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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第六章 王権のカタストロフィ;アルカディア
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第7話 魔獣博士

 ―もうラピスラズリは、自分の知る《《彼女》》ではないのか?

 ケイトは、何度も自身の契約獣の名を呼ぶ。

 しかし、そうすればするほど目の前の魔獣は低くうなり声を上げる。

 そして、眠るセシリアの枕もとに猛禽の爪を突き立てたまま全身の毛を逆立てるのだった。

 声が届いているのかは不明だった。

 尖った耳をぴんと張り、ゆらりゆらりと長い尾を揺らす。その眼は血走り、見開かれている。

 自分の半身も同然の召喚獣であるというのに、制御不能だった。

 ―『いくら手繰り寄せても、何もつかめない』

 ロゼは以前、アルフレッドを召喚できなくなった感覚をこう表現していた。ケイトはそれを思い出し、きっと今のような状態なのだろうと思った。


「俺がわからないのか?何を怯えることがある」

 以前、ラピスラズリは涙を流した。それからのこと、ケイトは彼女が自分を裏切るようにはどうしても思えなかった。

 ―何者かが糸を引いている。

 その考えに至った瞬間、信じがたいほどの怒りが全身を支配してゆく。権威というものは、自分から兄だけではなく、片割れ同然の召喚獣まで取り上げようというのかと。



 ケイトはそのとき別の物音に気付いた。部屋の正面扉から、人の気配がする。

 月明かりに浮かびあがる影姿から、誰であるかは察しがついた。

 年若き獣博士だ。名はハユルド・レカミエ。

 この男はラピスラズリを魔獣化させ、ケイトに魔獣との契約を持ち掛けたその人であった。そして、此度の混乱のさなかオレガノの民だと名乗り出た者の一人でもある。

「いやはや、泣けますねぇ。召喚獣と主人の絆というものは」

「貴様、ラピスラズリに何をした!」

 ケイトはあわや掴みかからんとする勢いで、詰め寄った。

「あなたたちの契約期間は、終了です。魔獣は国の大切な資源ですから、あなたのものも返してもらったまでです」

 途端にケイトは、自身とラピスラズリを繋いでいた鎖が身体から消え去ったことをはっきりと認識させられた。

 風が吹き抜けるような頼りなさが全身を支配する。

「契約は死ぬまでだと聞いていた。俺から切り離されれば魔力を失ってしまう」

「こちらで魔毒を与えるので、問題ありません」

「あいつの身体ひとつで取り込むには限界がある!」

 ハユルドは、滑稽なものを見るように嘲笑った。

「ああ、あなたが媒体となって、延命させる気でいたのですか?馬鹿らしい。情が移るのもわかりますが、『魔獣』は兵器なのですから扱いを間違えてはなりませんよ」

 ハユルドが合図を送ると、ラピスラズリは羽根を広げ、数歩後ずさりしたのち飛翔した。

 止めようとするケイトの叫びも空しく、あっけなく闇夜のなかに消えてしまった。事前に開け放たれていたらしい別の窓から飛び去ったのだ。



「もしや、魔獣と心中でもするおつもりでしたか。そうであれば、無駄死にするところでしたね。あなたには他にやっていただきたいことがあります」

 ハユルドは、懐から一枚の紙を取り出した。

「我々オレガノの民の協力者になってほしいのです」

 ケイトは拳を震わせ、睨みつける。生まれて初めて、人に向けられた殺意だった。

「貴様、自分たちの行いがわかってるのか?国家に対する反逆だ。オレガノの民だか何だか知らんが、急に出てきたやつらが民衆の支持を得るなど、不可能だ。そんな一時のものは、すぐに廃れる」

「だから、こうやって正当な血筋のあなたに協力を仰いでいるんでしょう。ほうら、ここに国王陛下直筆の署名もあります」

 ハユルドは、書類をひらつかせた。暗いのでよく見えない。

 国王が病床に伏し、意識があるとも知れない状況下での署名などと誰が信ずるのか。

 しかし、と思い直した。署名の真贋など、この混乱のさなかで問題にはならないだろう。

 もはや傀儡となりつつある王室の細々としたことなど、連中が手回しすれば容易に「真実」となり得るようにも思われた。

 ハユルドはすべて見透かしたように、気味の悪い薄笑いを浮かべている。

「ケイト・ハイネル王子。あなたには、セインベルクの国王になっていただきましょう」


 ケイトはそのとき、怒りに狂う己の意思に反して、指一本も動かせない状態に陥った。

 身体を流れる魔毒が全身を縛り付け、感覚をその末端にいたるまで麻痺させる。

 意識を保ったまま、膝から床に崩れ落ちるしかなかった。痛覚も麻痺していた。

 動かぬ四肢をそのままにハユルドの言葉だけがおぼろげに聞こえる。


 ―もうあなたの身体は、魔毒でボロボロ。その体内を流れる血の奥にまで混じってしまっているから、魔毒の効能を制する我々に逆らえません。


 ―しかし、魅力的な響きではありませんか。ずっと兄君の立場を羨んでこられたのでしょう?あなたにとっては願ってもないこと。これも、ひとえに我らが仕える神獣のおかげなのですよ。


 ハユルドは自身の召喚獣を呼び寄せた。硬質な毛に覆われた魑魅魍魎。

 視界はかすみ、得体の知れぬ獣に担ぎ上げられるのが、ケイトにとってこれ以上ない屈辱だった。


 ―もし王となる申し出を拒んだところで、あなたは狂人として幽閉されます。人々は知るでしょうね。魔獣と淫蕩な生活を送っていたことを。忌むべき倒錯者としてね。


 ―そして、おそらくあなたの可愛い魔獣令嬢は、交配に利用されることになります。より強い種を生むために。


 ハユルドは、ケイトが何かつぶやくのに気づいた。しかし、かすかな口の動きとしかならないのを憐みの表情で見つめるのだった。


 その朦朧とした様子を考慮し、その後は耳元ではっきりとささやいた。


「でも、あなたが国王の座に君臨するならば、《《彼女》》は差し上げます。むろん、優秀な獣博士や医師もつけましょう。どうですか、そんなに悪い話でもないでしょう」


 ケイトが意識を失う最後に見たのは、ハユルドの首筋に見え隠れする蛇の模様だった。

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