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第2話 「日常の学校で」

翌朝の学校は、いつもより少しだけ騒がしかった。

理由は簡単です。

理科室の壁に四角い穴が開き、女子トイレの扉が斜めに斬られ、隣のクラスの宮坂さんの机には人体模型が固定されていたからです。

「誰がやったんだろうね……」

「知らない方が長生きできると思う」

「人体模型、夜中に動いたらしいよ」

「それより机に生えてる方が怖いよ」

生徒たちはひそひそ話をしていました。

そんな中、神谷エリカちゃんは平然と席に座り、海斗君の作ってきた朝のおにぎりを食べていました。

「海斗君、この塩辛おにぎりおいしいわ」

「よかった。エリカちゃん、辛いの好きだもんね」

「でも次はわさび多めでもいいかも」

「朝から?」

「朝だからよ」

海斗君は少し困った顔をしながらも、うれしそうに笑いました。

その様子を見ていたクラスメイトたちは、小声でつぶやきました。

「海斗ってすごいよな……」

「エリカちゃんの横で普通に弁当広げられる胆力がある」

「もはや勇者だよ」

そこへ、担任の山本先生が教室に入ってきました。

山本先生は若い女性の先生ですが、この学校でただ一人、エリカちゃんに正面から注意できる人です。

「みなさん、おはようございます」

「おはようございまーす」

元気な返事のあと、山本先生は出席簿を机に置きました。

そして、にっこり笑いました。

「昨日の夜、学校でとても不思議なことが起きたそうです」

教室が静まり返りました。

「理科室の壁が壊れました。女子トイレの扉も壊れました。さらに二年四組の宮坂さんの机に人体模型が固定されていました」

生徒たちは、一斉にエリカちゃんを見ました。

エリカちゃんはおにぎりを食べながら、首を傾げました。

「不思議ね」

「エリカちゃん」

「はい、先生」

「あとで職員室に来なさい」

「どうしてですか?」

「先生の勘です」

「勘で呼び出すのは横暴だと思います」

「先生の勘は、たいてい当たります」

山本先生が笑顔のままそう言うと、エリカちゃんは少しだけ目をそらしました。

「……海斗君も一緒でいいですか?」

「どうして海斗君も?」

「私ひとりだと寂しいので」

「だめです」

「先生のけち」

「けちで結構です」

山本先生は黒板に今日の予定を書き始めました。

一時間目、国語。

二時間目、算数。

三時間目、生活。

四時間目、音楽。

「音楽室……」

エリカちゃんの目が、きらりと光りました。

海斗君はその光を見逃しませんでした。

「エリカちゃん、音楽室は授業で行く場所だからね。七不思議の調査場所じゃないよ」

「昼と夜で顔が違うかもしれないじゃない」

「そういう言い方をするとホラーっぽいけど、学校の備品は壊しちゃだめだよ」

「見るだけよ」

「本当に?」

「たぶん」

「たぶんなんだ……」

一時間目の国語では、教科書の音読がありました。

山本先生が言いました。

「今日は順番に読んでもらいます。まずは海斗君」

「はい」

海斗君はすらすらと読みました。

次にエリカちゃんの番です。

「では、エリカちゃん」

「はい」

エリカちゃんは教科書を開き、真面目な顔で読み始めました。

「おじいさんは山へ芝刈りに――」

そこで止まりました。

「先生」

「何ですか?」

「芝刈りにはチェーンソーを使っていいですか?」

「使いません」

「効率が悪いと思います」

「童話に効率を求めないでください」

「でもおじいさんがチェーンソーを持っていれば、鬼もすぐ倒せます」

「まだ桃太郎は出てきていません」

クラスがざわつきました。

山本先生はこめかみを押さえながら言いました。

「エリカちゃん、続き」

「はい」

エリカちゃんは納得していない顔で続きを読みました。

二時間目の算数では、九九の練習がありました。

「三五?」

「珊瑚」

「三五、十五です」

「先生、漢字は合っています」

「算数です」

「五五?」

「午後」

「二十五です」

「午後二十五時?」

「ありません」

「不便ね」

山本先生は早くも疲れてきました。

海斗君は小声で言いました。

「エリカちゃん、買い物の計算はできるのに、どうして九九は苦手なの?」

「言葉にするとややこしいのよ」

「そうかなあ……」

三時間目の生活では、学校の中の安全について学びました。

「廊下は走らない。階段ではふざけない。危ないものを持ってこない」

