第63話 「エリカちゃんと冬支度」
峠道で拾った呪いの日本人形が、エリカちゃんによって前髪を整えられ、チェーン荘の玄関に飾られてから数日後。
季節は十一月になっていました。
朝の空気はひんやりと冷たく、チェーン荘の庭にある柿の木も、赤く色づいた葉を少しずつ落とし始めています。
玄関の棚では、おかっぱ頭にされた日本人形が、今日も静かに座っていました。
「おはよう、人形ちゃん」
エリカちゃんが声をかけます。
人形は答えません。
「前髪、伸びてないわね」
エリカちゃんは満足そうにうなずきました。
人形の肩が、ほんの少しだけほっとしたように見えました。
「エリカちゃん、朝から人形を脅すのやめようよ……」
後ろからやって来た海斗君が言いました。
海斗君は、両手に朝ごはんの入った袋を持っています。
今日の朝ごはんは、焼き鮭のおにぎりと、甘い卵焼きと、温かい味噌汁でした。
「脅してないわよ。身だしなみの確認よ」
「チェーンソーを持ちながら確認するから怖いんだよ」
「海斗君も前髪が伸びたら整えてあげるわ」
「僕は普通のハサミがいいな!」
海斗君が慌てて前髪を押さえた、そのときでした。
庭の方から、秀明おじさんの大きな声が聞こえてきました。
「おーい! 全員、ちょっと出てこい! 今日は冬支度するぞ!」
「冬支度?」
エリカちゃんの目が輝きました。
「冬を斬るの?」
「斬らないよ!」
海斗君は、朝から嫌な予感がしました。
チェーン荘の庭には、いろいろな物が並べられていました。
大きな籠。
縄。
樽。
干す前の大根。
山盛りの柿。
それから、庭の隅には丸太が何本も積み上げられています。
秀明おじさんは、頭にタオルを巻き、腕まくりをして立っていました。
「十一月になったからな。これからどんどん寒くなる。薪を割って、柿を収穫して、漬物と干し大根の準備をするぞ」
「何だか、普通の冬支度だね」
海斗君は少し嬉しそうに言いました。
普通に庭仕事をして。
普通に食べ物を保存して。
普通に冬を迎える。
チェーン荘に来てからというもの、普通とはかなり遠い毎日を送ってきた海斗君にとって、それはとても穏やかな予定に聞こえました。
「そうだ。今日は怪異もチェーンソーもなしで、のんびり働く一日だ」
秀明おじさんも胸を張りました。
「薪割りは俺に任せろ。こう見えても昔は現場仕事で鍛えたんだ。斧一本で、今日一日かけてきっちり割ってやる」
秀明おじさんは、大きな丸太を薪割り台の上に置きました。
斧を両手で持ち、構えます。
「いいか、嬢ちゃん。薪割りっていうのはな、力任せじゃなくて木目を見て――」
ウイイイイイイイイイイイイン!
突然、庭にけたたましいエンジン音が響きました。
「え?」
秀明おじさんが振り返りました。
そこには、目を輝かせたエリカちゃんが立っていました。
手には、いつもの愛機カトリーヌ。
「木を斬ればいいのね!」
「待て! 俺の見せ場が――」
ウイイイイイイイイイン!
ぶいん!
ぶいん!
ぶいん!
