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幸せな日々

リリアーナは、最近よく思う。


──幸せだわ。


公爵家へ嫁いでから数ヶ月。

最初こそ緊張していたものの、今ではこの広い屋敷での暮らしにも慣れてきていた。


朝は柔らかな陽射しで目を覚ます。


「……ん」


薄く目を開ける。

まだ静かな時間。

時計を見ると、朝の五時を少し過ぎた頃だった。


「また早く起きてしまった……」


アルヴェインは“無理に朝早く起きなくていい”と言っていた。

公爵夫人だからといって、厳しい生活を強いるつもりはない、と。


だから本当ならもっと眠っていてもいい。

けれど長年の癖なのか、自然とこの時間に目が覚めてしまう。


リリアーナは小さく伸びをしてから、窓を開けた。

朝の空気がひんやりとして心地いい。

庭にはまだ人影も少ない。


静かだ。

それだけで安心する。


「……今日も穏やか」


ぽつりと呟く。

ここへ来てから、心が落ち着いている。

誰かに無理に笑いかけなくていい。

お茶会や夜会へ頻繁に出なくていい。

常に気を張らなくていい。


それがこんなにも楽だなんて、以前は知らなかった。


実家でもそれなりに穏やかには暮らさせてもらっていた自覚はある。

お父様もお母様もお兄様も、侍女たちもみんな優しかった。

ただ貴族という以上、結婚して出て行かなければならず、それなりの教養や人付き合いは避けられない。


それが今では、社交はぱたりと無くなり、朝起きて朝食へ向かえば焼きたてのパンと温かなスープが用意されている。


昼食も。

おやつも。

夕食も。


毎日、驚くほど美味しい。

公爵家の料理人は天才ではないだろうか、とリリアーナは本気で思っていた。

しかも最近は、


「おはようございます、旦那様」

「おはよう、リリアーナ」


食事の時間が合えば、アルヴェイン・クローディアが一緒に席につくようになった。


静かな食卓。

無理に会話を続けなくてもいい空気。

けれど話題がないわけではない。


「以前おすすめしていただいた本、読み終わりました」

「どうだった」

「最後が少し切なかったです」

「ああ。あの作家はそういう終わり方が多い」


穏やかな声。

静かな会話。

それが不思議と心地よかった。


時には同じ空間で、ただ黙って本を読んでいることもある。

以前のリリアーナなら、“沈黙が苦痛ではない相手”など想像もできなかった。


アルヴェインは多忙だった。

早朝から仕事へ向かい、夜遅くに戻る日も珍しくない。


領地運営。

王宮での会議。

他にも公爵家当主として、背負うものが多いのだろう。


疲れているはずなのに、彼は決してそれを表に出さなかった。

それでもリリアーナは時々見てしまう。

夜更けまで本を読んでいた時に、今日も遅くまで仕事をして帰宅されたアルヴェインのわずかに疲れた横顔を。


「……旦那様、大変そう」


自分は何もしていない。

好きな本を読んで。

穏やかに暮らして。

自由に過ごしている。


それなのにアルヴェインは、“その生活を守るため”に働いている。

そう思うと、少し申し訳なくなった。

だから最近は、小さな“恩返し”を始めている。


「これは……ポプリか?」


ある日の夜。


執務室を訪れたアルヴェインが、小瓶を見て目を瞬かせた。


「は、はい。眠りやすくなる香りだそうで……」


リリアーナは少し緊張しながら答える。


「旦那様、最近お忙しそうでしたから」


小さなガラス瓶には、乾燥させた花びらと香草が詰められている。

侍女に教わりながら作ったものだった。

アルヴェインはしばらくそれを見つめ。


「……そうか」


静かに呟いた。

表情は変わらない。


けれどなぜか、部屋の空気が少し柔らかくなった気がした。


また別の日には、厨房でクッキーを焼いた。


「奥様、本当にご自分でなさるのですか?」


料理長が慌てていたが、リリアーナは頑張った。

焼き上がったクッキーは少し形が歪だったけれど、味は悪くなかったと思う。


「……美味しい」


アルヴェインはそう言って、一枚ずつ静かに食べてくれた。

その姿に、リリアーナはなんだか安心した。

恋愛感情、というものではない。


けれど。

この人にも穏やかでいてほしい、と思う。

優しくしてもらった分、少しでも返したい。

そんな気持ちは確かにあった。


そして最近のリリアーナには、もうひとつ日課が増えていた。


「本日は、公爵家が管理している北方領について――」


講師による勉強の時間である。

公爵夫人として最低限必要な知識は身につけたい。

そう思って始めたものだった。


「分からないところはございますか?」

「いえ、大丈夫です」


勉強は好きだ、新しい知識が増えると大好きな本の理解力も上がる気がする。

講師の方もとても分かりやすく丁寧に教えてくれるため苦痛もない。


「……ここは優しい人ばかりだわ」


使用人たちも、講師たちも、料理人も。

みんな穏やかだ。

そしてその中心には、きっとアルヴェインがいる。

あの人が望んだから、この空気なのだろう。


窓の外では夕暮れが広がっていた。

今日もアルヴェインは帰りが遅いらしい。

リリアーナは読みかけの本を閉じ、小さく考える。


──今日は旦那様にお茶を淹れてみようかしら、ご迷惑にならないと良いのだけれど。

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