山本先生が言うと、クラスメイト全員がまたエリカちゃんを見ました。

「何よ」

エリカちゃんは不満そうに言いました。

「私は危なくないわ」

「エリカちゃん本人は可愛いけど、持っているものが危ないんだよ」

海斗君が言うと、エリカちゃんは少し頬を赤くしました。

「可愛いって言った?」

「えっ、そこ?」

「もう一回言って」

「授業中だよ」

「あとで言って」

「……うん」

そのやり取りを見て、クラスメイトの女子たちはひそひそ話しました。

「海斗君って、エリカちゃんに慣れすぎじゃない?」

「命知らずというか、愛されすぎというか……」

「近づくと斬られそうだから無理」

四時間目は音楽でした。

音楽室に入ると、壁には有名な作曲家たちの肖像画が並んでいました。

どれも立派なひげを生やした、厳しそうなおじさんたちです。

エリカちゃんはそれを見上げて、眉をひそめました。

「むさいわね」

「エリカちゃん、失礼だよ」

「だっておじさんばかりじゃない。もっと可愛い絵にした方がいいわ」

「学校の音楽室ってだいたいこうだよ」

「夜に動き出したら嫌ね」

「動き出す前提なんだ……」

そのとき、音楽の先生がピアノを弾き始めました。

ぽろん、ぽろん。

優しい音色が音楽室に広がります。

エリカちゃんはじっとピアノを見つめました。

「海斗君」

「何?」

「あのピアノ、夜中に勝手に鳴るのかしら」

「たぶん鳴らないと思うよ」

「鳴らなかったら、鳴るように改造すればいいのかしら」

「やめようね」

海斗君は全力で止めました。

昼休み。

エリカちゃんと海斗君は教室でお弁当を食べていました。

海斗君のお弁当は、卵焼きにおにぎりに野菜のおかず。

エリカちゃんのお弁当は、塩辛、たこわさ、わさび漬け、そしてイチゴミルクでした。

「エリカちゃん、お酒のおつまみみたいなお弁当だね」

「お酒は飲まないわよ。私はイチゴミルク派だもの」

「そこは小学生っぽいね」

「馬刺しにも合うのよ」

「合うのかなあ……」

そこへ宮坂さんが教室の入口から顔を出しました。

昨日、机に人体模型を固定された女の子です。

「エリカちゃん!」

「あら宮坂さん。人体模型は気に入った?」

「気に入るわけないでしょ!」

「運命の出会いかと思ったのに」

「思わないわよ!」

宮坂さんは涙目で叫びました。

「覚えてらっしゃい、エリカちゃん!」

そう言って走り去っていきました。

海斗君はため息をつきました。

「エリカちゃん、宮坂さんに意地悪しちゃだめだよ」

「だって、海斗君に話しかけてたもの」

「クラスメイトだから普通に話すよ」

「普通って怖いわね」

「エリカちゃんの普通の方が怖いよ」

放課後。

エリカちゃんは山本先生に職員室へ呼ばれました。

「エリカちゃん」

「はい」

「昨日の夜の件について、先生は怒っています」

「私は何も知りません」

「そうですか」

山本先生はにっこり笑いました。

「では、どうしてあなたの上履きに理科室の壁の粉がついているんですか?」

「……壁が私に近づいてきたんです」

「壁は歩きません」

「この学校の七不思議かもしれません」

「先生をごまかそうとしない」

山本先生はエリカちゃんの両頬を軽くつまみました。

「うにゅ」

「夜の学校に入らない。壁を壊さない。トイレの扉を斬らない。人体模型を人の机に固定しない」

「先生、注文が多いです」

「全部当たり前です」

「はい……」

さすがのエリカちゃんも、山本先生には逆らえませんでした。

職員室から出ると、海斗君が廊下で待っていました。

「エリカちゃん、大丈夫?」

「先生にほっぺを伸ばされたわ」

「反省した?」

「少し」

「本当に?」

「次は証拠を残さないようにするわ」

「そっち!?」

海斗君が頭を抱えると、エリカちゃんはにこっと笑いました。

「海斗君、今日の夜はどうする?」

「行かないよ!」

「音楽室のピアノ、気にならない?」

「気になるけど、行かないよ!」

「じゃあ明日?」

「そういう問題じゃないよ!」

夕暮れの廊下に、二人の声が響きました。

こうして、エリカちゃんの日常の学校生活は、今日も平和に終わりました。

ただし。

この学校にとっての平和とは、壁が残っていて、誰もチェーンソーで斬られず、山本先生の胃が少し痛むくらいのことを言うのです。


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