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穏やかな婚約期間

婚約が決まったあとリリアーナ・エヴァレットは、しばらく現実味を持てずにいた。


王国屈指の名門、公爵家。

その当主との婚約。

普通なら社交界中の令嬢が羨む話だ。

けれど当の本人は、自室で届いた手紙を前に固まっていた。


『庭園の薔薇が見頃だった。君は赤より白を好みそうだと思った』


流れるように美しい文字。

差出人はもちろん、アルヴェイン・クローディア。

便箋には押し花が一枚挟まっていた。


「……綺麗」


小さく呟く。

婚約後、アルヴェインは頻繁に贈り物を届けてきた。


珍しい紅茶。

装丁の美しい本。

静かな音色のオルゴール。

栞や万年筆のような小さな雑貨。


どれも不思議なくらい、リリアーナの好みに合っていた。


派手な宝石や高価なドレスではない。

“彼女が部屋で穏やかに過ごせるもの”ばかり。

まるで、彼女自身を理解しているように。


「……どうして分かるのかしら」


リリアーナは本を抱えながら首を傾げた。

しかもアルヴェインは、婚約したからといって彼女を頻繁に呼び出したりはしなかった。


デートもない。

夜会への同行もほとんどない。

必要最低限の顔合わせ以外、彼はいつも距離を保っていた。


その代わり、手紙だけは欠かさない。


『最近は冷える。無理をして外へ出なくていい』


『君が以前好きだと言っていた作家の本を見つけた』


『返事は急がなくて構わない』


穏やかな文面。

押しつけがましさはない。

けれど不思議と、リリアーナの日常に静かに入り込んでくる。


最初の頃は緊張していた返事も、少しずつ長くなっていった。


『今日は庭で眠ってしまいました』


『いただいた紅茶、とても好きでした』


『あの本の続きが気になります』


そんな些細な話ばかり。

恋人らしい甘い内容ではない。

けれどアルヴェインは必ず返事をくれた。


『風邪を引かなくてよかった』


『あれは私も気に入っている茶葉だ』


『続編は結末が少し切ない』


まるで静かな会話だった。

無理をしなくていい。

上手く話せなくてもいい。


その空気が、リリアーナには心地よかった。


気づけば婚約期間として設けていた一年が過ぎていた。


◇◇◇


結婚式の日。

王都の大聖堂には多くの貴族が集まっていた。

豪奢なシャンデリア。

長い赤絨毯。

花々の香り。


本来なら、リリアーナがもっとも苦手とする空間だった。


これだけの視線を向けられれば、いつもなら逃げ出したくなる。

けれど。


「……大丈夫か」


隣から低い声がした。

アルヴェインだった。

黒の礼装に身を包んだ姿は、恐ろしいほど美しい。

リリアーナは慌てて視線を逸らす。

直視すると心臓に悪い。


「だ、大丈夫です……」


するとアルヴェインは少しだけ眉を下げた。


「無理はしなくていい。疲れたらすぐ休ませる」


まるで過保護な保護者である。

周囲の貴族たちは、その様子を信じられないものを見る顔で見ていた。


冷徹公爵が。

あのアルヴェイン・クローディアが。

花嫁にここまで気を遣っている。


だが本人たちは気づいていない。


リリアーナは緊張でそれどころではないし、アルヴェインは“十歳年下の繊細な妻への当然の配慮”だと思っていた。


式は滞りなく終わった。


誓いを交わし。

祝福を受け。

そしてその日の夕刻。


リリアーナは、公爵家の屋敷へ迎えられた。

王都でもっとも美しいと称される大公爵邸。


広い庭園。

静かな回廊。

天井まで届く本棚。


案内された瞬間リリアーナは固まった。


「……っ」


そこは、巨大な図書室だった。

壁一面を埋める本。

柔らかな長椅子。

陽当たりのいい窓辺。

静かで落ち着いた空気。


理想そのものだった。


「君が使っていい」


後ろからアルヴェインの声がする。


「……え」

「好きな時に読めばいい」


リリアーナは呆然と本棚を見上げた。


夢では?


するとアルヴェインは、少し考えるように言う。


「自室だけでは息が詰まるかと思ってな」


その一言に。

リリアーナの胸が、じわりと熱くなる。

この人は、ずっと自分が心地よく過ごせることばかり考えてくれている。


「……ありがとうございます」


小さく呟くと、アルヴェインは静かに目を細めた。

その表情は柔らかかった。


リリアーナは知らない。

この図書室が彼女のためだけに整えられたものだということを。

その真意はアルヴェインの深い深い愛であることを。

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