第47話 「エリカちゃんと文化祭②」
午後の文化祭。
お化け屋敷の前の列は、もう、廊下の角を曲がるほどの長さになっていました。
「あそこ、本物が出るらしい」
「本物がガチで悲鳴あげる」
「でも、なんか、無事に出てこられる」
「妙な物件らしい」
お客さんの間で、噂はもう、口コミで広まっていました。
中学生のお兄さんやお姉さんまで、わざわざ並びに来ていました。
「先生、お客さん多すぎて、整理券、いりますか?」
クラスメイトが、山本先生に聞きました。
山本先生は、空を見て言いました。
「整理券は、エリカちゃんが整理しています」
「先生、それは整理券じゃありません」
「整理券です」
「整理券じゃないですけど」
「もう、整理券で結構です」
山本先生の言葉は、半分、放心していました。
教室の中。
お化け屋敷の最後のブースには、本来、クラスの一番の脅かしポイントが用意されていました。
段ボールの棺桶。
そこから、クラス一の演技派の女の子が、ばあっと飛び出してくる――そんな段取りでした。
ところが、その棺桶の中で、もぞもぞと、別の影が動いていました。
「誰、入ってるの!」
クラスメイトが、ふたを開けました。
中には、宮坂さんが、ぱっと顔を上げました。
「捕まえたら、何かもらえると思って!」
「またあなたなの!?」
「だって、海斗君がお化けにびっくりしてかばってくれるかもって……」
「お化けになる気じゃないわよね、それ」
「お化けに、なるつもりだったわ」
「お化け屋敷の中身を勝手に増やそうとしないで!」
入り口で気配を察したエリカちゃんが、ふっと振り向きました。
「宮坂さんね」
「ち、違うわよ!」
「いつも棺桶のなかにいる」
「いつもじゃないわよ!」
「海斗君防衛戦、再起動」
「やめて!」
ウイイイイイイイイイン!
「ぎゃー! 覚えてらっしゃい、エリカちゃん!」
宮坂さんは棺桶を蹴飛ばし、廊下に飛び出していきました。
山本先生は、廊下を走らないでください、と注意しようとして、声を出すのをやめました。
「逃げる方は、走っていいことにします……」
「先生、また特例措置ですか」
「もう、いいです」
「先生の心の体力が」
「みなさんがそれを口にしないでください」
それから、お化け屋敷のクライマックスが近づいてきました。
廊下の奥から、ぐじゅり、ぬるりと、何かが床を這って近づいてきました。
青黒い体。
表面に開いたり閉じたりする目玉。
ぷるん、と揺れて、教室の最終ブースの真ん中に居座りました。
「マリンちゃん!?」
クラスメイトが叫びました。
「家に置いてきたはずよね?」
ぷるん。
「歩いてきた?」
ぷるん。
「またお化け屋敷参加組が増えた!」
さらに、ぽんっと煙が上がりました。
煙が晴れると、魔女の格好をした、しっぽのある小さな女の子が立っていました。
「魔女のエリポンでちゅ!」
「エリポン、家族の参加は禁止だよ!」
「忍び込んだでちゅ!」
「正直すぎる」
そしてトイレからは、すうっと、おかっぱ頭が顔を出しました。
「私もちょっと見学に来たわよ」
「うちの花子さんまで!」
「だって、別の学校の花子が来てるって聞いたから、テリトリー守らなきゃ」
「お化け屋敷で縄張り争い!?」
通路の奥では、二人の花子さんが、おかっぱ同士で見つめ合っていました。
「あなたが、噂の隣町の花子?」
「うちの花子さんの噂、聞いてるの?」
「もちろん」
「私の方が古いわよ」
「私の方が、装備が新しい」
「装備って何?」
「催涙スプレー」
「えっ」
「あ、ごめんなさい、それは別の話だわ」
「別の話?」
「最近、自分のトイレを要塞化しようと思って」
「されてエリカちゃんに斬られるやつね」
「あなたも経験あるの?」
「あるあるある」
「業者、紹介する?」
「お願いするかも」
「花子ネットワーク、便利ね」
クラスメイトたちは、最終ブースの片隅で、女子会と化したお化け屋敷を眺めていました。
「これ、もう、お化け屋敷じゃないよね」
「お化け休憩所だね……」
「クライマックス、いつ来るの?」
「今、来てる」
「これがクライマックスなの!?」
そのとき。
入り口で、エリカちゃんがすうっと立ち上がりました。
「整理整頓よ」
「やめて! まだ営業中!」
クラスメイトが叫びました。
「営業中だからこそよ」
「逆だよ!」
ウイイイイイイイイイン!
