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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第六章 王権のカタストロフィ;アルカディア
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第10話 暗中にさす光芒

 ケイトの部屋は、王宮の離れにあった。鬱蒼たる庭に面する渡り通路を進むにつれ、ハークは嫌な胸騒ぎをおぼえた。

 ケイトは、ラピスラズリとは引き離されていないだろうか。邪悪な魔の力に蝕まれていないだろうか。なにより、王宮中を堕落させた、愚かな王位継承権争いの波に飲まれていないことを祈るばかりだった。

 宮廷内のことを勝手知ったる様子で先導していたユージンは、部屋の前までハークを案内すると、足を止めた。

「僕は他の者との用事があるので、失礼するよ。どうぞごゆっくり」

 ユージンは緩慢な仕草で扉を示すと踵を返し、どことも知れぬ場所へと去っていった。

 風に乗ってかすかに聴こえるは、王宮内の乱痴気騒ぎ。それ以外は、かすかな虫の音が暗い茂みから響いてくるのみ。

 ―本当に、ここにケイトがいるのか?

 ハークが扉を叩くと、彼の返答があったのでいくらかほっとして入室した。



 しかしそこで目にしたのは、かつての彼の姿ではなかった。

 以前から細身の体躯であったが、さらに痩せた。そして、明らかにその目は虚ろだった。扉付近まで出てきたが、今にも倒れそうな様子だった。

「ハーク、か。驚いた。まさかおまえがここまで来るなんて」

 ハークは思わず身体を支え、椅子に座らせた。

「ケイト、大丈夫なのか?いったい何があった?」

 ケイトは、ふっと自嘲気味に口角をあげた。

「むしろ何もなかった。兄のセシリアは変わらず眠りっぱなしだ。王も昏睡状態でいよいよ長くない。魔毒の効能はますます進行し、身体を蝕んでゆく」

「ケイト、しっかりしてくれ。ラピスラズリは?」

「おそらく地下にある研究機関につれていかれた。連中からすれば、予定通りだったわけだ」

 ケイトの声は、淡々としていた。もう怒りも憎しみも枯れ果てたのだろう。

 ハークは、一気に鼓動が速まるのを感じ、崩れるように机に手をついた。

「おまえは、どうなる」

「俺は王家ごと古都オレガノの傀儡となる運命らしい」

「どういうことだよ…」

「次期国王に担ぎ上げられたというワケだ。奴らには、ここにきて最後の利用価値を見出されたようだ」

 ケイトは、ここではじめて悲痛そうに頭を抱えた。

「なぁ、教えてくれハーク。あの旅は、何だったんだろう。俺は束の間の夢に逃げていたのか?俺は、変わったことで苦しむことになったのだろうか」

 ハークは、ついに来てしまったのかと思った。旅の途中でも、何度も予兆はあった。

 彼らという脆く儚い存在は、それでもなお蝕まれる心身と引き換えに、代えがたい何かを得、未来を切りひらくことができるのだと―

 ハークは胸がつまり、浅い息をひとつつく。

 ―そう、信じたかった。きっとケイトとラピスラズリたち自身が、そう信じようとしていた。ロゼも、間違いなく同じ気持ちだったはずだ。


 ハークは意を決して、声を落とした。

「俺さ。自分の言ったことに、責任を取る」

 ケイトは、我に返ったように顔を上げた。

「ああ、すまない。気持ちだけでじゅうぶんだ。おまえは早くここを出て郷里に帰れ」

「俺は、孤児だ」

「ああ、そうだったな。ならばどこでもいい。ここ以外のどこかへ行け。隣国のサルビヤに渡ってもいい」

「無理だ、危険な状況にあるケイトやロゼを置いていけない」

「俺たちのことは諦めろ!」

 ケイトの声が、大きくなった。聞き分けのない人間に対する怒りの声だった。しかし、ハークはそれが彼の優しさだということを痛いほど知っている。そうであるがゆえに、ハークも負けじと身を乗り出した。

「おまえたちは、転換する時代の犠牲者だっていうのか?ケイトも、ラピスラズリも、ロゼも、アルフレッドも、フィルも。諦めて見捨てて行けっていうのかよ!」

 ハークも、気づけば同じように声を荒げていた。

「いやだ!いつも俺は、自分のことをどこかで傍観者だって思ってた。揺るがない自分の道を生きるみんなが眩しくて、でもそれを支えたくて、力になりたくて、強くなりたくて…」

「おまえはじゅうぶん夢を見せてくれた」

「夢を語ってたわけじゃない。俺は、本当にみんなを助けようと…」

 ハークはそこまで言うと、ケイトの表情が後悔の色に変わるのに気づき、思わず黙った。

「ごめん。俺も同じことしてたわ。ラピスや、セシリアに」

 ハークはかすれた声で笑った。

「なんだ。じゃあ、おんなじじゃん」

「そうだな。怒鳴って悪かった」

 ハークは、ケイトの目をまっすぐ見た。はじめこそ神秘的に映ったが、旅のあいだに慣れ親しんだ片青眼が、そこにあった。

「俺は、ぜったい諦めない。まずはその魔毒の進行をどうにかできないか、探ってみるよ」

「監視の目が緩いときに、俺もできる限り動いてみよう。レイチェルがたまに訪ねてくるから、なにかわかったらやつに伝えておく」

 そう言うと、ケイトは何かを思い出したように視線を宙にやった。

「そういえば、レオゼルダの魔女を覚えているか?」

「もちろん。マーティアさんだろ」

「あの街を出るときには安否不明とされていたが、この街のスラムで生計を立てているという噂を耳にした」

「え、それ本当か!」

「レイチェルから聞いた噂だ。俺はこの通り、軟禁状態だから真偽のほどは確かめようがない」

「探してみるよ!きっと、何か知っているはずだ」

「王都にすべて奪われたあの女が、俺たちに協力するとは思えないが」

「そんなのわからないだろ!万に一つの可能性でも、俺はそれにかける」

 ケイトは、ハークの言葉に気力を取り戻したようだった。しかし、やはり以前の彼のようではない。身体の方も明らかに弱りきっているのが見てとれた。魔毒がしびれを引き起こすのだという。

 ハークは彼に負い目を感じさせない程度に、その身体を労った。

「無理するなよ。休んで少しでも体力を温存しといてくれ。…いろいろと事が運べば、多分、忙しくなるだろうから」

「なんだそれ。おまえ、あの男について騎士団に所属してるんだろ?なんかずいぶんと得体の知れないやつになったな」

 ケイトは呆れたように、テーブルに肘をついた。「だが、そうだな」とつぶやく。

「オレガノの民とやら。このままあいつらの好きにさせてたまるものか」

 ハークにはケイトのこの言葉が、彼の人生のうちに蓄積された恐るべき憎悪が濃縮されたものだと思われ、これを深く胸に刻みこんだ。

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