閑話 「花子さんと最強のトイレ」
ある朝の女子トイレ。
ウイイイイイイイイイン!
ガッシャーン!
廊下に、けたたましいエンジン音と、ものが壊れる派手な音が響きました。
「うわーん! 私のトイレを壊さないでー!」
おかっぱ頭の花子さんが、白い着物の裾を翻して、泣きながら廊下を走り去っていきました。
そのうしろでは、エリカちゃんが、満足そうにチェーンソーをしまっています。
「今日も、いい切れ味だったわ」
「エリカちゃん、また花子さんのトイレを斬ったの?」
「悪い気配がしたのよ」
「気配じゃなくて、ただの古い壁だよ」
「斬り応えはあったわ」
「壊した感想を言われても困るよ……」
これは、もう、いつもの光景でした。
登校してきた生徒たちは、慣れた様子でトイレの瓦礫をよけて歩きます。
新入生だけは、ぎょっとして立ち止まりました。
「あれ、何?」
「あー、エリカちゃんの朝の儀式」
「儀式なんだ……」
「すぐ慣れるよ」
そのころ、廊下の角で気持ちが落ち着いた花子さんは、しゃがみこんでつぶやいていました。
「いつもエリカちゃんに、トイレを壊されちゃう……何とかならないかしら」
「それは独り言?」
背後にはエリカちゃんが立っていました。
「気のせいよ!」
「気のせいということにしてあげるわ」
花子さんは、しばらく、じっと考え込みました。
やがて、ぱあっと顔を上げました。
「そ、そうだわ!」
「何?」
「壊されちゃうのなら、壊れないように頑丈にすればいいのよ!」
「花子さん、あなた、何をする気?」
「最強のトイレを作るの」
「不穏ね」
「不穏じゃないわ。平和の追求よ」
「平和の手段が、いつも怖いのよね、あなた」
そして、数日後。
学校の女子トイレで、改修工事が始まりました。
工事業者の人が、設計図を広げて、首をしきりにかしげていました。
「あの、お嬢さん」
「はい」
「ちょ、チョバム・アーマーですか、トイレの壁に?」
「そうよ」
「お嬢さん、これ、戦車の装甲なんですけど」
「壁を、チョバム・アーマー製にすれば、簡単には壊れないはずよね」
「壊れはしませんが」
「あと」
「まだ何かあるんですか」
「トイレの床を踏むと催涙スプレーが発射する仕掛けと、レーザー光線が発射される仕掛けもつけてね」
「お嬢さん、それ、もう、トイレじゃない」
「トイレよ」
「軍の要塞ですよ、これは」
「使用目的はトイレよ」
「申請が必要そうな案件です」
「予算は出すから」
「は、はい……」
業者は、生まれて初めて見る種類の見積書に、震える手でハンコを押しました。
※注:チョバム・アーマーとは、一九六〇年代にイギリスで開発された複合装甲のことです。戦車の装甲です。トイレの壁ではありません。
工事は、夜の間に行われました。
近所の人は、夜中の搬入音と、聞いたこともない種類のドリル音を聞いて、首をかしげました。
「学校で、何の工事をしてるんだろう」
「下水管の交換じゃない?」
「下水管にあんな分厚い壁、いる?」
町内の噂は静かにざわめきました。
そして、改修の終わったトイレ。
花子さんは、新しいトイレの前に立って、胸を張りました。
「これで、落ち着いてトイレで過ごせるわ」
「花子さん、あなた、何を目指してるの?」
海斗君がおそるおそる聞きました。
「平穏」
「平穏の手段が、根本的に間違ってる気がする」
「壁、見て」
「分厚いね」
「複合装甲よ」
「分厚すぎるね」
「踏み板、ここに仕掛けてあるの」
「催涙スプレーね」
「天井、見て」
「レーザー光線ね」
「完璧でしょ?」
「完璧の意味、辞書で調べた方がいいよ」
やんちゃな男子生徒が、廊下を通りかかりました。
そして、いつものように、面白半分で女子トイレの壁に油性ペンで落書きしようとしました。
すると――
プシュッ。
「ぎゃあああ目がー!」
壁から、たっぷりの催涙スプレーが噴射されました。
男子生徒は、目を押さえて、転がるように退散していきました。
「うふふ、いい仕事するわね」
花子さんは、満足そうにつぶやきました。
不良生徒の上級生が、面白がって女子トイレの壁を蹴飛ばそうとしました。
ガッ。
「いって!」
壁はびくともしません。
それどころか、複合装甲の壁が、ぴくりとも動かずに、不良生徒の足首を痛めました。
「うふふ、もっといい仕事するわね」
花子さんは、その日一日、新しいトイレで上機嫌に過ごしました。
要塞のような壁。
催涙スプレー完備。
レーザー光線、警備中。
これで、もう、誰にも壊されない。
そう、思っていました。
だが。
数日後の朝。
花子さんが、いつものようにトイレに帰ってくると――
ウイイイイイイイイイン!
