↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/8

通行点検は、通らない

旧荷車道の入口は、妙にわかりやすかった。


腕木を抜かれた道標の先。草に埋もれているはずの脇道には、踏み固められた土が細く続いている。少し進めば、曲がり角に新しい白木の杭まで立っていた。


「親切な道だな」とセラが言った。


「ええ。誰に親切なのかは、まだわかりませんが」


リオは手綱を緩め、二輪車をゆっくり進めた。車輪が通ったばかりの轍がある。雨を吸った地面に、輪縁の筋がまだくっきり残っていた。トマの話とは合わない。旧道としては整いすぎている。


馬は耳を前へ向けている。怯えてはいない。それでもリオは速度を上げなかった。積荷は以前の半分以下になったが、車体が小さくなった分、轍の片側に足を取られるだけで姿勢が変わる。


「誘い込まれていると思うか?」


「通ってほしい場所は、あるみたいですね」


「なら、先で待っている者を倒せばいい」


「倒しても、届け先が近づくとは限りません」


セラは不服そうだったが、剣には触れなかった。


曲がり角の手前でリオは地図を開いた。峠筋へ続く本来の旧荷車道。その脇に、古い荷捌き場を経て、先で本道へ戻る短い側道が細く描かれている。今は使われていないはずの道だ。


前方には小さな橋があった。欄干の片側だけ木が新しい。橋板の修理が最近行われたこと自体はおかしくない。しかし、その先に見える杭と轍まで同じ日に用意されたように感じられた。


リオは二輪車を止めた。


「どうした?」


「あれを見てください」


橋を越えた先に、横木を渡した簡単な柵があった。外套を着た男が二人。片方は紙を手に持ち、もう片方は道の端に立っている。


杭には、「通行点検」と書かれた板が下がっていた。


「関所か?」


「この地図には載っていません」


「新しくできたのだろう」


「その可能性もあります」


リオは声を落とした。ここからでも向こうに二輪車と乗員の姿は見えるだろう。しかし、書類の封印やセラの顔立ちまで確かめられたとは限らない。


相手の一人がこちらに気づき、手を振った。


「そこの荷車! 通行点検だ。橋の先まで進め!」


リオは手綱を握ったまま、動かなかった。


「どちらの管轄ですか?」


「街道管理の点検だ。荷と同乗者を確認する」


「発行元と担当印を、こちらから見えるように示してください」


男は紙を持ち上げた。距離があり、文字は読めない。


「来れば見せる!」


「権限を確認できるまでは、橋を渡れません」


男が隣と何か話した。リオの問いに答える代わりに、柵の方へ来いとまた手招きする。


「私が行こうか」とセラ。


リオは首を横に振った。


「あなたが行けば、確認どころじゃなくなります」


「お前が行けば?」


「あなたから8メートル離れます」


「そうだったな」


セラは一度だけ前を見た。二人の男は武器を抜いていない。それでも、彼女の右手が剣の柄の近くに留まる。


「私なら柵も二人もどかせる」


「知っています。でも、今はどかさなくていい」


「……わかった」


それは意外なほど短い返事だった。


リオは馬の頭をゆっくり回した。背後で「おい、どこへ行く!」と声が上がる。追ってくる足音はまだない。


「正式な関所なら、次の駅逓で記録を照会できます。今ここで相手の言いなりになる理由はありません」


「では、戻るのか?」


「違います。地図に載っている道を通ります」


側道の入口は、背の低い藪の陰にあった。獣道よりは広いが、二輪車がすれ違える幅はない。リオは一度降りて車輪の通り道を確かめた。馬を先に歩かせ、そのすぐ後ろを車体が追う。セラは反対側へ大きく離れず、荷台の横から辺りを警戒した。


しばらくは順調だった。


問題は、露出した石の脇で路肩が一段落ちている場所だった。左の車輪が低い地面へ落ちれば、車軸が石にぶつかる。無理に引けば軸受けが歪むだろう。


「ここを通すのか?」


「荷を軽くして、段差をならします」


リオは荷台から水袋と工具を下ろした。先に馬の立つ位置を確かめ、車輪が通る幅だけ石を寄せる。出発のときから積んできた予備板を渡すと、段差の縁に短い接地面ができた。


セラが板を見下ろす。


「それで通るのか?」


「真っすぐなら。横へ流れたらやり直しです」


「斬った方が早くないか?」


「道を斬らないでください」


「冗談だ」


「昼から、冗談に聞こえなくなってます」


馬は慎重に前へ出た。リオが手綱を引きすぎないよう歩幅を合わせる。二輪車の右輪が石を越え、左輪が板へ乗った。


ぎしり、と木が鳴る。


車体がわずかに傾いた。


リオは馬を止めた。戻せば板がずれる。進めば左輪が外へ滑りそうだった。


「セラ、左の車輪だけ!」


「見えている」


滑りかけた車輪の進む向きが、不自然なほど小さく変わった。ほんの一瞬。車輪は板の中央へ戻り、次の回転で段差を抜けた。


馬は自分の足で渡り切った。セラは車体を抱えて運んだわけでも、道を平らにしたわけでもない。


リオは息を吐き、車輪の固定具を確かめた。曲がりも緩みもない。


「助かりました」


「もっと早く使わせればよかった」


「早く使っても、道幅は広がりませんから」


「お前は何でも狭い話にする」


「道が狭いので」


セラが小さく笑った。


下ろした荷を戻し、縄を締め直す。手間はかかった。峠筋の道をそのまま進んでいれば、もっと距離を稼げただろう。だが、あの柵を通過していれば、書類も同乗者も、相手の望む形で見せることになった。


二輪車が再び動き始めたころには、木々の影が伸びていた。


古い荷捌き場の跡は、山側に広がるわずかな平地だった。屋根は半分崩れ、使われなくなった繋ぎ柱が一本だけ残っている。近くには雨水を集めた窪みがあったが、水質まではわからない。


リオは崩れかけた屋根から離れた場所を選んだ。足元は固く、二輪車が傾かない。馬を繋ぎ、持参した水と飼葉を出す。リオとセラが離れずに動けるよう、寝る位置も先に決めた。


「ここで止まるのか?」


「止まります」


「まだ歩ける」


「あなたはそうでしょうね」


「馬も歩けそうだ」


「暗い急坂を、小さい二輪車で進む理由にはなりません」


セラは山の上を見た。目指す松風宿は、まだずっと先だ。


「初日から遅れたな」


「ええ。明日の朝、次の駅逓までどれだけ進めるか計算し直します」


「敵を倒してもいないのに、満足そうだな」


リオは荷台の封印を一つずつ確かめた。どれも切られていない。


「殺されず、荷も失わず、どの道を通るかまで向こうに決めさせなかった。それで今日は十分です」


「随分と控えめな勝利だ」


「配達は、着いてから勝ちって言う仕事なんです」


日が落ちると、山の輪郭だけが空に残った。


セラが先に林の音を聞き、リオは火を起こさず見張りの位置を決めた。遠くの声は届かない。昼の弓兵がどこへ行ったかもわからない。


やがて、向かいの尾根で小さな灯がともった。


一度。消える。


二度。消える。


三度。


「民家か?」とセラが言った。


リオは答えなかった。


少し遅れて、来た道の方角から別の灯が一度だけ返った。


片方が灯を使い、もう片方が応えた。それだけは見えた。合図の意味も、誰がそこにいるのかも、まだわからない。


ただ、山道の前と後ろで、誰かが互いの存在を確かめ合っている。


リオは暗い道に目を凝らした。


今夜、二人が止まった場所も、もう知られているのだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。