第58話 エリカちゃんとかくれんぼ
チェーン荘の朝は、今日もけたたましい音で幕を開けました。
「エリカお姉ちゃん、おはよー!」
「惠那ちゃん、おはよー。じゃあ朝稽古しましょう」
「はーい!」
挨拶もそこそこに、エリカちゃんと惠那ちゃんは庭で向かい合いました。
次の瞬間。
ウイイイイイイイイイイン!
チェーンソーの音が、朝のチェーン荘に響き渡ります。
火花が散り、庭の植木がいくつか犠牲になり、秀明おじさんが干していた作業着が風圧で飛んでいきました。
「おい! 朝から庭を戦場にするな!」
「準備運動よ」
「準備運動で植木を三本倒すな!」
秀明おじさんの悲鳴をよそに、エリカちゃんと惠那ちゃんは楽しそうにチェーンソーを打ち合わせていました。
「やっぱりエリカお姉ちゃん強いよ〜」
「惠那ちゃんも悪くないわ。でも、踏み込みが甘いわね」
「次はもっとがんばる!」
「よろしい」
五分ほどの“軽い”死闘を終えると、エリカちゃんは満足げにチェーンソーを置きました。
そのとき、台所からいい匂いが漂ってきました。
「エリカちゃん、朝ごはんできたよ」
エプロン姿の海斗君が顔を出しました。
彼はすでにチェーン荘の台所に自然となじんでおり、もはや通い妻状態でした。
「わーい。今日のごはんは何?」
「エリカちゃんの好きなレバニラだよ」
「やったわ。イチゴジャムトーストとよく合うのよね」
「絶対違うと思うよ」
海斗君が苦笑します。
テーブルには、レバニラ炒め、白ごはん、味噌汁、イチゴジャムトースト、そしてイチゴミルクが並んでいました。
花子さんは味噌汁をすすりながら、しみじみと言いました。
「朝からレバニラって、幽霊でも胃が重くなりそうね」
「花子さん、幽霊に胃ってあるの?」
「気分の問題よ」
化け猫さんは魚の干物を前足で押さえながら、満足げに食べています。
エリポンはエリカちゃんの足元で、何かもらえないかとじっと見上げていました。
「ぽん」
「エリポン、レバニラ食べる?」
「狸にレバニラはどうなんだろう……」
海斗君が心配そうに言いましたが、エリポンは気にせず、もぐもぐ食べていました。
「お前らは本当に朝から濃いな」
秀明おじさんが呆れたように言います。
「失礼ね。健康的な朝ごはんよ」
「小学生の朝飯にレバニラとイチゴジャムトーストを並べるな」
「海斗君の料理は全部おいしいから問題ないわ」
「それはそうだが」
朝食が終わると、惠那ちゃんがぱっと手を上げました。
「ねえねえ、今日は何して遊ぶの?」
「そうね」
エリカちゃんは少し考えました。
「かくれんぼをしましょう」
「かくれんぼ!」
惠那ちゃんの目が輝きました。
「いいね。チェーン荘なら隠れる場所も多いし」
海斗君も笑顔でうなずきました。
「私も参加していいの?」
花子さんが遠慮がちに言いました。
「もちろんよ。花子さんはトイレ禁止ね」
「えっ」
「そこに隠れたら、見つけるまでもないじゃない」
「私のアイデンティティーが……」
花子さんは少し落ち込みました。
化け猫さんは棚の上に飛び乗り、すでに隠れる気満々です。
「にゃあ」
「化け猫ちゃんはマタタビ禁止だよ」
海斗君が言うと、化け猫さんは露骨に目をそらしました。
「じゃあ最初の鬼は誰にする?」
惠那ちゃんが聞きます。
「海斗君でいいんじゃない?」
「えっ、僕?」
「海斗君なら優しいから、見つけても斬らないし」
「普通は誰も斬らないよ」
「じゃあ海斗君が鬼ね」
こうして、最初の鬼は海斗君になりました。
海斗君は縁側で目を閉じ、ゆっくり数え始めます。
「いーち、にー、さーん……」
その間に、エリカちゃんたちは一斉に散っていきました。
「じゅーう。もういいかい?」
「もういいわよー」
「もういいよー」
「……もういいわ」
「にゃあ」
