世界最強、積載量に負ける
補修所の屋根が見えたとき、リオはまず馬の歩幅を確かめた。
先ほどまでの襲撃で脚を傷めてはいない。鼻息は荒いが、石畳に蹄を置く間隔は揃っている。だからといって、このまま王都まで走らせるわけにはいかなかった。
リオは馬の首を軽く叩いた。
「着いたぞ」
セラは馬車の後ろから屋根を見上げた。
「ここで道を直すのか?」
「道路を直す人は、たぶんここにもいません」
「では何をする?」
「道に合わせて、車両を替えます」
補修所は低い石壁に囲まれ、作業場の軒下には車輪や荷台の枠が吊るされていた。人通りの多い商会の支店とは違う。壊れたものを使える形に戻す、街道沿いの小さな工房だった。
リオが馬を止めると、片腕を油で汚した男が出てきた。
「うちは宿じゃないぞ」
「車両の相談です。共同輸送商会の貸与車なんですが」
男は差し出された書類の、必要な欄だけを読んだ。リオは配送対象の氏名と事件番号を指で隠している。
「トマだ。補修なら見る。ただし、すぐ直るとは言わん」
「修理ではありません。旧荷車道を通れる二輪車が必要です」
「厄介な道を選ぶな」
「選んだ覚えはないんですが、向こうから指定されました」
トマは事情を聞かなかった。その代わり、軒先に置いた馬車の車輪を一周見て、首を振った。
「この車幅じゃ無理だ。うちの二輪なら入れるが、乗せられるものは半分もないぞ」
「見せてください」
二輪車は、前に二人が詰めて座れる小さな席があり、後ろに短い荷台が付いていた。馬一頭で引く作りだが、車輪は細く、坂で積荷が前へ寄れば簡単に姿勢を崩しそうだ。
リオは軸受けに触れ、荷台の底板を叩いた。木は乾いている。車輪に左右のがたつきはない。ただし、重い荷を積めば下り坂の制動に難がある。
「借りたいです」
「16時半に先約がある」
リオは空を見た。まだ午後の早い時間だが、晩秋の陽は高くない。
「いつまでに話をつければいいですか?」
「先約の客が譲ると言うなら貸す。その返事が15時過ぎまでに来なければ、先約を通す。勝手に約束を消すわけにはいかん」
「連絡はできますか?」
「近くの荷集め場にいる。使いをやればな」
セラが二輪車の片側を持ち上げようとして、リオに止められた。
「待ってください。変なところに力をかけたら車軸が歪みます。弁償になるんですから」
「これを買ってしまえば早い」
「届けてもいない報酬は使えません」
セラが首を傾げた。
「金がないのか?」
「あります。使っていい金がないんです」
正確には、あるとも言いにくかった。だが借金の説明まで始めれば、二輪車が借りられる頃には日が落ちる。
リオはトマに貸与条件を書き出してもらった。保証金、返却期限、破損時の負担。元の馬車をここへ預けるための受領証も要る。
「先約の人には、予定を動かした分の代わりを用意します」
「金なら向こうも出す」
「金額では競いません。貸出は次の交換地点までにしてください。そこで返却して、ここへ回送する手配をします。戻ったあとの点検も、こちらで引き受けます。元の借受先にも車両交換を報告します」
「再整備の費用は誰が払う?」
「まず輸送契約の経費条項を確認します。認められない分を俺の財布に付け替える契約には署名できません」
トマは、初めて少しだけ笑った。
「面倒な配達屋だな」
「面倒を飛ばして事故を起こすよりは、ずっと安いです」
トマが連絡役を荷集め場へ出している間、リオは商会の貸与書類を机に広げた。途中で車両を替える場合の報告欄と、故障時の保管規定を読み、必要な番号だけ写す。
セラは窓際に立ち、外の道を見ていた。補修所の敷地は狭く、建物の中にいても二人の間が8メートルを超えることはない。外を見回るために彼女だけを歩かせるわけにはいかない。
「林の連中は来ていますか?」
「見えない」
「見えないのは、いないこととは違いますね」