教室にけたたましいエンジン音が響きました。
別の学校の花子さんが、ぴゃっと飛び上がりました。
「やだ、また! 今度こそ失礼するわね!」
「うちのクラスから出てって」
「了解!」
「業者の連絡先、忘れずにね」
「うちの花子さん、ちゃんと送るわ!」
別の学校の花子さんは、窓から、ぴゅう、と消えていきました。
うちの花子さんは、満面の笑みでトイレに帰っていきました。
「縄張り争い、勝った」
「いつ争ったの!?」
人体模型は、ぎゃっ、と叫んで、廊下に逃げ出しました。
そのまま、関節をきしませて理科室まで自力で帰っていきます。
ピアノは、音楽室まで音を引きずりながら退散しました。
十三階段の幽霊は、自分の階段に大慌てで吸い込まれていきました。
エリポンは、ぽんっと煙を出して逃げました。
「魔女のエリポンも一旦退散でちゅ!」
マリンちゃんは、ぬるりと床から這い、教室のすみへと吸い込まれていきました。
ぷるん。
(敗北宣言の沈黙)
「全員、整理した」
「整理というか、本物が一斉に避難しただけ」
「同じことよ」
「違うんだなあ……」
ようやく、純粋にクラスのお化け役だけのお化け屋敷に戻りました。
そして、お化け屋敷は、ようやく本来のクオリティを発揮し始めました。
お客さんの悲鳴は、純粋に楽しい悲鳴になり、出口を出るときの笑顔も増えました。
「最初の方、なんか変だったけど、後半すごくよかった!」
「メイクが本格的!」
「お化けと、整理係のお姉さんがいて、不思議だったけど、楽しかった!」
夕方。
お化け屋敷は、ついに来場者数の集計が出ました。
学年別、模擬チケット集計、過去最高――。
クラスメイトは大歓声を上げました。
「やった! 優勝!」
「うちのクラスが優勝した!」
「お化けが本物だったかどうかは置いといて!」
「思い出には、確実に残る!」
山本先生は、表彰の壇上で、にっこり笑顔で表彰状を受け取りました。
そして、舞台の袖に下がった瞬間、無言で椅子に座り込みました。
「先生、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「顔色が」
「気のせいです」
「白いです」
「そういうメイクです」
「メイク、してないですよね」
「気のせいです」
山本先生は、机の引き出しを開けました。
朝にひと粒、お昼にひと粒、開場前にひと粒、お化け乱入時にひと粒、宮坂さん飛び出し時にひと粒。
「もう、五錠目です」
「先生、それ、たぶん、用法用量を超えています」
「気のせいです」
「気のせいじゃないと思います」
「気のせいということにします」
山本先生は、表彰状を抱えたまま、机に額をつけました。
「文化祭、無事に終わってよかった……でも、私の胃が、終わりました」
夕日が職員室に差し込んできました。
夕焼けの色が、なぜか、どこか達成感と疲労感の混ざった色をしていました。
教室では、エリカちゃんが、海斗君と並んで片付けをしていました。
「海斗君、文化祭、楽しかったね」
「うん。エリカちゃんがいたから、来場者数一位だね」
「半分、私の手柄ね」
「半分以上、エリカちゃんが原因でもあるよ」
「言い換えただけよ」
「言い換えてないんだけどな……」
「来年は、何の出し物にしましょうか」
「来年こそ、普通の出し物にしようね」
「普通って?」
「クレープ屋さんとか、ジュース屋さんとか」
「クレープにチェーンソー、いる?」
「いらない!」
「ジュースを絞るのに、チェーンソーで――」
「それ、もう絞ってないから!」
夕焼けの教室で、二人の声が、ゆるやかに響きました。
なお、文化祭が終わったあと、教室の入口には、新しい注意書きが貼られました。
**文化祭の出し物は、安全第一でお楽しみください。**
その下に、小さくこう書かれていました。
**※来場者数一位の理由を、深く追求しないこと。**
そして山本先生の机の引き出しには、新しい仕切りが追加されました。
中にはぎっしり、種類の違う胃薬が並んでいました。
ラベルにはこう書かれていました。
**文化祭用。**
**運動会用。**
**席替え用。**
**席替え用、念のためのもう一個。**
**エリカちゃん用(万能)。**
そして、職員室の最終棚には、ひそかにこんなメモが貼られていました。
**胃薬の在庫が切れたら、振替休日を申請する。**
山本先生は、その日、家に帰ってからお茶碗一杯のお茶漬けと、塩昆布だけを食べて寝ました。
そして翌朝、また学校にやってくるのでした。
強い先生でした。