「ぽん」
海斗君は目を開けました。
「よし、探すよ」
まず海斗君は、居間のクローゼットを開けました。
「エリカちゃん、見つけた」
「早いわね」
中には、チェーンソーを抱えたエリカちゃんが普通に座っていました。
「どうしてわかったの?」
「クローゼットの中からチェーンソーの匂いがしたから」
「海斗君、私のことよくわかってるわね」
「うん。わかりたくない部分までわかるようになってきたよ」
次に海斗君は、廊下の奥にあるトイレへ向かいました。
扉を開けると、花子さんが便座の上で正座していました。
「花子さん、見つけた」
「トイレ禁止って言われたのに、体が勝手に……」
「幽霊の本能なんだね」
「たぶんね」
続いて、海斗君は台所へ向かいました。
マタタビの袋の横で、化け猫さんが丸くなっていました。
「化け猫ちゃんも見つけたよ」
「にゃあ……」
「マタタビ禁止って言ったよね?」
「にゃあ」
化け猫さんは反省しているようで、まったくしていない顔でした。
さらに、エリポンは米びつの横で丸まっていました。
「エリポンも見つけた」
「ぽん」
「そこ、隠れてたというより、お米狙ってたよね?」
「ぽん」
エリポンは目をそらしました。
こうして、エリカちゃん、花子さん、化け猫さん、エリポンはすぐに見つかりました。
しかし。
「あれ?」
海斗君は首をかしげました。
「惠那ちゃんがいない」
「本当ね」
エリカちゃんも周囲を見回しました。
「惠那ちゃーん。もう出てきていいわよー」
返事はありません。
「惠那ちゃーん?」
花子さんも呼びました。
しかし、チェーン荘の中は静まり返っています。
「まさか、本気で隠れてる?」
秀明おじさんも加わり、全員でチェーン荘の中を探しました。
押し入れ。
天井裏。
床下。
地下室。
秀明おじさんが作りかけていた謎の隠し部屋。
エリカちゃんのチェーンソー保管庫。
花子さん用の予備トイレ。
どこを探しても、惠那ちゃんはいません。
「おかしいわね」
エリカちゃんが腕を組みました。
「チェーン荘で私から隠れきるなんて、なかなかやるわ」
「感心してる場合じゃないよ。迷子になったのかも」
海斗君が心配そうに言いました。
そのころ。
惠那ちゃんは、暗い廊下をとことこ歩いていました。
「あれー? ここどこかなー?」
そこはチェーン荘ではありませんでした。
学校の廊下です。
実は惠那ちゃんは、チェーン荘の地下室にある“開かずの扉”の残骸の近くに隠れようとして、うっかり扉の向こう側へ抜けてしまったのです。
以前エリカちゃんが滅多斬りにしたはずのピンクの扉は、なぜか夜でもないのに少しだけ開いていました。
そして惠那ちゃんは、何も考えずにその先へ入ってしまったのでした。
「ここ、学校かな?」
惠那ちゃんは廊下を見回しました。
誰もいない廊下。
並ぶ教室。
遠くで風に揺れるカーテン。
普通の子なら泣き出す場面です。
しかし惠那ちゃんは座敷わらしなので、あまり怖がりません。
「かくれんぼ、すごいところまで来ちゃった」
その手には、小さなチェーンソーが握られていました。
ずる……。
ずる……。
惠那ちゃんがチェーンソーを引きずって歩く音が、無人の廊下に響きます。
たまたま宿直室にいた先生は、その音を聞いて青ざめました。
「な、なんだ……?」
廊下の向こうから、小さな女の子の声がします。
「どこかなー? どこかなー?」
ずる……。
ずる……。
「誰かいるのか……?」
先生は懐中電灯を持って廊下に出ました。
すると、廊下の角から惠那ちゃんがひょこっと顔を出しました。
「こんばんはー」
「ぎゃあああああ!」
宿直の先生は腰を抜かしました。
「えっ、どうしたの?」
惠那ちゃんは不思議そうに首をかしげました。
その翌日から、学校では新しい噂が流れ始めます。