丸太の山に、エリカちゃんのチェーンソーが次々と入ります。
木くずが舞い、乾いた音を立てて薪がぽんぽんと積み上がっていきました。
海斗君が瞬きを一回する間にも、丸太はみるみるうちに使いやすい大きさへ整えられていきます。
そして。
十秒後。
庭の隅には、綺麗に揃った薪の山ができていました。
「終わったわ」
エリカちゃんは、得意そうにチェーンソーを肩へ担ぎました。
「早いね、エリカちゃん……」
海斗君は呆然としました。
「これで冬も安心ね」
「俺の仕事は!?」
秀明おじさんが叫びました。
斧を構えたまま、ただ立っていただけでした。
「おじさん、薪を運べばいいじゃない」
「俺は薪割りで格好いいところを見せたかったんだよ!」
「格好よかったわよ」
「本当か?」
「斧を持って立っているところが」
「割ってねえじゃねえか!」
秀明おじさんは、がっくりと膝をつきました。
その様子を縁側で見ていた花子さんが、湯飲みを片手に呟きました。
「出番を十秒で斬られたわね」
「うまいこと言わなくていい!」
赤いちゃんちゃんこを着た惠那ちゃんは、薪の山を見てそろばんを弾きました。
「作業時間短縮。人件費削減。燃料確保。効率がいい」
「なあ惠那ちゃん。たまには効率より人の心を優先してくれないか?」
「人の心は暖房にならない」
「座敷わらしが冷たい!」
庭の端では、化け猫さんが出来上がった薪の山に飛び乗り、丸くなっていました。
「にゃあ」
「化け猫さん、もう自分の昼寝場所にしてる!」
海斗君が言いました。
「暖かくないでしょ、まだ燃やしてないのに」
「にゃあ」
「風情があるのね」
エリカちゃんは納得しました。
「猫のこだわりってわからないなあ……」
薪割りの出番を失った秀明おじさんは、次の作業へ移りました。
「よし……薪はいい。次は柿の収穫だ。これはさすがに、チェーンソーでどうにかするなよ」
庭の大きな柿の木には、橙色の実がたくさんなっていました。
陽の光を受けて、つやつやと輝いています。
「甘柿と渋柿が混じってるからな。甘いのは食べて、渋いのは皮をむいて干し柿にする」
「干し柿!」
エリカちゃんが木を見上げました。
「海斗君、甘いものよ」
「うん。冬のおやつになるね」
「わさびをつけたらおいしいかしら」
「普通に食べようよ!」
エリカちゃんは柿の木の下に立ちました。
「じゃあ、木を倒せば一気に収穫できるわね」
「倒すな!」
秀明おじさんが全力で止めました。
「この木は毎年実がなるんだ! 根元から斬ったら来年から食えなくなるだろ!」
「それは困るわ」
「食べ物のことになると聞き分けがいいな!」
海斗君は脚立を押さえ、秀明おじさんが上に登って柿をもぎ始めました。
エリカちゃんは下で籠を持っています。
「嬢ちゃん、受け取れ!」
「任せて!」
秀明おじさんが柿を一つ投げました。
エリカちゃんは器用に受け取ります。
二つ目。
三つ目。
四つ目。
「楽しいわね、海斗君!」
「うん。こういうの、秋らしくていいね」
海斗君も笑顔になりました。
その横で、エリポンが籠の中の柿に近づいていました。
温泉で増えた尻尾は、すっかり元の姿に戻っています。
「ぽん……いい匂いでちゅ……」
「エリポン、それはまだ選別前だから食べちゃだめだよ」
海斗君が注意しました。
「ぽん! 見るだけでちゅ!」
エリポンは籠の前に座り、じっと柿を見つめました。
五秒後。
ぱくっ。
「食べてる!」
「ぽん!?」
エリポンは、丸ごとかじった柿を口にくわえたまま固まりました。
そして次の瞬間。
「ぽおおおおおん! しぶいでちゅうううう!」
どうやら、渋柿を引き当てたようです。
エリポンは顔をしかめ、口をぱくぱくさせながら庭中を走り回りました。
「だから言ったのに!」
海斗君が水を持って追いかけます。
「エリポン、好き嫌いしちゃだめよ」
エリカちゃんが言いました。
「これは好き嫌いじゃなくて、本当に渋いんだよ!」
「ぽん! 舌がしわしわになるでちゅ!」
花子さんは縁側から笑いました。
「悪いことするからよ」
するとエリポンは、恨めしそうに花子さんを見ました。
