第6話 月夜、侵入者
王宮のはなれに設けられた一室。
ケイトは無気力に襲われていた。自室に、いや王宮にいるとこんなに気が滅入るものなのかと。
カーテンを開け放ってもなお薄暗い部屋をあてがわれたのは、幼いころに決まっていたのか、自身で希望したのだったか。今となってはもうどちらでもよいことだった。
妾の子として生を受けたために、国王である父のことは本能的に敬遠していた。実母の顔など物置の肖像でしか知らない。
自我が芽生える前からそうなのだから、不幸ではない。
―しかし、何だ。ここはこんなに静かだったか。職務で都を出るまで、このような陰気臭いところに籠もって暮らしてきたのか、俺は。
今では、この閉塞的な空間が自室であるということを、受け入れがたく感じた。
そして、(腹違いではあるが)聡明で優しかった兄のセシリアが依然として病床にあるという事実が、より一層の空虚をもたらした。
途方もない無力感に打ちひしがれる。
じっとしていると気がふれそうに思われ、余計な感情を振り払うように立ち上がった。
「ラピスラズリ!」
自身の召喚獣の名を呼ぶ。返答はない。先ほどまで一緒にいたというのに、どこへ行ったのか。
魔力を使って召喚するのは控えた。このさき支給があるとも知れない魔毒を浪費したくなかった。
ケイトは、王の側近や元老院から咎めを受けることはなかった。それもそのはずだ。顔ぶれががらりと変わっていたのだ。
しかし、自身が軟禁状態であることに気づくのにはそう時間はかからなかった。
父王の余命は、あとわずか。加えて、正当な王位継承者である兄は長らく目覚めない。国が混乱するのも道理だと他人事のように感じていた。
そもそもこの王都は、そのはじまりから呪いをうけるにふさわしいことを―
ローヴェラス騎士団員、そしてオレガノの民が議席まで占め始めていることには驚きを禁じ得なかった。軍部と新興宗教集団まがいの連中が国の決めごとを取り仕切っているなどと。その間、王家の者は何をしていたのか。
しかし、失笑する。自身もしがらみから逃げ回っていた身と指摘したのは、ラピスラズリだった。サルビヤでの滞在が、遠い昔の出来事ように思い返される。
それらの記憶と連動し、これまでのハークの言葉が頭をよぎった。
『何か力になれるなら喜んで協力したい』
『ケイトは、俺たちと出会えて良かったな。お前ももう変わり者の一員だ。だから、きっと自由になれる』
王都に着くなり、彼らとはいともたやすく引き離された。なかでもハークのことが気がかりだった。
巨大な組織、権力の前で個人の意思は何の力も持たないことを知っている。
あのなかでハークだけは、よほどのことがない限り、王都の核には近づけまい。彼は取り込まれるべきではないと思っていた。
―俺は、おまえを友人と呼んでいいのだろうか?
もしそれが赦されるならば、なおさら巻き込むわけにはいかないと思った。彼の自由までも奪ってはならない。暗闇の中で示してくれた光だけで十分だと思った。
いらいらと居ても立ってもいられなくなり、兄セシリアの部屋へ向かう。
王宮は寝静まっていた。見回りの兵士を避けながら進む。窓から差し込む月明かりに助けられた。
あるところからは、バルコニーをつたって目的の部屋の窓辺までたどり着いた。ものごころついた頃から、兄に会うのは人目を忍んでというのが常だったのだ。
王宮のあらゆる侵入経路は使用人や警備の者よりも熟知しているという自負があった。今思えば、見つかれば一大事だったことと思う。正統な世継ぎである美しきセシリアは、まるで姫君の如く丁重にかこわれていたのだから。
セインベルクでは、病魔除けの意を込めて王家の息子に女性の名をつけるという習わしがある。
皮肉なものだと思った。その兄が寝たきりで目覚めない。
父王が瀕死の床に臥しているのは、兄と同じ呪いを受けたためか、単に老衰なのか、知る由もない。名だけは柔和で美しいものだった。
ケイトは兄の部屋に設けられた広いバルコニーの隅に降り立ち、慣れた手つきで金具を使うと、内から取り付けられた二重の鍵を外した。
いつもこの王宮の警備の脆弱さには呆れるのだった。
―世の信頼性など、しょせんこの程度だ。絶対的な保証などありはしない。
セシリアの部屋は整然と片付いていた。寒々しい印象に、これではまるで死人の部屋ではないかと怪訝に思った。
兄が療養するのは、寝室だ。様子をうかがうため、仕切りとして重く垂れこめたカーテンをそっと引く。暗くてよく見えない。
しかし、目が慣れてくると、寝台に覆い被さる何者かの存在を確認した。あるはずのない、邪悪な影。
「セシリアから離れろ!」
とっさにカーテンを大きく開き、部屋に踏み込む。何者かはこちらに気がつき、うぞうぞと蠢いた。
信じがたい光景だった。放心し、立ち尽くし、何とかかすれた声を振り絞った。
「どうして。どうしておまえがここにいる。ラピスラズリ」
一目瞭然だった。黒竜の如き姿をした自らの召喚魔獣が、兄の残り少ない生気をむさぼっている。
さっと差し込んだ月明かりに照らされ、眠るセシリアの端正な顔が浮かび上がる。頬はやせこけ、唇は薄くなっている。睫毛はかわらず長かった。
黄金の髪も長く伸びたままになっており、掛けられた毛布のすそから床に流れ落ちているのが見えた。




