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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第六章 王権のカタストロフィ;アルカディア
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第12話 地下室の檻

 ロゼは、ふと自分を呼ぶ声に気づいた。否、実際に呼び声が聞こえたわけではない。

 だが、たしかに理解できた。フィルとハユルドは気づいていないようだった。

 ロゼは導かれるように奥の部屋まで進んだ。鉄格子だけではなく、鉄の扉が空間を隔てていた。

「ここにいるのは?」

「ああ、少々いわくつきの魔獣です。弱っているので、人間を特に警戒して困っているのです」

「入れて頂戴」

「ええ、かまいませんが。私の後ろからは出られませんように。非常に凶暴です」

 ロゼはうなずいた。フィルもあとに続く。



 ハユルドが重厚な扉を開くと、他と同じような鉄格子があり、その先はさらに上部先端の鋭利な鉄柵が設けられていた。

 そこにいたのは、ロゼたちが唯一旅の仲間として見慣れた魔獣の姿だった。

「ラピスラズリ…」

 ロゼが駆け寄ろうとすると、フィルが強く制した。

 ラピスラズリは、ぐったりと身体を丸めていた。尾はだらりと垂れさがり、グレージュの毛並みもこころなしか艶がなくなって見えた。

 そうしていると、人の気配に気がついたのか、目をぱちりと見開いた。途端に全身の毛を逆立て、威嚇を始めた。地の底から鳴り響くような唸り声が、部屋中にとどろいた。

「このあいだから、起きているときはずっとこの調子です。魔毒までも取り込もうとしない。このままでは死んでしまいます」

「ああ。ラピスラズリ、なんてこと…」

 ロゼは目の前の光景に愕然とした。

「こんなところに入れているからでしょ!主人のところに帰してよ!」

「今はできません。国の方針です。いずれは帰すことになるかもしれませんよ」

「今すぐよ!もうギリギリの状態なのよ!手遅れになってしまうわ!」

「聖女様のお願いであろうと、そればかりは聞けません」

 ハユルドは、子供の我儘を諭すような口ぶりになった。

「あなたには優秀な聖獣がいるでしょう。聖獣使い様でも、むろん聖獣博士様であろうとも、こちらのことには関与できません。そういう決まりです」

 フィルは悲痛な顔で、ロゼに首を振った。

「引くんだ、嬢ちゃん。ここで何を言おうと変わりしない」

 フィルにせいいっぱい優しく肩を叩かれ、ロゼは悔しさに歯を食いしばった。

「私、こんな酷いことを平然とやってのける精神がわからないわ」

「目先のことだけ見ていては、理想は達成できません。あなたは幸か不幸か、すべて知らされないまま、永き眠りについていただけです。いずれ、ご理解いただけましょう」

 ロゼがもう一度ラピスラズリを見ると、あいかわらず敵意をむきだしにしていたが、それは一瞬だけゆるんだ気がした。

 それを逃すまいと、すかさずじっと視線を合わせる。ラピスラズリの瞳が、瑠璃色に変化するのを見て取った。ほんの微々たるしるしだった。

 ロゼは檻に歩み寄る。ラピスラズリも恐る恐る、そのそばへと移動して来るのだった。

 その様子を前に、ハユルドは目を見開く。

「これは驚きました。聖女様がこれほどまでに強い加護を受けておられるとは」

 ロゼは二重の格子ごしに、たしかにラピスラズリの声を聞きとった。それは微弱な空気の震えのようなものだったが、澄んだ宝玉の瞳を見つめていると、その音すべてが理解できた。

 ロゼは地に膝をつき、懸命に意思の疎通を試みた。しばらくすると気が済んだのか、ラピスラズリはまた奥の暗がりへ戻り、身体を丸めた。

「さて、このあたりでいいでしょうか。あなたがたにも各人の職務があるでしょう。地上までお送りします」

 背後からのハユルドの声で、ロゼは我に返った。一種の神憑きのような状態になっていたのだ。



 地下から地上へは、あらゆる場所から上がることができた。ハユルドに続き、ガラスの扉を抜けて外に出ると陽光の明るさに目が眩む。

「ラピスラズリのこと、どうするつもりなの?」

「さきほどの魔獣ですか?ずいぶんとご執心なことで。聖女様には無縁な話です」

 ハユルドは、眉をひそめた。もうその話はしたがらないように思われた。



 ロゼはフィルと黙ったまま歩き、騎士団領内の食堂へ向かった。

 道中、フィルはぽつりとつぶやいた。

「嬢ちゃん、この世はな、どうにもならないことばかりだ。わしもな、これだけ長く生きてきたにもかかわらず、奪い奪われ、もうなにが正義なのかさっぱりわからん」

「そう」

「だから、そんなことが重なると、人間は諦めることに慣れてしまうでな。いま一番その心境で苦しんでいるのは、ケイトじゃなかろうか。可哀想に。あやつにとって、ラピスラズリが唯一心許せる存在だった時もあったろうに」

「そうね」

 ロゼは、立ち止まった。ちょうどその位置に、街路樹の木漏れ日がまだらの影をおとしていた。

「フィル。私は、私たちは諦め続けるしかないのかしら?どうやって折り合いをつければいい?」

「すまんな。わしもまだ、諦めかたがさっぱりわからん。だからこそ、妻の仇とでもいうべき獣研究に、こうやって未だ固執している。だが、あの魔獣博士の若造が言う通り、わしはその道について何もわかっとらん」

 ふたりは肩を落とし、同時に長いため息をついた。

 ロゼは、ふと思い出し、自身の聖獣を呼び出す。アルフレッドはそわそわと尻尾を振りながら、即座に主人が気を落としていることを読みとった。

「ああ、ロゼ、大丈夫でしたか?やはり、僕も一緒に行くべきでした」

 アルフレッドがロゼとフィルの周りをせわしなく行ったり来たりするのを見て、ふたりの心は、少しだけ和んだ。

「そういえば、ラピスラズリは嬢ちゃんに何と言ったんだ?何か伝えようとしとっただろう?」

 フィルは、先ほどのことを思い出した。ほんの短い時間だったが、ロゼがラピスラズリの意思を汲んでいたことに気がついていた。

 それを聞くと、少し考えたロゼはアルフレッドの首を抱きながら、その毛並みに顔をうずめた。そのまま顔を上げなかった。

「…ラピスラズリ、謝ってたんだ。私に。それからケイトに」 

 なんとか言葉を紡ぐと、ロゼはついに我慢の限界とばかりに、そのまま声をあげて泣きくずれた。まるで心が引き絞られるような感覚だった。

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