「花子お姉ちゃんにもあげるでちゅ……」
「いらないわよ!」
エリポンが渋柿を持って迫り、花子さんがトイレへ逃げ込みました。
「トイレの中まで食べ物を持ってこないで!」
「ぽん!」
「エリポン、嫌がらせを覚えたのね」
エリカちゃんは感心しました。
「感心しちゃだめだよ!」
収穫した柿は、縁側で仕分けされることになりました。
甘柿はその場で食べる分。
渋柿は皮をむいて、紐で吊るして干し柿にします。
海斗君は、小さな包丁を使って丁寧に柿の皮をむいていました。
くるくると、薄い皮が長く繋がって落ちていきます。
「海斗君、上手ね」
エリカちゃんが感心しました。
「お料理で慣れてるからね」
「私もやるわ」
「うん。でもチェーンソーは使わないでね」
「大丈夫よ。柿くらいなら手加減できるわ」
「使う気なんだ!?」
エリカちゃんは、小さめのチェーンソーを取り出しました。
秀明おじさんの顔が引きつります。
「その時点で嫌な予感しかしねえぞ」
「見てて」
ウイイイイン。
エリカちゃんは、チェーンソーの先端を柿の表面すれすれに当てました。
ぶいん。
皮だけが、するりと削り取られました。
中身はほとんど傷ついていません。
「できたわ」
「無駄に器用だね!?」
海斗君は驚きました。
「エリカちゃん、その技術をもっと平和なことに使えたらすごいと思う」
「柿の皮むきは平和なことじゃないの?」
「そうなんだけど、道具が平和じゃないんだよ……」
惠那ちゃんは、干し柿用の紐に柿を並べながら数を数えていました。
「干し柿、全部で四十八個。冬のおやつにするなら、一人あたり――」
「私、八個」
エリカちゃんが即答しました。
「ぽん! エリポンも八個でちゅ!」
「エリポンは、さっき勝手に食べた分を引く」
「ぽん!?」
「利息もつける」
「干し柿に利息をつけるの!?」
海斗君が突っ込みました。
「保存食は資産」
「惠那ちゃん、何でも資産にしちゃうね……」
そのとき、玄関の棚に座っていた日本人形の方から、かすかに視線を感じました。
エリカちゃんは、干し柿を一つ持って人形の前に置きました。
「人形ちゃんも、乾いたら食べる?」
人形は答えません。
ただし、エリカちゃんの手にチェーンソーがないことを確認したように、少しだけ安心した顔に見えました。
「人形は食べないと思うよ」
海斗君が言いました。
「でも、お供えならいいでしょ」
「うん。それなら優しいね」
エリカちゃんは、にっこり笑いました。
日本人形は動きませんでした。
けれど、その日から玄関の人形の前には、時々エリカちゃんがお菓子や木の実を置くようになったのでした。
もっとも、翌朝になると大抵エリポンが食べていましたが。
次は、干し大根と漬物の準備です。
秀明おじさんが大きな樽を洗い、海斗君が大根の泥を落とします。
エリカちゃんは、庭に並べられた白くて太い大根を見て首をかしげました。
「これをどうするの?」
「何本かは干して、たくあんにするんだ。白菜も漬けるぞ。冬場のご飯に合うからな」
「たくあん……」
エリカちゃんは少し考えました。
「塩辛と一緒に食べたら、すごくご飯が進みそうね」
「エリカちゃんらしい組み合わせだね」
海斗君は笑いました。
「海斗君がご飯を炊いてくれたら、私毎日食べるわ」
「毎日塩辛とたくあんなの?」
「海斗君のお味噌汁もつけて」
「それなら少し健康的かなあ……」
「将来の新婚生活の献立が決まったわね」
「新婚生活!?」
海斗君が真っ赤になりました。
縁側の花子さんが、にやにやしながら言いました。
「海斗君、さっきから大根より白くなったり柿より赤くなったり忙しいわね」
「花子さんまでからかわないでよ!」
エリカちゃんは嬉しそうに海斗君の腕をつかみました。
「大丈夫よ、海斗君。私、お漬物が上手なお嫁さんになるわ」
「作ってるのは秀明おじさんと僕だよ!」
「食べるのは上手よ」
「それはお嫁さんの能力じゃないよ!」
秀明おじさんは、樽へ塩を入れながらため息をつきました。
「お前ら、小学二年生で新婚の食卓の相談をするなよ……」
惠那ちゃんは真剣な顔で言いました。
