第3話 社交場巡り
晴れて自由の身となったレイチェルは、足取り軽く歓楽街へ繰り出そうとしたが、一人残されたハークのことが気がかりになり足を止めた。
わずかな荷とともに港のはずれに投げ出され、呆然としている。
「君は路頭に迷ってしまったわけか。これからどうするつもりだい?」
ハークはうーん、と唸ったきり、肩を落とした。孤児院を出て、ロゼやアルフレッドと出会うまで、自分はどうやって師を探していたのだろうかと、ぼんやり考えていた。
「ここで突っ立っているわけにもいかないだろう?ん?」
「俺は、師匠に―ローヴェラス騎士団のユノに会うためにここに来たんだ」
「ああ、君らは師弟なのだったね。あの夜の一糸乱れぬ剣舞は見事だったよ。まだこの眼に焼き付いている」
「でも、どうしたらいいのかわからない」
「騎士団の本部に行けばいい。彼らのあいだにも顔が利く僕が口添えしてあげよう」
「気持ちは嬉しいけど」
レイチェルは胸を張ったが、ハークにとってはどう考えても頼りなかった。先ほども、彼はまるで相手にされていなかったのである。厄介払いされるのが目に見えていた。それに気が進まない理由は他にあった。
「もし師匠に会えたとして、俺は何を話せばいいんだろう。きっと、あの人にとって俺のことなんかさして重要ではないんだろう。そうしたら、俺の旅はここで終わりだ」
ハークの言葉に、レイチェルはやれやれと腕を組んだ。
「まったく、君は恋する臆病者のようだね。ひたむきなところが君の強さだと思っていたが、どこに落としてきてしまったのかな」
ハークは、口を閉ざした。自分はどうも近頃おかしいと思っている。サルビヤの王宮でユノに会ってからのことだ。会わねばならない気持ちと、恐れがないまぜになって胸中を渦巻いていた。今度こそ、いよいよ自分はおかしくなってしまうのではないか。否、《《始めからおかしかった》》ことに気づいてしまうのではないか。
そう考えると、まるで一歩も動けなかった。心に暗く付きまとう、不安。
「ロゼ」
「うん?あのお嬢さんがどうかしたのかい」
「いや、なんでもない」
ハークは、ぎこちなく荷物をまとめた。自分の分だけだから、いつもよりいくらか身軽だった。
「ま、僕はまた気ままな生活に戻ろうと思うのだがね。ハーク少年、君にはサルビヤで助けてもらった恩がある。このまま見放すというのもいささか夢見が悪い。ひとまず一緒においで。今度は僕が、華のセインベルクを案内しよう」
レイチェルは言うが早い、返事を待たずに優雅な靴音を鳴らしながら通りを進んだ。ハークは急ぎその後を追う。彼の軽快な身のこなしと提案に、今は心から感謝した。
レイチェルは外が明るいうちから、ハークを数々の社交場につれ回した。芸術家たちの集うサロンが多かった。ハークにとって芸術に関する議論はちんぷんかんぷんだったが、どこへ行っても人気者のレイチェルの弟分として厚遇を受けた。
「この周辺は上流階級の居住区なんだ。私たち宮廷付きの人間はこのあたりの邸宅に日夜、招待される。もう忙しいのなんのって」
レイチェルは水を得た魚のように、活力に満ち溢れていた。ハークは同じように派手な服装に着替えさせられ、早くもげんなりしていたが、置いていかれるわけにはいかず、必死に後を追うのだった。
街を歩いていると、気づくことがある。ある区画から黒い煙がもうもうと上がり、高い建物の壁は煤けているのが遠目にもわかる。建物の窓は少なく、煙突や管が壁を突き破り、天に向かって幾重にも伸びていた。
「なぁ、レイチェル。あっちは何なの?」
「ああ。科学者たちの実験場だよ。最新のものはだいたいあのあたりで実験を繰り返すと聞くね。そして、日雇いの労働者たちは皆、あの界隈に住み込みで働いている。王都と言えど広いからね。セインベルクはさまざまな都市を吸収して大きくなった。だからあらゆる人間の《《るつぼ》》なのさ」
「地下でやってる魔獣の育成も、あそこで行われているのか?」
「いいや。地下世界は王都中に広がっているよ。まるで蟻の巣のようにね。今まさに僕らの足元にも」
ぞっとしたハークは思わず地面を飛びのこうとし、よろめいた。レイチェルは腹を抱えて笑った。からかわれて気分を害したハークは、それでも軽快なステップを踏む詩人のあとに続いた。
あっというまに夜が来る。聞いていた通り、街灯が石畳の大通りをまばゆく照らした。ハークはうろたえた。まるで昼のごとき明るさだと感じた。
レイチェルは待たせていた辻馬車にハークを押し込んだ。
「さぁ、今日のハイライトだ。ハーク少年、身なりを整えて。先ほど教えた宮廷式の挨拶とお辞儀を忘れてはいけないよ。御者どの、なるべく急いでくれたまえ」
ハークはくたくただった。人と話すだけなのに、どうしてこんなに疲れるのか。これまで人と接するのが苦手だと思ったことなどなかったのに。
猛スピードで走る辻馬車に揺られ、着いた先はひときわ豪華な邸宅だった。妖精の森のような庭を執事の男に先導され、屋敷へと向かった。
水晶を散りばめたシャンデリアが広間中に光の雨を降らせる。ハークは目がちかちかし、部屋中に立ち込める熱気と酒の匂いに早くも吐き気をもよおした。
レイチェルはそんなハークを引きつれ、挨拶回りにいそしむ。黄金の果実酒と甘ったるい焼き菓子と肉料理の匂いが鼻をついた。ハークは、どうして皆平気なのかと不思議に思った。
高揚した人々に囲まれ、眩暈がした。話し声が頭上をとびかう。楽隊の音楽がはじまり、着飾った男女が手を取りひしめきあう。
ハークには、自分がどうしてこんなところにいるのか、まるでわからなかった。気づけば、レイチェルは傍らにいない。
そして、ハークはついに人の波をかき分け、この空間から逃げ出そうとした。
そのとき、ふと周りの騒音が遠のいたような気がした。
扉近くにいる人物と目が合ったのだ。華々しく着飾った貴族たちと比べても遜色のないその人物は、なんと師匠—ユノその人だった。
ユノもまた、自分に気づいている。微笑を浮かべていた。周囲との話を切り上げ、自分を待っているのがわかった。
ややあって彼は、背を向けて広間を後にした。迷わずそのあとを追う。外で落ち合うつもりだろう。
扉までたどり着いたとき、ふとレイチェルのことを思い出し、振り返る。
鮮やかな羽根帽子を小脇に抱えるレイチェルの姿は、すぐに見つけることができた。
レイチェルは、ずいぶん遠くにいるはずなのに、こちらの視線を察するとハークに向かって片目を軽く閉じ、次の瞬間にはそれまでの話の輪にもどっていた。




