元カノからのお願い
放課後までの六時間で、俺は十三回、別れた理由を聞かれた。
「浮気?」
「束縛?」
「水城さんに釣り合わないって言われた?」
最後のやつを言った長谷川には、黙って脇腹を肘で突いた。
否定しても意味はなかった。
水城本人が認めたせいで、俺の言葉は「別れたことを引きずっている元彼の強がり」として処理される。
水城の席にも、休み時間のたびに人が集まっていた。
彼女は困ったように笑いながら、質問をうまくかわしている。
ときどき目が合った。
そのたび、水城はほんの少し眉を下げた。
謝っているようにも見えたし、まだ黙っていろと言われているようにも見えた。
どちらにしても腹が立った。
放課後、俺は特別棟の四階へ向かった。
第二音楽室は、古い譜面台や壊れた椅子を置く倉庫みたいになっている。吹奏楽部が使うこともなく、廊下には誰もいなかった。
扉を開けると、水城は窓際に立っていた。
夕日が差し込み、床に長い影を作っている。
「来てくれてありがとう」
「説明して」
水城は一度うなずき、深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
「謝ったら、俺たちが付き合ってなかったことになる?」
「ならない」
「じゃあ、今からみんなに訂正して」
水城が顔を上げる。
「私が勝手に嘘をついたって言えば、久世君は巻き込まれずに済む」
「だったら――」
「でも、私は困る」
あまりにまっすぐ言われて、言葉が止まった。
「ずいぶん勝手だな」
「うん。勝手なことをしてる」
言い返さない。
いつもなら相手が嫌な気持ちにならない答えを選べるはずなのに、今の水城には、その余裕がないらしい。
「理由を話して。それで納得できなかったら、すぐ訂正してもらう」
「分かった」
水城は机の上にスマホを置いた。
画面には、見覚えのある黒いアイコンが映っている。
「青嶺裏掲示板の投稿には、本当のことと嘘が混ざってる」
「知ってる」
「最近は、本人しか知らないことも書かれるようになった」
水城の声が少しだけ低くなる。
「佐伯美緒って分かる?」
窓側の一番前。始業式から空いたままの席を思い出した。
「同じクラスの?」
「私の友達。先週、このアカウントに好きな人の名前を書かれた」
水城の指が、スマホの端を強くつかむ。
「美緒がその人に告白して、断られたあともつきまとってるって。でも、美緒は告白してない。もちろん、つきまとってもない」
「好きだった相手は?」
「そこだけは本当だった」
全部が嘘なら、誰も信じなかったかもしれない。
一つ本当のことが混ざっていたせいで、残りの嘘まで事実になった。
「美緒は否定した。でも、言い訳だって言われた。今も学校に来られない」
「先生には話したの?」
「話した。アカウントも通報した。でも、誰がやってるか分からない」
「だから、自分で探すつもり?」
「うん」
迷いのない返事だった。
「管理人は、美緒と私の近くにいると思う。美緒が誰を好きだったか知っていて、告白したと思い込める人」
「心当たりがあるのか」
「四人いる」
水城は鞄から青いノートを取り出した。
「その四人に、少しずつ違う話をする」
「違う話?」
「一人には、私から久世君に告白したことにする。別の人には、初デートが水族館だったって話す。どの情報が投稿されるかで、誰から漏れたか分かる」
ようやく、朝の嘘の意味が見えた。
「今朝の投稿は完全なデマだった。だから否定するんじゃなくて、わざと本当だったことにしたのか」
「そう。管理人が間違いに気づく前に、こっちから情報を流したい」
「それで俺の許可もなく、元彼にした?」
水城の口が止まる。
「……はい」
「最低だな」
肩が小さく揺れた。
傷ついたのだと分かった。
それでも、言い直すつもりはなかった。
事情があれば、勝手に人を巻き込んでいいわけじゃない。
「久世君の名前が書かれた理由は、私にも分からない」
「目立たないから適当に選ばれたんじゃない?」
「自分で言わない方がいいと思う」
「誰のせいで言ってると思ってる」
「ごめんなさい」
「今日、何回目?」
「数えてない」
そこで初めて、水城の顔から少しだけ力が抜けた。
笑ったわけではない。
でも、教室で誰にでも向けていた顔より、今の方がずっと普通に見えた。
水城は青いノートを胸の前で抱える。
「お願い。私たちが付き合っていたことにしてほしい」
「嫌だ」
今度は俺が、迷わず答えた。
水城の表情が止まる。
「友達を助けたい気持ちは分かる。でも、俺を勝手に使っていい理由にはならない」
「……うん」
「それに、証拠もないのに四人を試すなんて危なすぎる」
「分かってる」
「分かってないから、朝あんなことをしたんだろ」
水城は何も言えなくなった。
俺は扉へ向かう。
「待って」
背中に声がかかった。
振り返ると、水城はさっきより強くノートを抱えていた。
それでも、俺を引き止める言葉は出てこない。
いつも誰にでも正しい答えを返せるはずの女子が、ただ立ち尽くしている。
「今日中に訂正して」
「分かった」
小さな返事だった。
俺が扉に手をかけたとき、水城がもう一度口を開いた。
「久世君を選んだのには、理由がある」
手が止まる。
「投稿に名前があったからじゃないの?」
「それだけじゃない」
水城は俺を見た。
「去年、あのアカウントの噂で転校した子。久世君の友達だったよね」
音楽室の空気が、一瞬で重くなった。
「どうして、それを知ってる」
水城は青いノートを抱えたまま答えた。
「あのとき、久世君が何をしたか知ってるから」