「共働きの場合、食費と家計管理は早めに決めるべき」
「惠那ちゃんまで参加しなくていいから!」
「結婚式はゆけむり館でやれば、提携割引が使える」
「具体的すぎるよ!」
海斗君の顔は、ついに耳まで赤くなりました。
エリカちゃんはそんな海斗君を見て、満足そうに笑いました。
「海斗君、可愛いわ」
「エリカちゃんのせいだよ……」
大根は、庭に渡した縄へ順番に吊るされていきました。
白い大根がずらりと並ぶと、いよいよ冬支度らしい光景になります。
「何だか綺麗ね」
エリカちゃんは、並んだ大根を見上げました。
「うん。こうして風に当てるんだね」
海斗君も隣に立ちました。
秋の終わりの風が、二人の髪を揺らします。
庭には干し柿。
その隣には干し大根。
薪の山の上には化け猫さん。
縁側では花子さんがお茶を飲み、惠那ちゃんが保存食の数量を帳面に記録しています。
エリポンは、渋柿のことをすっかり忘れ、今度は白菜の葉っぱを狙っていました。
マリンちゃんは、透明ケースの中で日向ぼっこをしています。
「海斗君」
「なに、エリカちゃん?」
「こういうのも、楽しいわね」
エリカちゃんが言いました。
いつものように怪異を斬るでもなく。
学校の壁を壊すでもなく。
誰かに追いかけられるでもなく。
ただ、冬を迎える準備をしているだけです。
海斗君は、少し嬉しくなりました。
「うん。今日は平和だね」
その瞬間。
「ぽおおおおん!」
エリポンの悲鳴が響きました。
振り返ると、エリポンが干し大根の縄に尻尾を引っかけ、ぶら下がっていました。
「た、助けてでちゅううう!」
「何してるの、エリポン!?」
「白菜を取ろうとしたら、尻尾が絡まったでちゅ!」
「取ろうとしてたの!?」
花子さんが叫びました。
ぶら下がったエリポンが暴れたことで、干し大根がぶらんぶらんと揺れます。
そのうち一本が縄から外れ、秀明おじさんの頭へ落ちました。
ごんっ。
「いてえ!」
さらにもう一本が、化け猫さんの乗っている薪の山へ落ちました。
「ふしゃあああ!」
驚いた化け猫さんが飛び上がり、薪の山が少し崩れました。
がらがらがら。
崩れた薪の一本が、マリンちゃんの透明ケースの縁に当たります。
ケースが傾きました。
ぷるん。
マリンちゃんが、外へ滑り出そうになります。
「マリンちゃんが出る!」
海斗君が叫びました。
「大根も薪も溶けるわ!」
花子さんも慌てました。
「任せて!」
エリカちゃんがチェーンソーを構えました。
「待て! 今チェーンソーを使うと被害が増える!」
秀明おじさんが叫びました。
その瞬間。
惠那ちゃんが、ぱん、と両手を叩きました。
ざしゅっ。
不思議な風が庭を通り抜けました。
倒れかけていたマリンちゃんのケースが、ぴたりと元の位置に戻ります。
崩れた薪も、それ以上転がらずに止まりました。
ぶら下がっていたエリポンだけが、ふわりと地面へ下ろされます。
「ぽん……助かったでちゅ……」
惠那ちゃんは、無表情でエリポンの前に立ちました。
「干し大根一本損傷。薪積み直し作業発生。ケース破損リスクあり」
「ぽん……」
「白菜を勝手に取ろうとした罰として、今日はおやつ半分」
「ぽおおおおん!」
エリポンの悲鳴が、再び庭に響きました。
「命は助かったのに、おやつは助からなかったのね」
花子さんが言いました。
「食べ物の恨みは怖いでちゅ……」
「悪いのはエリポンだよ」
海斗君が優しく頭を撫でました。
秀明おじさんは、頭をさすりながらため息をつきました。
「坊主。さっき平和って言ったか?」
「言いました……」
「チェーン荘で平和なんて口にすると、すぐ壊れるぞ」
「覚えておきます……」
エリカちゃんは、少し首をかしげました。
「でも、誰も斬られてないわよ?」
「その基準をやめろ!」
夕方。
冬支度の作業は、どうにか一段落しました。
薪は納屋へ運ばれました。
干し柿は軒下に吊るされました。
大根は庭で風に揺れています。
漬物の樽は、秀明おじさんが重石を乗せて台所の隅へ置きました。
「よし。これで冬を迎える準備はだいたいできたな」
秀明おじさんは腰を叩きました。
