第七話 達人
美和野中学校には、「達人」と呼ばれている先生がいた。
当時、五十代半ばは過ぎていただろう。
しかし、達人は全校生徒から恐れられていた。
まず、そのあだ名の由来だ。
入学した頃、先輩たちから達人の武勇伝を聞かされた。
なんでも複数の格闘技や武術に精通していて、合わせると十三段あるらしい。
空手、柔道、剣道、合気道――その他いろいろ。
もちろん、多少の尾ひれは付いていただろう。
だが、俺は実際に空手衣姿の達人も、柔道や剣道を教える姿も見ている。
少なくとも、いくつもの段位を持っているのは間違いなかった。
角刈りの長身。
鋭い眼光。
ただ立っているだけで威圧感があった。
授業は正直、何を言っているのかわからない。
社会科の教師だったのだが、戦争の歴史を語る時など、
「我々、大日本帝国は――」
などと妙に入り込むことがあった。
さらに語尾に「〜でぃ」と付ける癖があり、中学生にはなかなか理解しづらい授業だった。
俺は、その達人によく標的にされた。
気絶しそうになるほどのパンチを食らったことも、一度や二度ではない。
だが、当時の親にとって教師は絶対だった。
怒らせたお前が悪い。
そんな時代だ。
モンスターペアレントなど、まだ存在していなかった。
余談だが、当時ひどい目に遭った子供たちが親になり、
「自分がされたことを子供にはさせたくない」
そう考えた結果として、モンスターペアレントが生まれた面もあるのではないかと、俺は思っている。
そんなある日。
この頃よく遊ぶようになっていた龍二が、原付に乗って現れた。
「何それ? どうしたんだよ」
聞くと、土手に捨ててあったらしい。
試しにエンジンをかけたら動いたので、そのまま乗ってきたという。
俺たちの町には、なぜかバイクがよく捨てられていた。
小学生の頃はただのゴミにしか見えなかった。
だが、中学生になると宝物に見える。
「なんだよ龍二。俺にもまたがらせてくれよ」
そう言って原付にまたがった、その瞬間だった。
達人が車で通りかかったのである。
数メートル先で、達人の車が止まった。
俺たちは、とっさに顔をそらした。
しかし学生服を着ている。
百パーセント気付かれている。
達人は車から降りてくることもなく、こちらを見たまま再び走り去っていった。
生きた心地がしなかった。
正直、原付なんかどうでもいい。
問題は明日だ。
明日、どんな目に遭わされるのか。
俺は本音を漏らした。
「今からアメリカ行きてぇ……」
その瞬間、みんな笑い転げた。
完全にジ・エンドだった。
開き直りもあった。
笑うしかなかったのだ。
だが翌日。
俺たちは達人からも、ゴリよしからも呼び出されなかった。
達人は黙っていてくれたのである。
学校の外だからメリハリを付けたのか。
それとも、ただの気まぐれだったのか。
今となってはわからない。
ただ、あの日の俺たちは本気で覚悟していた。
だからこそ、何も起きなかったことが逆に信じられなかった。




