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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第六章 王権のカタストロフィ;アルカディア
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第4話 偽りの剣

 ハークはかつての剣の師の姿を追う。夜の庭園には、もうその姿はなかった。しかし、門番の一人が伝言を預かっていた。向かう先は、この邸宅のそばに架かる橋だ。 

 身体のラインを強調する洒落た外套は、身動きがとりづらいために取り払った。

 夜の景観は、日のもとで見たときよりもさらに不気味だった。都市全体が発光する巨大な怪物のようだと感じた。

 ハークは、これほど眠らない街を知らない。これまで訪れた都市は、レオセルダ、オーラヘヴン、サルビヤ城下。そのいずれもを凌駕していた。ハークにとって想像を絶する世界だった。

 科学者らの実験場だと説明を受けた工場群の方角は、こうこうと明かりを放ち、あいもかわらず稼働しているようだ。その不愉快な騒音は風に乗ってここまで聞こえてくる。

 そして、そんな怪物じみた夜景を背に立つユノの姿は、この巨大都市の人間たるにふさわしいと感じた。

 ユノは自分には到底至ることの叶わない憧憬の対象、そしてロゼの理想通りの正真正銘の騎士だったのだ。自分もロゼも、謎に満ちた彼がそうあることを望んでいた。

 その点で、彼は自分たちを失望させることはなかった。ならば、自分はそれ以上に何を望むのか。

 しかし、確信があった。この場で、知りたくなかった真実を知ることになるということを。

 ここに来てまで、逃げ出したい気持ちを必死に抑えた。


 ユノは鉄製の欄干にもたれかかっていた。橋の下には川が流れる。街並みの光をそのまま映していた。

「や。しばらくぶりだね、ハーク君」

「師匠」

 ハークは、隣にうながされ同じように欄干を背に立った。

「ロゼをここまで導いてくれてありがとう」

 ユノの言葉に、ハークは息が詰まる思いだった。


「君の言いたいことは手に取るようにわかるよ」

 ユノは人差し指をぴんと立てる。

「どうして君が持つその剣を、『聖剣』とたいそうな名で呼び、託したのか。気になってここまできたのだろう?」

 ハークは、すべてを見透かされていることを知り、ますます心音が速まるのを感じた。

「そうだ。気になってた。どうして師匠は、俺の街を離れるとき、免許皆伝だなんて嘘をついたんだ?どうして未熟だった俺に、こんな剣を渡したんだ?あのときから今に至るまで、俺は未だ、まったくあなたに及んでいないのに」

「君は、鋭い子だね。さすがは私の一番弟子だ」

 ユノは満足そうに頷いた。

「君自身が、聖剣だったんだ。聖女であるロゼをここまで導くつるぎ

「俺は、あんたに与えられた役割じゃない!!」

 ハークは声を荒げた。

「俺は、俺の意思でここに来たんだ!ロゼのためでも、師匠のためでもない。ましてやこの剣のためでもない」」

 対してユノは、動じない。広間で目が合った瞬間と同じ表情のままだった。それは、以前は見たことのないような満ち足りた微笑だった。いつもつけていた仮面の微笑ではない。

「そうだね。君は私が思っていた以上に強くなった。それは剣の腕だけでなく、君自身の覚悟の強さだ。私は、君を誇りに思うよ。こんなに弟子というものが可愛いだなんて知らなかった」

 ユノはハークの頭に手を乗せた。ハークはこれに抗えない。ハークにとっては、これが旅の果てに望んでいた結果だったのだから。

「君はもう、頑張らなくていい。私とともに騎士団に入ろう。なに、束の間のことだ。いずれそんなものは瓦解し、すべてはオレガノに帰する」

 ハークは、その言葉を聞いてもなお、拒むことはできなかった。

「あなたも、『オレガノの民』の一員だったんですね」

「ああ、そうだ。そして君も、私の理想につれていく。一緒に行こう、《《ハーク》》」

 

 ハークはわきあがる喜びを、ついに抑えることができなかった。どうせ行くあてもないのだからと思った。

 この男には、それだけのえもいわれぬ力があった。だからこそ、この男の背中を追って、剣だけ掴んで孤児院を飛び出したのだ。育ての親である二コラや、妹同然のミルシアはきっと止めるだろうと、夜明け前に書き置きを残して。

 ユノの背中を追い、ふわふわとした心地で通りを抜ける。以前は流れ者だと思っていた師匠に剣を教わるため、森の孤児院でそうしていたように。


 この成り行きは、ユノとしても予定外のことであった。役を終えたハークには、ここで退場してもらうつもりだった。彼を、再び森の孤児院へと送り返す手はずも整えていたはずだ。

 しかし、傍におきたいと感じた。ユノはこれまで、これほど満ち足りた気持ちは知らなかった。

 すべては、オレガノの再建が目前に迫るなかでの、高揚した気分ゆえだった。彼は自分を決して裏切らぬ、伴走者を欲した。そして、ふと自身の後継を残そうとする心の余裕が生まれたのだ。

 オレガノの民という血を分けた同胞以外の人間に愛情を感じることなど、彼にとって思いもよらぬ例外的なことであった。


「師匠。ロゼとは、どうして会わないんですか」

「いずれ、会うことになるよ。しかし、彼女は必ずや私を嫌悪するだろう」

「そんなことは、ありえませんよ。だって、ロゼはあなたのことを」

 ハークは、言葉に詰まる。違う。ロゼは、もうこの男に無垢な感情を寄せていないことを知っていた。

 ―ロゼは、オレガノの民とやらの生き残りで、聖女として神獣を従える宿命を負う?船上にてロゼの口から聞いたこの話は、本当に彼女の過去の記憶だったのか?否、オレガノが滅びたのは、文献による記録も残らないほど昔のことだ。サルビヤの御伽噺、それこそ夢物語のような。ロゼは、その時代から生きていると?そんな理屈を誰が説明し、理解できるというのか。

 ハークは、「オレガノの民」への帰属意識も、神獣の復活を信じる心も、レイチェルの言う通りすべて信仰だと考えていた。オレガノとは、その面影もとどめぬほど荒廃した都市の死骸、蔦と雑草に埋もれた瓦礫の山なのだから。


 ハークは、どこか寂しげなユノの横顔に、胸が締め付けられた。この男の底知れぬ孤独、憂いの正体は、願えども決して叶わぬ望郷の念だったのかと。

 この人物の夢のためならば、何でも請け負おう。そんな気持ちにまで達した。

 この時点では、ハークにとってこの人物に関わる一切が、どこか現実離れした架空の出来事であるかのように思われた。オレガノの民と呼ばれる哀しい狂人のうちの一人として、理想化してしまったのだ。

 この夜、心身ともに疲弊しきったハークは、そのことに気づけるほど強い人間ではいられなかった。

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