「お疲れさま、おじさん」
海斗君が温かいお茶を持ってきました。
「おう、ありがとな。坊主は本当に気が利くなあ」
「海斗君は私のお婿さんだもの」
エリカちゃんが隣から言いました。
「まだ違うよ!」
「予約済みよ」
「予約って何!?」
惠那ちゃんが帳面を開きました。
「婚約予約金は必要?」
「惠みよ」
「予約って何!?」
惠那ちゃんが帳那ちゃんは黙ってて!」
縁側では、エリカちゃんと海斗君が並んで、干し柿の下でお茶を飲みました。
エリカちゃんのお茶請けには、甘柿が一切れ。
海斗君のお皿にも、同じものが乗っています。
「はい、海斗君。あーん」
エリカちゃんが柿をつまみ、海斗君の口元へ差し出しました。
「えっ、僕が食べるの?」
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」
海斗君は、顔を赤くしながら口を開けました。
「あーん……」
「おいしい?」
「う、うん。甘いよ」
「よかった」
エリカちゃんは嬉しそうに笑いました。
その様子を見ていた花子さんが、縁側の柱の陰から呟きました。
「平和ねえ」
「にゃあ」
化け猫さんも薪の山の上で鳴きました。
「ぽん……エリポンも、あーんされたいでちゅ……」
エリポンは、惠那ちゃんにおやつを半分にされてしょんぼりしています。
「エリポン、ちゃんと反省したら明日は普通にあげるわ」
エリカちゃんが言いました。
「反省したでちゅ!」
「早いわね」
「食べ物がかかってるからね……」
海斗君は苦笑しました。
そのとき、冷たい風が庭を吹き抜けました。
「くしゅんっ」
エリカちゃんが、小さなくしゃみをしました。
「あれ、エリカちゃん。寒い?」
海斗君が心配そうに振り返りました。
「平気よ。ちょっと風が冷たかっただけ」
「今日はずっと外にいたからね。上着、着た方がいいよ」
海斗君は、自分が持っていた上着をエリカちゃんの肩へそっとかけました。
エリカちゃんは一瞬きょとんとしてから、にっこり笑いました。
「海斗君、優しいわね」
「風邪をひいたら大変だから」
「大丈夫よ。私はチェーンソーの神様の力を持っているのよ。風邪なんて斬って治すわ」
「風邪は斬れないと思うよ……」
「試してみないとわからないわ」
「試さないでね!?」
秀明おじさんが、縁側の向こうから叫びました。
「体調が悪かったら大人しく寝ろよ! 間違っても熱を出しながらチェーンソーを振り回すなよ!」
「そんなことするわけないじゃない」
エリカちゃんは、胸を張って答えました。
海斗君は、なぜかとても不安になりました。
夜になり、チェーン荘の中には少しだけ冷たい空気が入り込んでいました。
秀明おじさんは、試しに薪を一本使って小さなストーブへ火を入れました。
ぱちぱちと薪が燃え、部屋の中がゆっくりと暖かくなります。
「暖かいわね」
エリカちゃんは、ストーブの前で手をかざしました。
「こういう冬も悪くないわ」
「まだ冬の入口だけどね」
海斗君は、夕飯の鍋を準備しながら笑いました。
今日の夕食は、白菜ときのこ、鶏肉の入った温かい鍋です。
「お漬物はまだできてないけど、少ししたら食べられるよ」
「楽しみね。海斗君のご飯と一緒に食べたいわ」
「うん。僕も楽しみ」
二人がそんな会話をしている横で、エリポンはあることを思いつきました。
「ぽん!」
「どうしたの、エリポン?」
「エリポン、役に立つでちゅ!」
エリポンは、部屋の隅に畳まれていた布団の山へ飛び込みました。
そして、ぽんっと小さな煙を上げます。
ぼわっ。
温泉で見せたように、何本ものふさふさの尻尾が一気に広がりました。
「ぽん! 尻尾でお布団をあたためるでちゅ!」
「わあ、エリポン偉いね」
海斗君は感心しました。
「天然の布団乾燥機ね」
エリカちゃんも喜びました。
「そのまま私と海斗君のお布団を暖めてちょうだい」
「ぽん! 任せるでちゅ!」
エリポンは意気揚々と、二組の布団の間へ潜り込みました。
ふさふさの尻尾を広げ、布団全体を包みます。
「ぽん……あったかくするでちゅ……」
最初のうちは、うまくいっていました。
