抑えきれない思い-アルヴェインside-
アルヴェイン・クローディアは、最近よく屋敷へ帰りたくなる。
以前はそんなことを意識したこともなかった。
彼にとって公爵家の屋敷とは、休息を取る場所でしかなかったからだ。
静かで、整っていて、必要なものは揃っている。
だがそれだけだった。
なのに今は違う。
執務室で書類を片付けながら、ふと考えてしまう。
──今頃、何をしているだろう。
本を読んでいるのか。
昼寝をしているのか。
庭を散歩しているのか。
それだけで思考が止まる。
「…………」
アルヴェインはペンを置き、深く息を吐いた。
重症だ。
机の端には招待状が積まれている。
夜会。
茶会。
貴族の集まり。
どれも王国上位貴族なら断れない類のものだ。
だが最近の返答はほぼ決まっていた。
『新婚の妻が環境に慣れていないため』
『公務多忙につき』
『夫人を疲れさせたくないため』
全部断っている。
秘書官には驚かれた。
社交嫌いのアルヴェインですら、ここまで徹底して断ることは珍しい。
だが仕方ない。
リリアーナはああいう場が苦手だ。
無理をさせたくない。
それに。
……正直に言えば。
他人に囲まれて疲弊している彼女を見たくなかった。
「閣下、本日の夜会ですが――」
「断れ」
「即答ですね……」
秘書官が遠い目をした。
アルヴェインは気にしない。
どうせ夜会へ出ても、愛想笑いをして終わるだけだ。
それなら少しでも早く帰宅したい。
ただ、屋敷へ帰っても、彼は必要以上にリリアーナへ近づかないよう気をつけていた。
彼女は十六歳。
対して自分は二十六。
十も年上だ。
しかも恋愛結婚でもない。
そんな男が距離を詰めすぎれば、恐怖を与えるかもしれない。
鬱陶しいと思われるかもしれない。
気持ち悪い、と思われるかもしれない。
だから意識して距離を取っている。
会いたいと思っても我慢する。
本当はもっと顔を見たい。
声を聞きたい。
同じ空間にいたい。
けれど、それを押しつけてはいけない。
彼女には穏やかに暮らしてほしいのだから。
「…………」
書類へ視線を戻す。
だが脳裏に浮かぶのは、最近のリリアーナの表情ばかりだった。
最初はかなり緊張していた。
目が合うだけで硬くなっていたし、声も小さかった。
それが最近は。
「旦那様、この本、とても面白かったです」
そう言って笑う。
柔らかく。
安心したように。
花がほころぶみたいに。
「……かわいい」
ぽつりと零れた。
秘書官がぎょっとして顔を上げる。
アルヴェインは無表情のまま書類へ視線を落とした。
聞かなかったことにしてほしい。
最近、自制が危うい。
リリアーナは努力家だった。
無理をしなくていいと言ったのに、公爵家の勉強まで始めた。
講師からの報告書にも、
『非常に熱心です』
『理解も早く、真面目な方です』
と書かれている。
しかも彼女は、それを誇るような態度を取らない。
当然のように努力する。
あの細い体で無理をしていないだろうか、と心配になるくらいに。
「……尊敬に値する」
アルヴェインは静かに呟く。
昔から強かな少女だった。
だが今は、それだけではない。
穏やかで。
優しくて。
誰かを思いやれる。
最近では自分のためにポプリや菓子まで用意してくれる。
あれは危険だった。
クッキーを差し出された瞬間、危うく理性が飛びかけた。
「閣下」
秘書官が恐る恐る声をかける。
「……最近、仕事を増やしすぎでは」
「問題ない」
即答だった。
実際、仕事量は以前より明らかに増えている。
予定を詰め込み。
視察を増やし。
会議を入れ。
空白時間を消している。
理由は簡単だ。
暇になると、リリアーナのことばかり考えてしまうから。
早く帰りたい。
顔を見たい。
声を聞きたい。
隣にいたい。
そんなことばかり考えてしまう。
「…………」
アルヴェインは額を押さえた。
これは良くない。
彼女はまだ若い。
自分に恋愛感情などないだろう。
ただ穏やかな環境に安心しているだけだ。
だからこそ、この感情を悟られてはいけない。
重いと思われたくない。
怖がらせたくない。
彼女の居場所を壊したくない。
なのに。
「……会いたいな」
小さく漏れた声は、誰にも届かなかった。




