みの出来事です」


「小学二年生の日記に、税務処理と書かないでください」


「大事です」


「大事かもしれませんが、先生の心臓に悪いです」


「先生、胃薬ありますか?」


「あります」


「売りましょうか?」


「持っています」


「残念」


「残念ではありません」


 山本先生は、机の引き出しから胃薬を取り出しました。


 それを見たクラスメイトが、ひそひそ話を始めます。


「先生、また胃薬飲んでる」


「エリカちゃんの日記、何書いてあったんだろう」


「外国の偉い人って聞こえた」


「冬休みの日記だよね?」


「冬休みの日記って、そんなに怖いものだっけ?」


 山本先生は、胃薬を飲みました。


 一粒。


 少し考えて、もう一粒。


「先生、二粒飲んだわ」


「エリカちゃんのせいだと思うよ」


 海斗君が小声で言いました。


「失礼ね。私は正直に日記を書いただけよ」


「正直すぎるんだよ……」


 その後、山本先生はエリカちゃんの日記帳の一月二日のページに、赤ペンでこう書きました。


 知らない人からお金をもらってはいけません。


 そして、少し悩んでから、下にもう一文加えました。


 たとえ名刺をもらっていても、必ず大人に相談しましょう。


 エリカちゃんは、それを見て首をかしげました。


「先生」


「はい」


「知らない人じゃなくなったら、もらっていいんですか?」


「そういう意味ではありません」


「でも、名前は知っています」


「名前を知っているだけでは、知り合いとは言いません」


「難しいですね」


「今回の件は、本当に難しいです」


 放課後。


 山本先生は、職員室でエリカちゃんの日記帳を前に置いていました。


 隣には、海斗君の日記帳。


 さらに、惠那ちゃんの日記帳。


 三冊を並べると、まるで事件資料のようでした。


「私は、冬休みの日記を読んでいただけのはずです」


 山本先生は、ぽつりと言いました。


「どうして、各国首脳の名刺が貼ってあるのでしょうか」


 職員室の先生たちは、遠巻きに見ています。


「山本先生、大丈夫ですか?」


「大丈夫ではありません」


「またエリカちゃんですか?」


「またエリカちゃんです」


 山本先生は、エリカちゃんの日記帳をそっと封筒に入れました。


 封筒の表には、赤いペンでこう書きました。


 要確認。職員室外持ち出し注意。


 そして、少し考えてから、もう一行付け足しました。


 お年玉の可能性あり。外交案件の可能性もあり。


 そこへ、教室から戻ってきたエリカちゃんが顔を出しました。


「先生」


「はい、エリカちゃん」


「日記、返してもらえますか?」


「今日は、先生が預かります」


「どうしてですか?」


「確認が必要だからです」


「お年玉の?」


「お年玉かどうかも含めてです」


「じゃあ、返すことになったら教えてください」


「はい」


「でも、できれば返したくないです」


「正直ですね」


「だって、お年玉ですから」


 エリカちゃんは、にっこり笑いました。


 山本先生は、少しだけ笑って、そしてまた胃のあたりを押さえました。


「エリカちゃん」


「はい」


「次から、知らない人にお年玉をもらったら、まず大人に言いましょうね」


「わかりました」


「本当に?」


「はい。先生に言います」


「もらう前にです」


「もらう前?」


「はい」


「でも、もらう前だと、お年玉かどうかわかりません」


「……」


 山本先生は、静かに胃薬の瓶を見ました。


 まだ残っています。


 よかった。


「海斗君」


「はい」


「次から、止められそうなら止めてください」


「がんばります」


「止められなかったら?」


「先生に言います」


「それでお願いします」


 こうして、エリカちゃんの冬休みの日記帳は、学校史上はじめて、宿題でありながら職員室で封筒管理されることになりました。


 なお、一月二日のページには、山本先生の赤ペンでこう書かれていました。


 知らない人からお金をもらってはいけません。


 その下に、翌日、エリカちゃんが鉛筆でこう書き足しました。


 でも、名前は知っています。


 さらにその下に、山本先生が赤ペンでこう書き足しました。


 名前を知っているだけでは、知り合いではありません。


 さらにその下に、惠那ちゃんが小さくこう書き足しました。


 資産管理は大人に相談。


 さらにその下に、海斗君が小さくこう書き足しました。


 先生、ごめんなさい。


 冬休みは終わりました。


 けれど、エリカちゃんの冬休みの日記帳は、しばらく職員室の机の奥で、静かに眠ることになったのでした。


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