布団はふわふわ。
尻尾はもふもふ。
エリポンの体温で、少しずつ布団が暖かくなっていきます。
ところが。
「ぽん……」
「エリポン?」
海斗君が振り向きました。
「ぽん……あついでちゅ……」
「自分で暖めて、自分でのぼせてる!?」
布団の山の中から、真っ赤な顔をしたエリポンが這い出してきました。
「ぽん……温泉のときみたいでちゅ……」
そのまま、エリポンは畳の上でぐったりと伸びました。
何本もの尻尾が、部屋いっぱいに散らばります。
「エリポン、大丈夫!?」
海斗君が駆け寄りました。
「お水を飲ませるわ!」
花子さんも慌てました。
惠那ちゃんは、エリポンの尻尾に触れて真顔で言いました。
「保温性能は高い。でも自己冷却機能がない。不良品」
「エリポンを家電みたいに評価しないで!」
「ぽん……役に立ちたかっただけでちゅ……」
エリポンは涙目になりました。
エリカちゃんは、そんなエリポンをそっと抱き上げました。
「偉かったわよ。お布団、ちゃんと暖かくなってるもの」
「ぽん……本当でちゅか?」
「ええ。今日は私の布団で一緒に寝てもいいわ」
「ぽん!」
エリポンは一瞬で元気になりました。
「元気になるの早いね!?」
海斗君が驚きます。
「食べ物と寝床があれば復活するのね」
花子さんが言いました。
「狸ってたくましいわ」
化け猫さんは、エリポンの広がった尻尾の上へ当然のように乗りました。
「にゃあ」
「化け猫さんまで寝床にしてるでちゅ!」
「人気者ね、エリポン」
「ぽん……重いでちゅ……」
結局、エリポンはエリカちゃんの布団を暖めたうえに、化け猫さんの敷布団まで担当することになってしまいました。
夜。
海斗君は、チェーン荘の客間に敷かれた暖かい布団へ入りました。
隣の部屋からは、エリカちゃんの声が聞こえます。
「エリポン、ふわふわね」
「ぽん……もう尻尾がくたくたでちゅ……」
「にゃあ」
「化け猫さん、場所を取りすぎよ」
「にゃあ」
「花子さん、お手洗いに来た人を驚かせちゃだめよ」
「私はもともとトイレの花子さんなのに、住居で驚かせるのを禁止されるなんて……」
「マリンちゃん、ストーブに近づいちゃだめだからね」
ぷるん。
「惠那ちゃん、夜中に人形ちゃんを売りに行かないでね」
「五百円なら、まだ売らない」
玄関の日本人形が、かたっと小さく震えました。
「売る可能性は残ってるんだ……」
海斗君は布団の中で呟きました。
薪を割って。
柿を干して。
大根を吊るして。
漬物を仕込んで。
暖かい鍋を食べて。
ふかふかの布団に入る。
今日こそ、普通の冬の日だったはずです。
けれど実際には。
薪割りはチェーンソーで十秒で終わり。
エリポンは渋柿で悲鳴を上げ。
干し大根に尻尾を絡ませてぶら下がり。
化け猫さんは薪の上を占拠し。
花子さんは温泉旅館のトイレを別荘にしようとし。
惠那ちゃんは干し柿にも利息をつけようとし。
最後にはエリポンが布団を暖めようとして、自分がのぼせました。
「……僕の普通の冬って、どんどん遠くなるなあ」
海斗君は、小さくため息をつきました。
すると隣の部屋から、エリカちゃんの声が聞こえました。
「海斗君、まだ起きてるの?」
「うん。起きてるよ」
「今日は楽しかったわね」
「うん。大変だったけど、楽しかったよ」
「明日も一緒に遊びましょうね」
「うん。おやすみ、エリカちゃん」
「おやすみなさい、海斗君」
その声を聞くと、不思議と海斗君の気持ちは暖かくなりました。
普通ではないけれど。
静かではないけれど。
毎日何かしら騒動が起きるけれど。
エリカちゃんと一緒に過ごす冬は、きっと退屈しないのだと思いました。
その夜。
チェーン荘の軒下では、干し柿と干し大根が冷たい風に揺れていました。
玄関のおかっぱ人形は、今夜は一度も動きませんでした。
前髪をまた整えられるのが怖かったのか。
それとも、暖かいチェーン荘で過ごす冬も悪くないと思ったのか。
それは誰にもわかりません。
ただし。
深夜、エリカちゃんの部屋から――
「くしゅん……」
小さなくしゃみが、もう一度だけ聞こえたのでした。




