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第57話 「エリカちゃんと調理実習・ジビエ編」

二学期、十月のある日。

家庭科の授業の日でした。

家庭科室には、エプロンと三角巾を身につけた、小学二年生たちが、わくわくしながら集まっていました。

「今日はね、みんなでハンバーグを作りまーす」

担当の先生が、にこにこと、黒板にチョークで書きました。

今日のメニュー:ハンバーグ

教室は、ぱっと、明るくなりました。

「やったー、ハンバーグ!」

「お肉だ、お肉!」

「家族の分も、持って帰っていい?」

「先生のも、作りますね!」

家庭科の先生は、にこにこと、うなずきました。

「みなさん、今日のお肉は、こちらです」

先生は、冷蔵庫から、業務用のひき肉のパックを、どん、と出しました。

スーパーで売っている、合いびき肉。

ふつうの、ひき肉。

ところが、その瞬間、エリカちゃんが、ぴたっ、と、止まりました。

「先生」

「なあに、エリカちゃん」

「そのお肉」

「うん、合いびき肉ですよ」

「愛、足りてる?」

「えっ」

「愛、足りてます?」

家庭科の先生は、こてん、と、首をかしげました。

「あ、合いびき肉の『あい』は、ふたつのお肉を『合わせる』っていう意味で……」

「違うのよ、先生」

エリカちゃんは、すうっと、目を細めました。

「お料理の愛は、お肉そのものから、湧き出るものよ」

「は、はあ」

「スーパーのひき肉には、愛が足りないわ」

「あ、愛、足りない……?」

「足りないわ」

クラスメイトたちは、はてな顔を浮かべました。

愛が足りない、とは、いったい。

そんな中、椿さんだけが、ぴたっ、と、青ざめました。

「(あ、これ、いやな予感する)」

「(家庭科室で、何かが起こる予感がする)」

「(神社の家系の勘が、警報を鳴らしている)」

椿さんは、おそるおそる、エリカちゃんに、聞きました。

「あの、エリカちゃん」

「なあに、椿さん」

「愛のこもったお肉、というのは、その」

「うん」

「もしかして、自分で獲ってくる、的な」

「うん」

「やっぱり」

「だって、ハンバーグだもん」

「ハンバーグ、だからって」

「お肉に、敬意を払わないと」

「敬意の、払い方、たぶん間違ってます」

「私のお肉は、私の愛で獲ってくるの」

「(神社の家系として、止めるべきか、見守るべきか)」

椿さんが心の中で葛藤しているうちに。

エリカちゃんは、にっこり笑って、家庭科の先生に、頭を下げました。

「先生、私、ちょっと、お肉、獲ってきます」

「えっ、獲るって、どこに」

「すぐ戻ります」

「いや、エリカちゃん、もうお肉、ここにあるから」

「足りないのよ、愛が」

「愛、たぶん、ハンバーグには、そこまで必要ないかも」

「先生、お料理に愛がないって、悲しいことだよ」

「い、いえ、愛はあります、あります、ありますから」

「足りないわ」

エリカちゃんは、ぴょんと、家庭科室を、出て行きました。

家庭科の先生は、ぽかんと、その背中を見送りました。

そして、いやな予感がしたのか、職員室に、内線をかけました。

「あの、山本先生……エリカちゃんが、お肉を獲ってくる、って言って、出て行ったんですけど」

職員室で、その電話を受けた山本先生は、しばらく、無言でした。

そして、引き出しから、胃薬を、まとめて三錠、取り出しました。

「胃薬、今日の分、増量します」

「先生、どうしたら」

「祈りましょう」

「祈り、なんですか」

「祈り、です」

家庭科の先生は、受話器を置いて、家庭科室の窓から、空を見ました。

空は、秋の青空でした。

平和な、青空でした。

その平和は、長くは、続きませんでした。

家庭科室の外で、けたたましい音が、聞こえてきたのです。

ぶおぉぉぉぉぉぉん。

ウイイイイイイイイイイイイン――!

