第66話 「エリカちゃんとサンタクロース」
夜。
チェーン荘のリビングでは、クリスマスパーティーの余韻が、まだ残っていました。
ロウソクが消えたあとの、ほのかな匂い。
食べ残しのチキンの骨。
惠那ちゃんが弾き終えた算盤。
エリポンの、二度目のお腹を壊した寝息。
「いい夜ね」
「うん、いい夜だね」
エリカちゃんと海斗君が、ソファに並んで座っていました。
ふと、エリカちゃんが言いました。
「ねえ、海斗君」
「なに?」
「サンタって、本当にいるのかしら」
「……どうだろうね」
「来ると思う?」
「うーん、エリカちゃんの家に来るかなあ」
「失礼ね。私だってちゃんと、いい子よ」
「いい子の基準が、世界共通じゃないからね」
「うー」
そんな話をしていたときでした。
ガサ。
ガサ。
ガサガサガサ。
煙突から、何かが落ちる音がしました。
「……?」
「煙突?」
「うちって、煙突あったかしら」
「あったんだね、たぶん」
ガサ。
ボサ。
ドサッ!
暖炉(リフォーム時にエリカちゃんが「あったらかっこいい」と勝手につけたもの)から、何かが転がり出てきました。
赤い服。
白いひげ。
大きな袋。
そして、煤まみれの顔。
「ホーホーホー」
「サンタだー!」
エリポンが、お腹を壊したまま跳ね起きました。
サンタクロースは、煤を払いながら、にっこり笑いました。
「メリークリスマス、よい子のみんな」
「メリークリスマス!」
エリカちゃんも、ぱっと顔を輝かせました。
ところが、その瞬間。
玄関のメリーゴーランドの白馬が、ぱっと目を赤く光らせました。
ヒヒィィィン!
「ぎゃっ」
リビングの自動演奏ピアノが、ぱかんと蓋を開けました。
ぽろろろろろろろろん!
エリーゼのために、最高速版。
「ぐえっ」
サンタクロースは、両側から挟まれて固まりました。
「な、なんですかこの家!?」
「あ、防犯設備が起動しちゃってる」
「待って、待って、私はサンタですよ!」
「証明できる?」
エリカちゃんは、すっと目を細めました。
「証明、ですか?」
「うん。サンタなら、サンタの証拠を見せて」
「ええと、では、これを」
サンタは、ぼろぼろの紙を取り出しました。
そこには、走り書きで、
サンタ免許証
有効期限:永年
所属:北極支部
と書かれていました。
「……手書き?」
「手書きです」
「免許証、手書きなんだ……」
惠那ちゃんが、すっと近づきました。
「偽造かもしれない」
「偽造じゃありませんよ!」
「サンタの真偽、判定」
惠那ちゃんは、サンタの袋の中をのぞき込みました。
「中身、確認します」
「えっ、ちょっと、それは」
「いいから」
惠那ちゃんは、座敷わらしらしからぬ手際で、袋の中身を畳の上にずらりと並べました。
おもちゃ。
絵本。
小さな人形。
お菓子の詰め合わせ。
そして、なぜか、見慣れない小瓶がいくつか。
「……これは?」
惠那ちゃんが、小瓶を一つつまみました。
ラベルには、英語でも日本語でもない、見たことのない文字が書かれていました。
「サンタさん」
「は、はい」
「これ、おもちゃじゃないですね」
「えっと、それは、その」
「中身、何ですか」
惠那ちゃんの目が、すうっと細くなりました。
普段の守銭奴モードではない、警戒モードの目でした。
サンタは、額に汗を浮かべました。
「い、いや、それはね、ええと」
そのとき、サンタの背後で、ぱきっ、と音がしました。
煙突から、もう一つ、足音が降りてきていました。
「……あれー、こっちはもう、開いていたのー?」
二人目のサンタが、ひょっこり顔を出しました。
赤い服。
白いひげ。
大きな袋。
ただし、こちらの目は、にこにこ笑っているのに、笑っていません。
「……二人いる」
海斗君がつぶやきました。
「サンタって、一人じゃないの?」
「世界中の子に配るんだから、いっぱいいるんじゃない?」
「いるけど、たぶん一家に一人だよ」
二人目のサンタは、最初のサンタを見て、ふっと笑いました。
「これは、これは」
「あなた、誰」
「私こそが、本物のサンタですよ」
「えっ」
「そちらの方は、私の名前を騙っている偽サンタです」
「えっ」
最初のサンタは、青ざめました。
「ち、違います! 偽サンタはそっちの方です!」
「いえいえ、こちらこそ本物です」
「私が本物です!」
「私が本物です!」
二人のサンタが、向かい合って、にらみ合いました。
エリカちゃんは、すうっと目を細めました。
そして、にっこり笑いました。
「整理整頓よ」
「やめてください! 私は本物のサンタです!」
「私も、本物です!」
「うるさいわね、両方とも整える」
エリカちゃんが、すっとチェーンソーに手をかけたとき。
ふと、惠那ちゃんが、すっと手を上げました。
「お姉ちゃん、待って」
「なに?」
惠那ちゃんは、二人目のサンタの袋に、すっと手を入れました。
そして、一つの瓶を取り出しました。