廊下に、けたたましいエンジン音が響きました。
「えっ」
花子さんは、後ろを振り返りました。
そこには、エリカちゃんが、満足そうにチェーンソーをしまっているところでした。
そして、花子さんの背後では――
最強のはずのトイレが、見事に真っ二つに切断されていました。
催涙スプレーは、起動する前に配線ごと切断されていました。
レーザー光線は、発射方向の鏡ごと斬られていました。
チョバム・アーマー製の壁は、繊維と繊維の継ぎ目を、ピンポイントで縦に斬られていました。
無傷の部分は、ありませんでした。
「前のトイレよりは、切り応えあるわね」
エリカちゃんは、ふっと得意げな顔をしていました。
「うわーん!」
花子さんは、また、泣きながら走り去っていきました。
廊下の向こうから、海斗君が首をかしげて近寄ってきました。
「エリカちゃん、何が起きたの?」
「悪い気配がしたのよ」
「またその理由」
「壁が固いほど、悪い気配が濃いの」
「逆ね」
「いいえ、定義よ」
「定義をエリカちゃんがするんだ……」
工事業者の人は、改修工事の被害報告書を見て、しばらく無言になりました。
「チョバム・アーマー製のトイレが、家庭用チェーンソーで真っ二つ……」
「物理的にあり得ないんですけど」
「でも現場では起きました」
「現場の話は、信じます」
業者は、書類のいちばん下に、こう書き足しました。
**特殊事例:通常の物理法則は適用されません。**
そして、その夜。
チェーン荘で、花子さんはぼそりと言いました。
「私のトイレ、また斬られた……」
「お疲れ」
「最強の壁を、チェーンソーで斬る方が異常よね」
「異常よ」
「自分で言うんだ」
「異常なのは私のチェーンソーじゃなくて、私の気合いよ」
「気合いで複合装甲を斬らないで」
恵那ちゃんが、算盤をはじきながら言いました。
「収支報告。トイレ改修費、全損」
「全損なの?」
「全損」
「保険、おりるかしら」
「チェーンソーによる損害は、たぶん免責」
「免責なのね……」
「保険会社、見たこともない損害事由って言ってた」
「業界初なのね」
「業界初」
花子さんは、深いため息をつきました。
「次は、もっと頑丈なトイレを……」
「花子さん、もう諦めた方が」
「諦めない」
「強い心ね」
「私のトイレなんだから」
秀明おじさんが、缶ビールを傾けながら言いました。
「嬢ちゃんよ、あんまり花子の城、壊してやるなよ」
「秀明おじさんも、たまにはまともね」
「俺もな、家ってもんを失くしたことあるんだよ。家を失くす気持ちはわかる」
「秀明おじさん、それ、ホームレスだった話よね」
「言うなよ」
そんな会話を縁側で聞きながら、エリポンがぽんぽこお腹を叩きました。
「エリポンも家がほしいでちゅ!」
「あなた、もうチェーン荘に住んでるでしょ」
「もっと立派な家がほしいでちゅ!」
「家までチョバム・アーマー製にする気じゃないでしょうね」
「ぽん!」
「肯定なのね……」
「みんな、装甲化に夢を見すぎ」
こうして、花子さんは「最強のトイレ伝説」を、これからも更新し続けることになりました。
日々、塗り替えられる装甲の種類。
日々、新しい仕掛け。
日々、結局チェーンソーで斬られる結果。
それでも、花子さんは諦めません。
なお、それから数日後。
学校の女子トイレの前には、新しい注意書きが貼られました。
**学校のトイレは、改修にも限度があります。**
その下に、小さくこう書かれていました。
**※チョバム・アーマー製の壁の設置は、ご遠慮ください。**
そして花子さんのトイレには、いつのまにか、花子さん自身の手で、新しい貼り紙が貼られていました。
**もう、チェーンソーで斬らないで。**
ただし、その貼り紙の下には、エリカちゃんの字で、こう書き足されていました。
**※気配がしたら、斬ります。**
さらにその下には、誰の字かはわからない、しかし筆跡のおかしな添え書きまで足されていました。
**※気配は、固ければ固いほど、濃いです(定義)。**
花子さんは、この貼り紙を見て、その日もまた、深いため息をつくのでした。