「あ、来た」

椿さんは、心の中で、合掌しました。

廊下から、ずるずる、ずるずる、と、何かを引きずる音がしました。

そして、家庭科室の扉が、ばーん、と、開きました。

「先生、お肉、獲ってきたー」

エリカちゃんは、にこにこ顔で、立っていました。

その後ろには――

巨大な、イノシシ。

体長、二メートル近く。

牙が、きらりと、光っていました。

毛皮は、つやつやと、見事でした。

ただし、もう、息は、していませんでした。

家庭科室は、静まり返りました。

クラスメイトたちは、固まりました。

家庭科の先生は、立ったまま、目を見開きました。

「あ、あ、あ……」

「先生、これでハンバーグ作るね」

「え、エリカちゃん、これは」

「イノシシよ。ジビエってやつ」

「ジ、ジビエ、って、お、お、お野生の」

「うん、お野生」

「ど、どこから」

「裏山」

「裏山に、こんなのが、いたんですか」

「いたよ」

「そんな、聞いてない」

「先生、聞かなくても、いるのよ、お野生は」

椿さんが、ぽつり、とつぶやきました。

「(これ、たぶん、神域から来た)」

「(山の神様が避難したあと、行き場をなくして、麓に降りてきたやつ)」

「(連鎖事故、一番悪い形で起きてる)」

クラスメイトたちは、おそるおそる、エリカちゃんに、聞きました。

「エ、エリカちゃん」

「なあに」

「こ、これ、生きてた、んだよね?」

「うん、さっきまで」

「ど、どうやって獲ったの」

「チェーンソー、振ったら、勝負ついたよ」

「勝負、ついたんだ」

「秒で、ついた」

「ジビエ、勝負って言わないと思う」

「猟師さんも、勝負だって言ってたよ」

「そ、そうなのかな……」

家庭科の先生は、ふらふらしながら、なんとか声を絞り出しました。

「エ、エリカちゃん、と、とりあえず、外に、出して」

「えー、なんで」

「教室、家庭科室で、解体は、ちょっと」

「解体? もう、おうちでさばくんだよ、ハンバーグだもの」

「い、家でさばくのと、家庭科室でさばくのは、違うんですよ」

「違うの?」

「全然、違います」

「だって、家庭科って、家のことを、するところでしょ」

「家のことは、するけど、家でも、そこまではしない」

「うちのおうちは、するわよ」

「(うちのおうちが、そもそも、家の概念から外れてる)」

椿さんは、心の中で、エリカちゃんのおうちの実態を、思い出していました。

集中血療室。

四点拘束ベッド。

ガソリンの一斗缶。

赤い血文字。

家、ではなく、もう、施設、の領域でした。

エリカちゃんは、にっこり笑って、調理台の上に、イノシシを、ずどん、と、乗せました。

調理台が、ぎしっ、と、悲鳴を上げました。

「じゃあ、解体ね」

「待って、エリカちゃん、待って」

「先生、ハンバーグなんだから、ひき肉にしないと」

「ひき肉には、しますけど、その、機械を使って」

「機械、私のがあるよ」

「い、いやな予感、します」

エリカちゃんは、どこからか、また、チェーンソーを取り出しました。

家庭科の先生は、その瞬間、悟りました。

(あ、これは、もう、止められない)

(祈ろう、私も祈ろう)

クラスメイトたちは、わあっ、と、後ろに下がりました。

椿さんは、両手を顔の前に上げて、指の隙間から、見守りました。

「(見たくない、けど、見届けないと、神社の家系として)」

「(こちら側のみなさんに、報告しないと)」

「(イノシシの霊にも、お悔やみを)」

エリカちゃんが、にっこり笑って、チェーンソーのスイッチを、押しました。

ぶぉぉぉぉん、ウイイイイイイイイイイイイイン――!

その瞬間、家庭科の先生が、ようやく、声を出しました。

職員室にいる山本先生に、聞こえそうな大声で、家庭科の先生が、絶叫したのです。

「エリカちゃん、教室で血抜きをしないで――!」

ところが。

エリカちゃんは、ぴたっ、と、首をかしげて、にっこり笑いました。

「先生、これ、血、抜けないんだよ」

「えっ」

「もう、抜けてるんだもの」

「えっ」

「うちで、抜いてきたから」

「うちで……?」

「お野生のお肉は、すぐに血抜きしないと、臭くなるのよ」

「あ、あの、エリカちゃん、それ、専門家の知識……」

「猟師さんに、教わったの」

「猟師さんと、お知り合い、なんですか」

「うん、町外れの、おじちゃん」

「あ、あの、無口な、おじちゃん」

「うん」

「(あの猟師さん、エリカちゃんに、何を、教えてしまったのだろう)」

エリカちゃんは、にこにこと、続けました。

「だから、もう、血、抜けてるから、安心してね」

「あ、ああ、はい」

「あとは、ひき肉にするだけなの」

「ひ、ひき肉に、するだけ」

「うん」

ぶぉぉぉぉぉん。

ウイイイイイイイイイイイイイン――!