「お前にもわかるのか?」
「配達先で『荷物は届いていない』と言われたら、控えを確認します。見えないものは、記録で補うんです」
「では私がここにいる記録もあるのか?」
「あります。あなたの名前は伏せてありますけど」
セラはそれ以上聞かなかった。
先約者から了承が戻ったのは、積み替え用の縄を二本選んだあとだった。貸出は次の交換地点まで。返却後の回送と点検はリオの側で手配すること。変更による実費は輸送契約の経費条項の範囲で精算すること。トマは相手が承諾した条件を書いた。リオは経費条項と突き合わせ、範囲に収まることを確かめてから署名した。
「二輪車は貸す。ただし、荷重上限を超えたらここから一歩も出さん」
「超えません」
「今の馬車を見て言ってるのか?」
「だから、今から減らします」
荷を一つずつ下ろすと、想像以上に場所を取った。
厚い寝具。予備の荷縄。大きな工具箱。予備の水桶。街道用の車輪部材。どれも役に立つ。全部積めば、二輪車が役に立たなくなる。
リオは地面に二つの列を作った。持っていくものと、預けるもの。
契約書類は手元。水と食糧、飼葉、応急工具、最低限の寝具。車輪に合わない大型の予備部材は置いていく。預ける荷には封をし、番号と数量を控える。返却方法も決めずに置けば、捨てたのと同じだ。
「私が全部持てばいい」
セラが工具箱の取っ手を掴んだ。
「運べるのはわかっています。でも、その状態で10日以上歩きますか?」
「歩ける」
「俺がついていけません。それに馬が驚けば、あなたが荷を抱えたまま走る必要も出る」
「面倒だな、8メートル」
「いま気づいたんですか?」
「お前と歩くのが、だ」
「配送対象からの苦情として記録しておきます」
二輪車へ載せ直すときは、リオが荷の位置を決めた。重いものは低く、車軸の近くへ。左右の重量差をなくし、下り坂で前へ滑らないように結ぶ。セラは言われた荷を軽々と持ったが、最後に固定縄を締めたのはリオだった。
リオが荷台を左右に押して揺れを確認すると、トマも手を添えた。
「ちゃんと積んだな」
「坂は積んだときより、止まるときが怖いですから」
元の馬車は補修所に預けた。管理札と車輪の状態を記録し、預り証を受け取る。馬は新しい二輪車の牽引に使えるか、トマと歩かせて確認した。慣れない引き具に首を振ったが、歩き方に乱れはない。
出発準備が済んだところで、リオは荷袋から布包みを出した。
「もう一つ、聞きたいことがあるんです」
布の中の金具を見て、トマの顔つきが変わった。
「古い型だな。共同輸送商会の標準荷車に使っていたやつだ。修理のたびに付け替える」
「どこから来たものかわかりますか?」
「印だけじゃわからん。うちでも似たものを扱う」
トマは金具を裏返し、端の二つの孔に指を止めた。
「ただ、この穴の開け方は……」
リオは顔を上げた。
「心当たりが?」
「松風宿の先に、似た修理をする工房があった。まだやってるかは知らんし、ここで開けた穴とも限らん」
「名前は?」
トマは記憶を探るように少し考え、街道地図の松風宿の先を指さした。リオはその場所を控え、金具を布に戻す。
調べたい。今すぐ、誰の荷車だったのか問いただしたい。
だが、今日の配達先は修理工房ではない。
「寄り道は?」とセラ。
「しません。届ける途中で確かめられるなら、そのときに」
「意外に我慢強いな」
「納期があるので」
御者台の上に地図を開く。旧荷車道の入口までは、さっき引き返してきた街道をもう一度進む。
日が傾き始めていた。行ける距離は短い。それでも、ここで止まれば、誰かが選ばせた道を通るより前に負ける。
リオは馬の耳を見て、ゆっくり手綱を引いた。
「出ます。暗くなる前に、止まれる場所を探します」
二輪車が動き出したところで、背後からトマの声がした。
「旧荷車道を使うなら気をつけろ。この数年、まともに通った車の話は聞かん」




