寝言
にわかに空が明るくなった。テントの中にいてもわかるくらいに。澄んだ大気が肺を膨らます。相変わらず空気は薄くて、体を休めるには十分でなかった。
ランカがつい十五分ほど前に眠ってくれた。手を握り合ったまま、俺たちは夜を明かしたのだった。
昨日は疲れた。ジョエルたちとの戦いを経て、ヒロコ、イリス、課題は山積みだ。これからどうなるかわからない不安が俺の心を押しつぶしかけた。
それを察したランカが、テントや食事の世話、全部引き受けてくれた。
「俺も何か手伝おうか」
「いいのいいの。タロウは休んでて」
敬語をやめたランカとの距離が上手く掴めず、俺の口数は絶対減ったと思う。
ランカは薪を組んで火を起こすと、はんごうでご飯を焚き、おにぎりを作ってくれた。おにぎりは、星座のようなきれいなトライアングルを形作っていた。
「タロウおにぎり好きでしょ」
「うん」
「そういう顔してる。ごめんね、こんなものしかできなくて」
俺は具のないおにぎりを四つ食べた。ランカが煎れてくれたお茶を飲んでいたら、眠くてたまらなくなった。
テントで先に休む旨を伝えると、ランカも一緒に寝ると言う。何度か夜を明かした仲なので喜んで迎え入れる。別に深い意味はない。
「タロウはおにぎりが好き」
「うん」
「他には何が好きなのかなぁ」
俺は既にライトブルーの寝袋に体を潜り込ませていた。ランカが隣で着替えていても特に気にしない。
「ガーベラの花が好きだよ」
「え? 嘘、本気で言ってるの? 何で?」
適当に答えたら、ランカが過剰に食いついた。会話を続ける意図はなかった。とにかく休みかったし、耳がズキズキしていた。
「母の日に贈ったら、喜ばれた。便利だな、花って」
「それって女は花を贈ったら手懐けられると思ってるの? やだー、最低」
「ランカは俺が花を贈っても喜ばない?」
下着姿のランカが、にやにやしながら俺の髪を撫でる。
「喜ばない。悶え死ぬー」
怒濤のキス攻撃が俺を襲う。口開けるのがだるいのでランカに任せる。いっそ死んでくれとは言わないが、若干しつこい。
「ねえ、母の日はガーベラじゃなくて、カーネーションじゃなかったっけ」
「ああ? そうだったけ。どっちでもいいよもう」
寝返りを打つ俺だったが、転がされて同じ向きに戻される。ランカの燃えるような目と目が合う。
「カーネーションだよ。絶対」
「うん、そうだね。もう寝かせてくれる。疲れてるから」
目を閉じたら、揺り起こされる。もういい加減にしてくれ。
「あのさあ……」
「ねえ、何か冷たくない? 私たち久しぶりに会ったんだよ」
昼間はそっちの方がそっけなかったじゃないか。よくわかんないな。どうしたいのか。
「話は明日聞くから」
「ダメなの! 明日になったらもうヒロコさんとイリスちゃんにかかりきりになるでしょ。タロウを独占できるのは今だけなんだから」
必死な態度に感化され、俺は座り直した。下着姿でいられると変な気分になるので、服を着るように言った。ランカの下着の色は、白。上下花柄のこれまで見たことない奴。
「タロウ、寒くない?」
ランカは結局、下着の上にジャージの上を羽織っただけだった。その癖、人の世話を焼く。
「うーん、よくわかんない。今のところは大丈夫、だと思う」
俺の足の間にランカが背中を向けて座る。日に当たったせいか、髪が若干痛んでいる。見てたら少し目が冴えた。
「疲れてるのに嫌だよね、こんなの」
「ランカのためなら辛くないよ。話してると気も紛れるから」
ヒロコとはくつろいだ会話をした記憶がほとんどない。あいつは根っからの合理主義者で、俺の感情すら利用していたのだ。今でも許せない。
「実はね、眠るのが怖いの」
「どうして?」
ランカの体を後ろから抱きしめる。再会した時も思ったが、少し太ったかな。
「ほら、私、一人で暮らしてたじゃない」
「ん、ああ」
「貯金したかったってのもあるんだけど、本当は私、寝相がすごい悪いの。寝言も言うから、恥ずかしくて恥ずかしくて」
前に繊細って言ってたものな。ランカはこわごわ俺の反応を伺うように話している。いじらしい奴め。
「俺と寝た時何でもなかったじゃん」
「あの時は一晩中起きてた」
そっちの方が驚きだよ。何してたんだこの子。