エリカちゃんのチェーンソーは、ものすごい速さで、イノシシを、解体していきました。

しゅばっ、しゅばっ、しゅばっ。

毛皮を剥ぎ、内臓を分け、骨を外し、肉だけにする。

その手際の良さは、もう、一級の、職人芸でした。

クラスメイトたちは、目を見張りました。

「す、すごい」

「料理番組、みたい」

「料理番組、こんなんじゃない」

「でも、すごい」

「すごいけど、見たくない」

そして、エリカちゃんは、最後に、肉のかたまりを、包丁とまな板の上に、置きました。

「あとは、たたいて、ひき肉ね」

とんとんとん、とんとんとん。

ものすごい速さで、包丁が、肉を、刻んでいきます。

たった、三十秒で。

教室には、ふっくらと、つやつやと、ぴかぴかの、ひき肉の山が、出来上がりました。

ほのかに湯気が立つほど、新鮮でした。

「で、できたー、新鮮すぎるひき肉」

「新鮮すぎる」

「ね、生きてたから、ついさっきまで」

「それ、新鮮の、上限を超えてる」

「鮮度、最高でしょ?」

「鮮度、最高、というか、限界突破」

椿さんは、そっと、つぶやきました。

「(これは、新鮮、ではなく、ほぼ、生命体の延長)」

「(成仏、まだしてない、たぶん)」

家庭科の先生は、その時。

ふらふらと、椅子に、座り込みました。

「ち、ちょっと、休憩します」

「先生、ハンバーグ、作らないの?」

「あ、作る、作ります、ちょっとだけ、お水を」

「お水、私、汲んでくるね」

「い、いえ、自分で行きます」

家庭科の先生は、ふらふらと、家庭科室を、出ていきました。

そして、職員室に、たどり着いた瞬間、山本先生に、向かって、こう言いました。

「山本先生、ご相談が」

「はい」

「家庭科室で、ジビエの解体が、行われました」

「あ、はい」

「動じないんですか」

「動じる体力が、もう、残ってないんです」

「私、まだ三十代なのに、白髪が増えそうです」

「私は、もう増えました」

「諦め、早いですね」

「いや、これは、諦めじゃ、ないんです」

「では、何ですか」

「適応です」

「適応……」

「人間は、過酷な環境にも、適応します」

「でも、適応していい、限度ってありますよね」

「限度を、超えています」

「ですよね」

「では、胃薬、半分こ、しますか」

「お願いします」

ふたりの先生は、職員室で、しばし、無言で、胃薬を、飲み合いました。

その間、家庭科室では。

エリカちゃんが、ひき肉を、ぼん、と、ボウルに入れて。

たまねぎ、たまご、パン粉、塩、こしょう、を、ぱっぱっと、加えていました。

「ナツメグ、入れる人、入れていいよー」

「あ、エリカちゃん、お料理、ちゃんと、知ってるんだ」

「だって、お料理は、得意なの」

「お料理は、得意」

「でも、調達の方が、もっと得意」

「調達は、もう、知ってる」

クラスメイトたちは、おそるおそる、エリカちゃんを、囲みました。

そして、自分たちのボウルにも、エリカちゃんが分けてくれた、新鮮すぎるひき肉を、入れました。

「これ、本当に、食べられるの」

「食べられるよ」

「お腹、壊さない?」

「壊さないよ、血抜きしてあるから」

「血抜き、してあるって、ちゃんと聞いたら、安心するんだね」

「ほんとは、こうやって獲ったお肉が、一番おいしいのよ」

「そ、そうなの?」

「猟師さんも言ってたわ。お野生のお肉は、ちゃんと処理すれば、最高のごちそうって」

「ちゃんと処理が、ちゃんと処理に見えなかっただけだね」

ハンバーグは、こねられ、丸められ、フライパンで、じゅう、と、焼かれました。

家庭科室には、ものすごく、いい匂いが、立ちこめました。

香ばしい、お肉の匂い。

ふっくらとした、ハンバーグの匂い。

その匂いを嗅ぎつけて、職員室の山本先生と、家庭科の先生が、ふらふら、と、戻ってきました。

「あら、いい匂い」

「すごく、いい匂い」

「これ、本当に、あのイノシシ?」

「あのイノシシです」

「信じられない」

「信じられない、けど、いい匂い」

ハンバーグは、お皿に、ふっくらと、盛りつけられました。

ナイフで切ると、肉汁が、じゅわっ、と、あふれ出ました。

ひと切れ、口に運ぶと――

「お、お、おいしい」

「な、なにこれ」

「お肉が、お肉してる」

「食感が、こんなに違うんだ」

「臭くない、ぜんぜん」

「むしろ、お上品な味」

「(牡丹鍋のお肉、ちゃんと処理すると、本当においしい)」

