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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第五章 砂漠の薔薇、昔噺は砂に眠る
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第16話 自由意志

 ロゼはアルフレッドを伴い、海から伸びる大河から無数に引かれた水路の様子を眺めていた。手漕ぎの細長い船が同じ方向へ流れていく。どの船にも壺やら木箱やら、様々な種類の荷物が整然と積まれていた。

 ロゼはその光景を指さして、「この国は」と話しはじめた。

「きっとこの河のそばだから栄えたのよ。文明というものは、豊かな河のそばで花開くのだと聞いたわ」

 ロゼが、昔にナイトから教わった知識だった。運河を見ていると、ふいに思い出したのだった。

「本来、知識はこうして身につけてゆくものなのね。私はあの屋敷で何もわかっちゃいなかった」

 アルフレッドにとってはよくわからないようで、あいまいに「はぁ」と聞き流していた。文明の趨勢や知識を得る過程に対して、興味がわかないのだろう。アルフレッドにとって重要なのは、いつも結果だ。

 ロゼにつられて視線をあげると、遥か先に王宮の屋根の姿を確認できる。重たくなったしずくのような形をしていた。

「ロゼ、安易に騎士殿に会いに行こうなんて思ってはいけませんよ。今乗り込んだところで、捕まって騎士団に引き渡されてしまうかもしれません」

「わかってる。今、私はひとりじゃないから、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない」

「ならば、どうして先の場を離れてここにいるのですか」

 その瞬間、アルフレッドは背後から近づく者の気配を察知し、後ろ手に素早く相手の腕をひねり上げた。もう二度と同じ轍は踏まない。アルフレッドはそう己に誓っていた。


「ぎゃっ」という声を聞き、即座にロゼも振り返る。

 ふたりは呆気にとられた。アルフレッドは締め上げていた腕をぱっと離す。

「これは失礼。ハーク殿でしたか」

「警戒を怠らないのは結構だけど、さすがに仲間の存在には気づいてくれ」

 ハークは、アルフレッドによって強く固められていた腕をさすった。ロゼは頭を抱える。

「来なくていいと言ったのに。わからずやなんだから」

「ちょっと俺の話をふたりに聞いてほしくて。話さないと気が狂いそうになる」

「ハークのこと?」

 ロゼは面食らった。ハークが自分の話を進んでしたがるというのは、珍しいことだと思った。いつも頑なに、誰かの聞き役に徹していたように思う。アルフレッドも同じようなことを感じたらしい。

「聞きたい。話して」

「俺が昨夜、師匠に呼ばれて大勢の前で剣舞をやったって話」

「さっき聞いたときは驚いたわ。ハークにそんな素養があったなんて。昔、ナイト様に教わってたの?」

「俺が教わったのは実戦で用いる剣の振り方だけだ。だけど、一度も動きに迷いが生じなかったんだ」

 ロゼとアルフレッドは奇妙ものを見るような表情で、聞いていた。

「何だか、あのときはまるで、自分が自分じゃないみたいだった」

 ハークは自身の両手を開き、目を落とした。

「剣は、俺のじゃない。師匠のものだ。ならば、俺自身はどうなんだろう」

 ロゼはハークの様子がおかしいことには気づいていた。—今朝からだ。らしくもなく弱気になって。いや、弱気になっているのはこれまで何度も見てきた。

 彼は、戦闘において自信を持っていたことなどなかった。争いごとを好まない人のいい少年。ならば、この違和感は何だというのだ。ロゼは困惑した。

 ハークは申し訳なさそうに、そして悲しそうに微笑んでいた。

 ロゼはそれを見て、急いでまくしたてた。

「ハークの身体は、ハークのものよ。あなたが自分の意思で、私たちと旅をつづけることを望んだんじゃないの。こうやって、広い世界を見るために、でしょう」

「たしかに、俺はそう言ったっけ」

「そうよ。忘れるなんて許さないわ」

 ロゼは、行き場をなくし置き去りになったハークの両手を力強く握った。今朝は、寄り添うために手を添えたのだった。しかし、今はそれとは違う。引っ張り上げる。虚ろな少年が頼りなく砂に沈んでしまわないように。


 アルフレッドは咳ばらいを一つした後、つまりと口を開いた。

「ハーク殿はあの方の身代わりをさせられているのでは、と不安がってらっしゃるのでしょうか」

「私たちがハークをナイト様の身代わりにしているってこと?冗談じゃないわ」

 ロゼは、しかしその言葉を発するなり、愕然とした。ちがう。確かに自分は重ねていた。姿かたちも、性格もまったく異なるのに、似ていると思った。自分にとってその存在が希望の形をしていたから。

 アルフレッドも、同じように考えているのがわかった。気持ちが通じているからわかるのだ。アルフレッドもまた、ハークを希望と捉えている。かつて、自分とアルフレッドは二度引き合わされた。一度目は騎士によって、次にハークによって。

 アルフレッドは、ロゼの答えをじっと待っている。

 ロゼは、早く何か言わなくてはと思った。自分の手は不快にも汗ばんでいたが、ハークの手はひやりとしていた。気づくと喉はからからになっており、声を発するとその言葉はかすれていた。

「ハークはナイト様と違って、ずっと一緒にいてくれたわ。だからその意味で」

 ロゼは再び両手に力を込めた。そして、語気を強めた。

「ハーク。もう一度言うわ。あなたはあなたよ。私たちを幾度も助けてくれたのは、ハーク。あなたであり、確かにあなたの意思によるものよ。いかなるものも介在しえないわ」

 アルフレッドは、主人の言葉に背を押された気がした。そっとハークの背に手を添えた。その力が、ハークの姿勢を自然と正させる。

「ハーク殿。あなたがいなくては、ここまで来られませんでした。僕が先ほど言ったのは、騎士殿がハーク殿を、…悪い言い方ですが、利用するつもりでいたのだとしても、僕はあなたを信じます」

 ハークは、ふたりの言葉を聞き、ようやく顔を上げた。得体のしれない悲しみはいくらか和らいでいるように思えた。

 アルフレッドはそれを確認すると、そのままどんと背をたたいた。ハークは、思わぬ衝撃を食らいよろめく。

「しっかりしていただかなくては困ります。僕もロゼも、騎士殿の考えはもうわかりかねます。ですが、何度も言わせないでください。あなたのことは信頼しているのですから」

 ハークは、軽く咳き込みながらも、それは嬉しいと笑った。当たり前でしょとロゼの顔もつられてほころんだ。

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