「これ、最初のサンタさんの瓶と、同じラベル」
「えっ」
「字、まったく一緒」
惠那ちゃんは、二つの瓶を並べました。
ラベルは、確かに、同じ文字でした。
「お仲間ね」
「ち、違う!」
「違う!」
「同じよ」
惠那ちゃんは、ラベルを指でなぞりました。
「これ、私、見たことある」
「えっ、惠那ちゃん、読めるの?」
「読めない。でも、見たことある」
惠那ちゃんは、ぽつりと言いました。
「前に、お屋敷の旦那さんが、こっそり買って、こっそり飲んで、こっそりだめになっていったときの瓶」
「……」
リビングの空気が、すっと静かになりました。
エリカちゃんは、にっこり笑いました。
「お薬ね」
「えっと、いえ、その、それは」
「それも、悪いお薬ね」
「あ、その」
「サンタが配るものじゃないわ」
ウィ……ィィン……。
カトリーヌが、低く唸り始めました。
二人のサンタは、一斉に後ずさりしました。
「あ、ええと、これは誤解で」
「私はただの、配達員で」
「依頼されただけで」
「悪気はなくて」
エリカちゃんは、にっこり笑ったまま、言いました。
「依頼者の名前」
「えっ」
「依頼してきた、人の名前」
「い、いえ、それは」
「言えない?」
ウィイイイイイイン。
カトリーヌの音が、少し大きくなりました。
二人のサンタは、目を見合わせました。
そして、震える声で言いました。
「シュウ……Dr.シュウ……」
「シュウ?」
「ええ、その、新作の試薬を、子供に配って、データを取りたいと……」
リビングの空気が、いっそう静かになりました。
エリカちゃんの笑顔は、変わりませんでした。
ただ、目だけが、すうっと細くなりました。
「子供に配るって、言った?」
「は、はい」
「うちの近所の子供も?」
「リスト、ありました」
エリカちゃんは、にっこり笑いました。
ウイイイイイイイイイイイイン!
「ぎゃあああああ!」
「待って待って待って!」
「私たち、ただの配達員!」
「依頼されただけ!」
「許して!」
二人のサンタは、煙突に飛びつき、必死で這い上がっていきました。
エリカちゃんは、追いかけようとして、ふと、足を止めました。
「海斗君」
「なに?」
「リスト、回収しないと」
「あっ、そうだね」
惠那ちゃんが、すでに袋の底からリストを取り出していました。
「ばっちり」
「さすが惠那ちゃん」
「ご褒美は、お菓子の詰め合わせで」
「ご褒美前提なんだ……」
惠那ちゃんは、リストをぱらぱら、と確認しました。
「近所の子、二十人」
「全員、家を回って、薬を回収しないとね」
「私が手分けして、回るわ」
花子さんがすっと出てきました。
「水回りなら、どの家でも繋がってるから」
「便利な能力だね……」
「便利よ」
そのとき。
「あれ? 俺が連れてきたトナカイは?」
秀明おじさんが、玄関から顔を出しました。
「冷凍庫だよ」
「ああ、冷凍したな」
「冷凍したんだ!?」
「いや、屋根の上で凍えそうだったから、いったん冷凍庫で休ませただけだ」
「冷凍庫で休ませる発想がおかしいよ!」
「あったかい場所より、こいつには合ってる」
確認しに行くと、冷凍庫の中で、トナカイが「もー」と鳴いていました。
「鳴き声、牛じゃない?」
「気にするな」
「気にするよ!」
リビングに戻ると、エリカちゃんが、惠那ちゃんから受け取ったリストを見て、深く頷いていました。
「海斗君」
「なに?」
「クリスマスの夜は、これから忙しくなりそうね」
「うん。回収、行こうか」
「うん。サンタの代わりに、私たちが、ちゃんとプレゼント配り直すの」
「うん」
エリカちゃんは、リビングのテーブルに残った、おもちゃと、絵本と、お菓子の詰め合わせを見ました。
「ちゃんとしたものだけ、配るわ」
「うん。それがいい」
エリカちゃんは、にっこり笑いました。
その夜のチェーン荘は、いつもとは少し違う忙しさで、明け方近くまで動いていました。
なお、Dr.シュウ、という名前を、エリカちゃんはしっかりと、頭の隅に書き留めました。
「海斗君」
「なに?」
「次のいたずらは、絶対に許さないわ」
「うん。エリカちゃんなら、そう言うと思った」
明け方。
チェーン荘の屋根の上では、回収された薬瓶が、二十本ほど並んでいました。
そして、その横で、エリカちゃんが、ちょっとだけ、空を見上げていました。
東の空が、ほんのり白んできています。
「メリークリスマス、ね」
「うん。メリークリスマス、エリカちゃん」
二人は、屋根の上で、しばらくそうしていました。
なお、その日のチェーン荘の冷蔵庫には、新しいメモが貼られました。
サンタクロースの確認は、慎重に行いましょう。
その下に、小さくこう書かれていました。
※煙突から二人来た場合、両方とも要確認。
そしてその下に、ちょっと違う字で、こう書き足されていました。
※Dr.シュウ、次に会ったときに、お返しすること。