「(けど、これ、家庭科の授業で出していい味の上限、超えてる)」

家庭科の先生も、ひと口、食べました。

「お、おいしい……」

「先生、おいしい?」

「ものすごく、おいしいです」

「ね、愛があるでしょ」

「愛は、感じるんですよ」

「愛は、料理を変えるのよ」

「愛が、過剰供給な気もしますが」

「過剰でいいのよ、愛は」

椿さんは、ハンバーグを、ひと口、食べました。

そして、ぽつり、と、つぶやきました。

「これ、神社のおじいちゃんに、食べさせたい」

「ほんと?」

「ほんとです、こんなに上等なお肉、お正月でも出ません」

「持って帰ろ、椿さん」

「いいんですか」

「私、何頭でも、獲ってこれるから」

「あの、何頭、まで持ってこれるんですか」

「裏山に、たくさんいるよ」

「何頭、いますか」

「うーん、群れで、二十頭くらいかな」

「群れで二十頭、って、ちょっと、多くないですか」

「多いけど、私のチェーンソーで、足りるよ」

「足りる、足りないの問題じゃ、ない」

椿さんは、ふっと、ため息をつきました。

そして、神社の家系として、そっと、心の中で、つぶやきました。

「(裏山の動物保護、神社のおじいちゃんに、相談しよう)」

「(あと、エリカちゃんの裏山入山、頻度を、確認しよう)」

「(このペースだと、あと、半年で、裏山、空っぽになる)」

授業のあと。

家庭科室の調理台に、毛皮が、丁寧に、たたんで置かれていました。

エリカちゃんが、小声で、家庭科の先生に、聞きました。

「先生、これ、要る?」

「えっ、毛皮、ですか」

「うん、せっかくだから」

「い、いえ、私は、ちょっと、結構です」

「じゃあ、椿さんにあげる」

「私もいりません」

「えー、もったいない」

「神社では、皮、扱いません」

「じゃあ、海斗君に」

「(海斗君が、可哀想)」

結局、毛皮は、町外れの、無口な猟師のおじちゃんが、エリカちゃんから受け取ることになりました。

おじちゃんは、エリカちゃんから毛皮を渡されたとき、しみじみと、こうつぶやきました。

「嬢ちゃん、もう、俺の弟子、卒業だな」

「えっ、そうなの?」

「俺より、解体、上手いから」

「ほんと?」

「ほんとだ。ただ、ひとつだけ、忠告がある」

「なに、おじちゃん」

「学校の家庭科室で、解体は、するな」

「えー、なんで」

「家庭科室は、調理場であって、捌き場じゃ、ない」

「家庭科って、家のことするんでしょ」

「うちでも、家庭科室みたいな場所では、捌かないんだ」

「そうなんだ」

「うん、そうなんだ」

「了解、おじちゃん」

「了解、してくれよ」

エリカちゃんは、こくり、と、うなずきました。

その夜、椿さんは、神社の縁側で、おじいちゃんに、報告しました。

「おじいちゃん、ただいま」

「お帰り。今日は、どうだった」

「家庭科の授業で、エリカちゃんがイノシシを解体しました」

「ほう」

「教室で」

「ほう」

「巨大なやつを」

「裏山か」

「裏山です」

「なるほど」

「『なるほど』、で、終わるんですか」

「終わるよ」

「もうちょっと、驚いてほしい」

「驚く体力は、お前のお父さんの代に、ぜんぶ使い切った」

「家系の体力配分、間違えてるんじゃ」

「間違えてはおらん。お前の代に取っておいた力が、まだある」

「何の力ですか」

「適応力だ」

「適応力で、どこまで適応するんですか」

「人間の適応力は、無限だ」

「神社の家系の信条として、それでいいんですか」

「いい。我が家系は、人間の適応力に、全幅の信頼を置いておる」

「(信頼の方向性、おかしい気がする)」

おじいさんは、ふっと笑って、お湯のみを口に運びました。

そして、ぽつり、と、こう言いました。

「ところで、椿」

「なに」

「ハンバーグ、おいしかったか」

「おいしかったです」

「持って帰ってきたか」

「持って帰ってきました」

「では、いただこう」

おじいさんは、満面の笑みで、お皿を、待ち受けました。

椿さんは、すっと、おじいちゃんの前に、お皿を、置きました。

おじいさんは、ひと口、食べました。

そして、目を、見開きました。

「これは……」

「うん」

「最上級の、牡丹肉、ではないか」

「最上級です」

「これは、料亭でも、なかなか出ない」

「出ないですよね」

「家庭科の授業で、これが」

「出てきました」

