第2話 約束の地
瓦礫の廃都市に人影が集まる。どこからともなく現れる者たちは、足音をたてずに乾いた石畳を移動した。
人々はいずれも、身体のどこかに刻印を有していた。寄ってみれば、それは複雑に絡み合いながら四肢に、顔に、生々しく刻まれていた。
年齢や性別は、様々。中性的な面差しの者が多い。
ユノは皆の顔を見回し、懐かしむように微笑する。
「民は集まったようだね、これで全部かい」
隣にいた短髪の男が、否と首を振る。
「侮ってもらっては困る。ここにいるのなんて、ほんの一握りさ。ええと今、あんたは何と名乗っているのだっけ」
「ユノだよ。皆は当時の呼び名のままで通しているのかな。君はジゼルだね。私は皆の名を覚えているよ。あれからどれほどの年月が経っていようと」
「そうだ、ユノだ。まったくあんたは昔から名前が多くて困っちまう」
短髪の男は、やれやれと腕を組んだ。
後方から、また別の人物が会話に加わる。小鳥のさえずりのような声で、ユノを咎めた。
「あたくしたち、貴方が帰って来るまで、ずいぶん長いこと辛抱したのよ。まずは謝罪の一つでもなさるのが礼儀ではなくて?」
「よく言うぜ、アデリーヌ。派手に着飾って、夜な夜な社交界で楽しくやっていたのはどこの誰だ?」
「まぁ、ひどいわジゼル。目的は忘れていなかったわ。あたくし、今回ばかりはかなり暗躍したのですけど」
アデリーヌは、金の巻き毛と華美な装飾品を揺らしながら、「ねぇ」と別の者に同意を求めた。黒衣を身にまとった男はおどけたように肩をすくめた。そして、彼もまたユノに目をやる。
「あんた、もう隠さなくていいんじゃない?その顔の烙印は、僕らの誇りだ」
それを聞き、ユノは長く伸ばした前髪に手を触れた。隠していても、そば近くで長く一緒にいた者たちは気づいているはずだと思っていた。そうして思い出すのは、かつて弟子と呼んだ者たちだ。
―ハーク。私はあの宴で、君は強くなったと言った。当然だ。君は私の剣となるべく、強くなるしかなかったのだ。これまでの経験の空白を無理矢理にも埋めるしかなかった。そして、君は役をまっとうしてくれた。ロゼを王都の人間から匿いながら、ここに連れてくるまでの。
そのとき、風が強くなった。黒衣の男は、耳に手を当て、静かに目を閉じた。
「ああ、聖女様が来るよ。我らがオレガノに、帰ってくる」
続いて民たちもしんと静まり返り、目を閉じた。ある男は手を固く組み合わせ、またある女は涙にむせび、祈る。
その祈りは、瓦礫と化した廃都市—「オレガノ」の最奥に潜む《《何者か》》に向けられていた。
さて、と黒衣の男は風に乱れた自身の髪をかきあげた。その瞳は、微弱な緋赤を纏っていた。皆、長い祈りを経て、同様の症状が起きていた。長い眠りから覚めたあとのように衰弱していた身体に、とうとうと血が通うのを誰もが感じた。
黒衣の男は眼を見開き、両腕を広げた。そして、高らかに声をあげる。
「皆の者、準備はいいかな。今日の会合は他でもない。我々の意思表示のためだ。騎士団の阿呆共は、訝しみながらも、我々の動きを黙認している。盤はこれから、我々の手でひっくり返されるのだ」
民は、あくまで静かに頷きあった。それは各々の強烈な意思が、ひとつに合わさり、都市の上を渦巻くがごとくだった。
ユノは、五感が研ぎ澄まされるのを感じた。ようやく、自分を覆っていた道化の仮面が、衣が、偽物の皮膚が剥がれ落ちたのだと思った。
「はじめよう。我々の最後の目的は、神獣を頂点とした世界の構築。手始めに、オレガノ再建の枷となる現在のセインベルクのすべての権威、思想、信仰を、破壊する」
ユノの言葉を皮切りに、他の者も言葉を続けた。
「これは復讐だ。かつて、セインベルクは王政を樹立するために我々と神獣の記録を残らず削りとった。我々もまた同じことを繰り返すだけだ。かの国は弱小都市国家のひとつにすぎなかった。しかし、魔獣の歪な力を頼り、周辺諸都市を一国家の名のもとに統一した」
「まずはその憎き都だ。そして、さらに我らの世界を広げてゆく」
「目指すは、人と獣が共栄する世界」
「しかしね、諸君」
遅れてやってきた1人の男の存在に気づき、民はいっせいに道をあけた。
「今を生きるセインベルクの民には、今と変わらぬシステムを残すことも必要ですよ」
「ようやくおでましですの、ハユルド獣博士。はっきりと言いなさって。焦らされるのは好きじゃないわ」
アデリーヌがレースのほどこされた扇子をパチンと閉じた。咎めるようにその先端を向ける。
「簡単なこと。馬鹿なやつらには見せかけの虚像を用意すればいいのです。神輿を担ぐ人間の、目星はつけていますから」
獣博士はまだ年若かった。御簾のごとき長い睫毛を伏せる。
「そうして安心しきったのちに、神獣を崇拝すれば我々の一員になれると吹き込んでやればいい。なに、一時のことです。オレガノが都市としての機能を取り戻すとともに、やつらは獣以下に成り下がる」
「セインベルクなどと欺瞞的な名も廃する。整い次第、この場所―オレガノへ遷都だ」
「しかし、オレガノを破滅に導いた過ちを忘れてはならない。我らの都市は爛熟のはてに民の大半は堕落した。神獣をないがしろにした。あまりに傲慢で愚かしい」
「まさか神官たちが、聖女を差し出すことをやめていたなんてね。おかげで同胞の多くが黒き焔で焼き尽くされた」
「我々にも、その爪痕はこうして残っている」
ハユルドと呼ばれた男は、自身の首筋を撫でた。登り龍の如き、引き攣れが走る。
「しかし、幸いにも信仰心厚く仕えていた我々は、こうして生きながらえ神獣とともに眠ることを許された」
「我々は来るべき再生に向けて、選び抜かれたのだ。当時の膿は完全に抜けたといえよう。我々は選民として、世界に君臨する」
「巷の噂では、我々は故郷を追われた集合離散体として認識されている」
「ハユルド、もう少し我々にもわかるように説明してくださらない?」
「つまり我々は、古代都市オレガノの市民の末裔と思われているようですよ」
「当然ね。彼らには理解できない。我々が神獣とともに眠っていただけだということなど」
「神獣より、早く目覚めることができたのは幸いだったな。じっくりと基盤を作ることができた」
「ユノが民を集めてくれたおかげで」
ユノは遠い目をした。ひとり目覚めたときから、長すぎる時を孤独のうちに生きたことが思い出された。
「私は皆を探すのに必死だった。特に、聖女は何としても必要だったから、血眼で探し回ったよ。そしてついに見つけた。難儀したのは、神獣がどうなっていたかだ。なにしろすべての記録は、セインベルクの王権によって、無残にも削り取られていたわけだからね」
「まさか、隣国に口承で残っていたとは」
「幸か不幸か、我々の神獣は封印されていた。一刻も早く、目覚めていただかなくてはならない。そのためには」
言葉を切った。オレガノの民は、風の音に耳を傾ける。
―贄が必要なのだ。