「タロウの寝顔、ずっと眺めてた」
「写真撮ってないだろうな」
俺の危惧は的中していた。ランカが首だけで素早く振り返る。
「どうしてわかったの? 一杯撮って、FGに保存してある。タロウと会えない時はそれ見て我慢してた」
「もう実物が側にいるんだから必要ないだろ。全部消せよ」
ランカの手首にあるFGに触ろうとしてかわされ、じゃれているうちに眠気が嘘のように吹っ飛んだ。代わりに下腹部に力が集まる。
「あー、何か眠くなってきた。もう寝るねー」
俺がやる気になった所で、突然の終息宣言。気持ちのもって行き場がない。まあ場所と状況がそんなことを許してくれないってことだろう。
横になったランカが、瞬きせずに俺を見上げる。
「タロウ、私が寝るまで手、繋いでてもらっていいかな」
「いいよ。眠ったら寝顔撮ってやる」
「タロウ、写真機能知らないでしょ。機械オンチだもんね」
「し、知ってるわい、そのくらい」
「じゃあ撮ってー、可愛くね。約束だよ」
ランカの目が閉じられ、口がすぼまる。会話はようやく途絶えた。
俺は片手でランプの火を消し、ランカの隣に仰向けになった。
いびきとかすごいのかと思ったら、全然静かだ。外の風の音の方がうるさいくらい。このテントは杭で留められてるから吹っ飛ぶ心配はない。
「おやすみ、ランカ。今日は色々ありがとう」
大切な人の体温がすぐ側にあるってこんなに落ち着くんだ。一人で寝る方が疲れは取れるかもしれないけど、これはこれでやめられない。
「……、ナナリー」
俺が半分寝入った頃、誰かに呼ばれた気がして薄目を開けた。意識は暗いテントの空間をさまよったままだ。
ナナリーって誰?
「ナナリー、手、離してよ、恥ずかしいよ」
テントの中には俺とランカしかいない。ランカは一人で喋っている。
これが例の寝言かと合点がいく。俺はランカの手の感触を確かめた。汗で湿ってる。夢の中で友達と会っているのかもな。
「ねえ、ナナリー、いつまで握ってるの? みんな見てるよ。ねえったら」
ランカの声が羞恥を含んだものに代わる。おいおい、どこのナナリーさんか知らんけど、俺の恋人にしつこくしないで欲しいね。困ってるじゃないか。
「……、怖いよ。私こういうの初めてで。ちゃんとできるかな。えっ、教えてくれるの?」
俺の考え過ぎかもしれないけど、雲行き怪しくなってきてないか。聞かれて困る寝言ってまさか……
「はぁはぁ……、ナナリー、私、おかしくなっちゃう、このまま一緒にイこ? いいでしょ」
懇願するようなそれでいて余裕を忘れた声が、激しい息づかいに入り交じる。
ぎゅっとランカの手に一層力が込められる。荒い呼吸音が落ち着くと、手の力も緩んだ。
テントの中は氷点下近くまで冷えていたかもしれないが、汗がとめどなく出た。恋人の過去の情事を聞かされてたようで、胸くそ悪かった。
どうりで俺とした時、手慣れてると思った。
いや、待てよ、ナナリーって女の名前だろ。ん? え、そういうこと?
「女同士か……」
ランカが女の子を好きでも別に俺は構わない。頭ではわかってる。今は俺の方に目が向いてるはずだから。聞かなかったことにするのが一番だ。正直胸中は複雑だった。明日からどんな顔していいのかわかんねえ。
一端落ち着いたランカだったが、まだ終わっていなかった。
「ごめんね……、ナナリー……」
激しい興奮の後だったから余計に衝撃的だった。涙声混じりの謝罪に変わるとは。背中に触れるとかすかに震えている。
俺ができたのは手を握ってあげることだけだった。ランカのごめんねは、朝日が昇るまで続いた。
「私の寝言、うるさかったでしょ」
目に溜まった涙を拭きながら、ランカが俺に言った。起き抜けの低い声にどきまぎする。
「ああ、うるさかった。タロウ愛してるーって」
ランカはくすぐったそうに身をよじった。
「うそー!? ほんとに?」
「俺も愛してるって言っといた」
ランカが俺の胴に手を回してきたので、抱き合った。
「ずっと手握っててくれたんだ。やっと気持ち通じたね。私も愛してる」
たぬき娘め。愛してるって気持ちに偽りはないだろうけど、まだ隠し事してやがんな。とはいえ過去は過去だ。言いたくないこともあるだろう。辛い過去かもしれない。自分から言えるまで待ってやるとするか。