「教育現場とは、ここまで進化したのか」

「進化、というか、突然変異です」

「突然変異の方が、しっくりくる」

おじいさんは、ハンバーグを、ゆっくりと、味わいました。

そして、しみじみと、つぶやきました。

「あの方の料理、おいしいな」

「おいしいです」

「過程は、見たくないがな」

「見たくないです」

「過程と、結果は、別物だ」

「別物に、しないと、心が持たない」

「結果だけ、いただくとしよう」

「賢明です」

椿さんと、おじいちゃんは、その夜、丼でハンバーグをおかわりしました。

そして、椿さんの日記には、その夜、こう書き加えられていました。

今日、家庭科の授業で、エリカちゃんが、ハンバーグを、ジビエから、作った。

過程は、見ないようにした。

結果は、おじいちゃんが、おかわりするほど、おいしかった。

過程と、結果は、別物だ、ということを、私は、神社の家系の知恵として、学んだ。

たぶん、これは、人生に、たくさん応用が利く知恵だと思う。

応用が利きすぎる知恵かもしれない。

椿さんは、その夜、ふっと、ほほえみました。

なお、その翌週。

家庭科の先生から、職員会議で、ひとつの提案が、出されました。

家庭科室の調理実習における、食材の規定について。

第一条――食材は、スーパー、または学校が用意したものに、限る。

第二条――生体での持ち込みを、禁ずる。

第三条――調理器具に、チェーンソーを、含めない。

第四条――前記条項に違反した場合、家庭科の先生は、胃薬を、職員会議で請求する権利を有する。

職員会議では、満場一致で、可決されました。

そして、その規定の、欄外には、小さく、こう書き足されていました。

※ただし、当該児童には、この規定の効力は、及ばない可能性がある。

※及ばなかった場合は、調理結果のおすそ分けを、職員室に、お願いする。

家庭科の先生は、その規定を、家庭科室の壁に、貼り出しました。

エリカちゃんは、それを見て、にっこり笑いました。

「先生、おすそ分け、了解」

「規定の本文の方、読みました?」

「読んだよ」

「で、感想は」

「おすそ分けは、了解」

「それだけですか」

「それだけ」

「(やっぱり、規定の効力、及ばなかった)」

家庭科の先生は、職員会議の議長に、深く、深く、頭を下げました。

そして、来年度の家庭科室の予算には、ひとつ、新しい項目が、加わることになりました。

項目:胃薬。

用途:家庭科の先生用、および、山本先生用。

備考:エリカちゃんの調理実習に、備える。

家庭科室の壁には、その日から、もうひとつ、貼り紙が、増えました。

家庭科の授業中の、お野生の持ち込みは、ご遠慮ください。

その下には、エリカちゃんの字で、こう書き足されていました。

※おうちで処理してから、持ってくるのは、いいですか?

家庭科の先生は、その貼り紙を見て、深く、深く、ため息をついて、こう書き足しました。

※おうちでも、処理しないでください。

※スーパー、または、業者から、買ってください。

エリカちゃんは、その新しい貼り紙を見て、ちょっとだけ、ふくれていました。

「愛は、買えないのに」

「エリカちゃん、買えないのは、愛じゃなくて、生体です」

「同じよ」

「ぜんぜん、違います」

「椿さん、お料理の愛、わかってないわ」

「私、お料理の愛は、わかります。でも、生体は、別問題なんです」

「むずかしいわね、世の中」

「むずかしいです、本当に」

椿さんと、エリカちゃんは、家庭科室の前で、しばし、貼り紙を、見つめ合いました。

そして、エリカちゃんは、ぽつり、と、つぶやきました。

「来週、何の授業?」

「来週は、図工です」

「図工、なんだ」

「何か、企んでます?」

「企んでないわよ」

「ほんとですか」

「ほんと」

「(来週、図工室にも、貼り紙が、増えるかもしれない)」

椿さんは、心の中で、来週の自分に、合掌しました。

家庭科室の窓の外では、秋の風が、優しく、吹いていました。

裏山の方からは、今日も、何かの気配が、すうっと、稜線の向こうに、避難していくのが、見えるようでした。

エリカちゃんの、二学期の調理実習は。

愛とともに、新鮮すぎるひき肉とともに、職員会議の議題とともに。

伝説として、町の家庭科教育史に、深く、深く、刻まれることになったのでした。

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