誰もいない夜の廊下で、チェーンソーを引きずる小さな女の子が歩いている。
見つかると、にこにこ笑って『かくれんぼしよ』と言ってくる。
学校の七不思議は、また一つ増えようとしていました。
一方そのころ、チェーン荘では。
「惠那ちゃんがいないわ」
「本当にどこ行ったんだろう」
海斗君が不安そうに言ったとき、エリカちゃんはふと地下室の方を見ました。
「まさか」
「エリカちゃん?」
「あの扉ね」
エリカちゃんは地下室へ駆け下りました。
海斗君たちも後を追います。
地下室の奥には、以前バラバラにしたはずのピンクの扉の残骸がありました。
しかし、その残骸の隙間から、ほんの少しだけ光が漏れていました。
「まだ生きてるじゃない、この扉」
「扉って生きてるものなの?」
「うちではたまにあるわ」
「嫌な家だね……」
エリカちゃんはチェーンソーを構えました。
「惠那ちゃん、聞こえる?」
扉の向こうから、遠く小さな声が聞こえました。
「はーい!」
「稽古やるから戻ってきなさーい!」
「はーい!」
次の瞬間。
ピンクの扉の残骸がぱかっと開き、惠那ちゃんが元気よく飛び出してきました。
「ただいまー!」
「惠那ちゃん!」
海斗君がほっと息をつきました。
「どこに行ってたの?」
「学校!」
「やっぱり!?」
エリカちゃんは腰に手を当てました。
「惠那ちゃん」
「なあに、エリカお姉ちゃん?」
「かくれんぼなのに、異世界……じゃなくて学校まで行くのは反則よ」
「えへへ、ごめんね」
「でも、なかなかいい隠れ方だったわ」
「褒めちゃだめだよエリカちゃん」
海斗君が慌てて止めました。
「それにしても、また学校に七不思議が増えそうね」
花子さんがため息をつきます。
「七不思議って、そんな気軽に増えるものなの?」
「この作品では増えるのよ」
エリカちゃんは平然と言いました。
その後、エリカちゃんはピンクの扉の残骸を念入りにチェーンソーで細かく刻みました。
ぎゅいん。
ぎゅいん。
ぎゅいん。
「これでよし」
「前にも壊したはずだけどね」
「次に復活したら、薪にするわ」
「扉を薪にしていいのかな……」
海斗君は首をかしげました。
その日の夕方。
チェーン荘の縁側では、エリカちゃん、海斗君、惠那ちゃん、花子さん、化け猫さん、エリポンが並んで座っていました。
秀明おじさんは庭の植木の修理をしながら、ぶつぶつ文句を言っています。
「朝は庭を壊され、昼は地下室の扉を刻まれ、俺は何屋なんだ……」
「便利屋さん?」
惠那ちゃんが無邪気に言いました。
「そうだよー」
エリカちゃんもうなずきました。
「勝手に決めるな!」
チェーン荘には、今日も騒がしい声が響きます。
「ねえ海斗君」
「なに、エリカちゃん?」
「次のかくれんぼでは、私が鬼をやるわ」
「うん。でも学校に行くのは禁止ね」
「じゃあ、地下室のさらに奥は?」
「もっとだめだよ!」
「つまらないわね」
エリカちゃんは少し頬を膨らませました。
その横で惠那ちゃんは、にこにこ笑っています。
「今度はもっとすごいところに隠れるね!」
「やめようね!?」
海斗君の声が、チェーン荘に響きました。
こうして、チェーン荘のかくれんぼは無事に終わりました。
ただし。
学校ではその後しばらく、こんな噂が流れたそうです。
七不思議・新三
「新・開かずの扉」
誰もいない放課後。
廊下の奥に、見たことのないピンクの扉が現れることがある。
その扉を開けると、古びたアパートの地下室につながっている。
そこには、金髪ツインテールの女の子と、チェーンソーを持った座敷わらしがいる。
もしも中に入ってしまったら――
かくれんぼが終わるまで、帰してもらえない。
そして今日も、チェーン荘には爆音と笑い声が絶えないのでした。




