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公爵夫人として初めての夜会

リリアーナは、ある日ふと思った。


……おかしい。


窓辺で紅茶を飲みながら考える。

公爵家へ嫁いでからの日々は、驚くほど穏やかだった。

朝は静かに始まり。

美味しい食事があり。

好きな本を読めて、勉強もできる。

使用人たちも優しい。


旦那様も穏やかで、決して無理を強いない。


幸せだ。

本当に。


……幸せすぎるほどに。


「……あまりにも何もないわ」


ぽつりと呟く。

本来、公爵夫人とはもっと忙しいはずだ。


お茶会。

夜会。

王宮への出席。

領地視察。

慈善活動。

やるべきことはいくらでもある。


婚約時、アルヴェインは“無理をしなくていい”と言っていた。

けれど、ここまで何もないものなのだろうか。


「……私、避けられているのかしら」


不安が胸をよぎる。

引きこもってばかりいる妻では、公爵の隣に立つには相応しくないのでは。

人前へ出せないと思われているのでは。

けれどリリアーナは、侯爵令嬢として必要な教育は受けている。

マナーも挨拶もダンスも、完璧ではなくとも一通りはできるはずだ。

だとしたら。


「……旦那様が、ひとりで無理をしている?」


その考えが浮かんだ瞬間、胸がざわついた。

リリアーナは思い切って、公爵家の執事へ尋ねてみた。


「旦那様への夜会のお誘いは……どうされているのですか?」


老執事は一瞬迷うような顔をしたが、やがて静かに答えた。


「閣下がほとんどお断りしております」

「……全部?」

「はい。王宮からのお茶会も、夜会も」


リリアーナは息を呑む。

王宮からの誘いまで。


「ですが、それでは旦那様の印象が悪くなるのでは……?」

「実際、苦言を呈する貴族もおります」


胸が痛んだ。


「領地の視察は……?」

「閣下おひとりで対応されております。最近は公務が増えてお忙しく、十分な時間を取れておりません」


その瞬間、リリアーナの中ですべてが繋がった。


自分が引きこもっているせいだ。

旦那様は私との約束を守ろうとして、ひとりで全部背負っている。


「……っ」


ぎゅっと手を握る。

あんなに優しい人に、無理ばかりさせていたなんて。


その日の夕方。

リリアーナは珍しく落ち着かなかった。


「旦那様がお戻りになりました」


その声に、小さく息を吸う。


「……お話したいことがあると、お伝えいただけますか」


◇◇◇


執務室へ通されると、アルヴェインは少し驚いた顔をした。


「どうした」


リリアーナは緊張しながらも口を開く。


「……旦那様、私のために色々断ってくださっていますよね」


空気が止まった。

アルヴェインの目がわずかに細まる。


「誰から聞いた」

「執事に私から問いただしました……」


責める声ではなかった。

けれど静かな威圧感がある。

リリアーナは慌てて続けた。


「わ、私は確かに社交が苦手です。でも……旦那様に無理をさせたいわけではなくて」


言葉を探す。

うまく伝えたいのに、緊張して胸が苦しい。


「最近、勉強もしています」


アルヴェインが黙って聞いている。


「だから……私にできることは協力したいんです」


小さく、それでもはっきり言った。


「領地視察も、少しずつご一緒させてください」


沈黙。


しばらくしてアルヴェインが静かに息を吐いた。

その表情は困ったようでもあり、どこか眩しいものを見るようでもあった。


「……君は、本当に努力家だな」


低い声だった。


「だが無理は――」

「したくてしているんです」


思わず遮ってしまった。

アルヴェインが珍しく目を見開く。

リリアーナは頬を赤くしながらも続けた。


「旦那様ばかり頑張っているのは嫌です」


その瞬間アルヴェインは数秒ほど黙り込んだ。

そして静かに額を押さえる。


「……参ったな」


ひどく小さな声だった。


「実は今ここに王家主催の招待状がある。断りの返事を書くところだったのだが、もし君が良ければ」

「参加いたします」

「そうか。とても助かるが、だが無理はするな。疲れたらすぐに言ってくれ」

「はい!ありがとうございます」



◇◇◇


そして夜会当日。

届けられたドレスを見て、リリアーナは息を呑んだ。


深い青灰色。

そこへ銀糸が繊細に刺繍されている。

アルヴェインの瞳の色だった。

さらに首元には、公爵家の紋章を模した装飾。


まるで“クローディア公爵家の人間だ”と示すような装い。


「……綺麗」


思わず呟く。

鏡の中の自分は、いつもより少しだけ自信が持てる気がした。

全身から守られていると感じる。



夜会は華やかだった。

音楽。

笑い声。

シャンデリアの光。


けれど不思議と、怖くない。

隣にアルヴェインがいるからだろうか。


挨拶も問題なくこなせた。

マナーも失敗していない。


「少し安心した」


隣でアルヴェインが小さく呟く。

その声に、リリアーナは少し嬉しくなった。


だが夜会の途中。


「アルヴェイン公、陛下がお呼びです」


王家から声がかかる。


「……すぐ戻る」


そう言って離れていった。

ひとりになった瞬間、少し緊張する。



「リリアーナ嬢、こんばんは」


うしろから声がして振り返ると、以前婚約の申し入れをくれていた伯爵家の青年が立っていた。


人当たりの良い好青年だった。

その父親も穏やかな人物で、当時も悪い印象はなかった。

ただとても忙しい領地の方なのよね。


「本日もお美しいですね」

「ありがとうございます」


軽く会話を交わす。

そこへ父親も加わり、和やかな雰囲気になった。

伯爵領で最近流行りの菓子があるらしく、ぜひ今度夫婦で食べに来て欲しいとのことだ。


ひとりになり緊張していたが好意的な方々が多く、すぐに落ち着いて対応していくことができた。


まさか少し離れた場所で、それを見ていたアルヴェインの空気が静かに冷えていたことを、リリアーナの知る由ではない。


戻ってきた彼は、穏やかな笑みのまま言う。


「そろそろ疲れたのではないか」

「え?」

「今日はもう十分だ。帰ろう」


確かに疲れてはいる。

社交は得意ではない。


けれど、リリアーナは周囲を見回した。

まだ挨拶できていない貴族たちがいる。

公爵夫人として、必要なことだ。

だから彼女は小さく首を振った。


「……もう少しだけ」


アルヴェインが黙る。


「結婚して初めての夜会ですもの。一通りご挨拶はきちんとしたいです」


その声は小さい。

けれど意志はあった。


アルヴェインはしばらく彼女を見つめ。

やがて静かに息を吐く。


「……分かった」


低い声。

どこか諦めたようで。

同時に、ひどく愛おしそうでもあった。

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