第6話 海上戦
海獣は、まもなく水面下に姿を消した。船底の下に潜り込まれたら、転覆してしまうだろう。一刻を争う危機だった。
「おい、そこのあんちゃんら!」
船乗りたちは荒々しく、こちらに歩み寄った。
「あんたら、あの山を越えてきたってことは、腕がたつんだろ」
そして、先ほどハークたちが投げ出した櫂を荒っぽくひっつかんだ。海の荒くれ者たちは口々に迫った。
「俺らは船を動かす。とにかく距離を引き離して、撒くしかねぇ」
「時間を稼いでくれ」
「みんなそろって海の藻屑となりたくなけりゃあな」
体格も体幹もいい船乗りたちに反して、ぐらぐらと揺れながら聞いていたハークとケイトは、ぶんぶんと頷くしかなかった。
船は、驚くほど速く海上を走った。ハークらは、海に生きる男たちの本気と意地を感じた。海獣がおこしていた波から逃れ、ようやく足場は安定する。
しかし、海獣の影も不気味に船の隣を並走していた。
海中深くに潜り続けているため、ケイトの矢は届かない。ハークの剣はなおさらのこと、まるで役に立たなかった。
「あああ、どこまでついてくるんだよ!」
「ハーク。俺は、奴が完全に海面から出ないことにはお手上げだ。お前、銛で突いて海上に手繰り寄せろ」
「お前、無茶苦茶言うなよ」
「無茶でもなんでもやれ」
ケイトは有無を言わさぬ表情で、船に備えられた漁具を指し示した。通常、商船として運行している船である。申し訳程度の備品だった。
「お前、本気かよ…」
ハークは、この男はかなりの馬鹿なのではないか、と思った。大真面目な顔で言っているのだから。
ハークはしぶしぶ、道具に手をかけた。どう扱うものか見当もつかない。
「おいおい、あんちゃん。素人がそんなの扱えっこないぜ」
屈強な船員の一人が、全速力で櫂を動かしながら叫んだ。
ハークは、ぽんと手を叩いた。
「あなたたちなら慣れてるんじゃないですか」
「悪いな、俺らは出稼ぎの漕ぎ手であって漁師じゃない」
ハークは、仕方なく一番、手に馴染みのいい銛をつかんだ。かえしの付いた先は、さびついており柄から伸びるロープは朽ちかけていた。
「大丈夫かよこれ」
銛を手に船べりまで来ると、いよいよ船は大きく揺れた。船室や甲板から悲鳴が上がる。海中に姿を消した海獣が、船底の真下に潜りこんだらしい。
船が傾きながら上に持ち上がる。もはや船上は、大混乱だった。
もう終わりだと悲嘆に暮れた商人たちの慟哭が聞こえる。
しかし、幸い船は再び着水した。ハークは揺れに足を取られ、膝をついた。ケイトも為すすべなく、船べりにつかまっていた。
「おーい、坊主ら!なにをもたもたしとるんじゃ」
甲板からとんできた大きい声の主はフィルだった。
ラピスラズリが止めるのを振り切って、走って来ている。不安定な足場にもかかわらず、驚くほどしっかりした足取りだった。
「嬢ちゃんが、私が乗船しているせいで獣がついてくるとか言って、責任を感じとるじゃろうが!しっかりせい!」
フィルの勢いある怒号にハークは思わず、すんませんと耳を塞いだ。
ケイトのやむを得ない視線に、本来翼をもつラピスラズリが魔獣化しようとしたが、フィルがそれを制した。
ここで魔獣とばれたら、上陸とともに王都に連絡が行くのは確実だ。
フィルは、ハークの持っていた銛を貸せ、と取り上げた。
「いかん、こんな重量じゃだめだ」
一連の様子を遠目に見ていた船員の一人が、気を利かせ、さらに大きい銛を用意してきた。
海獣はいよいよ巨大魚の魚影のような暗闇を船の後方に現した。
「船を、やつの正面に向くよう旋回させろ!」
フィルの声は、驚くほど船上の端々に響き渡った。何故か指示を出すのが板についている様子。
ハークたちは、呆気に取られていた。フィルは堂々たる足取りで船首へと向かい銛を構えた。甲板にいたロゼも、フィルのただならぬ様子に、驚いて脇によけた。
「フ、フィル。大丈夫なの」
「嬢ちゃん、しかと見ておれ。こう見えてもわしは海育ちだった。仕事場を海辺に構えたのも、その所以よ」
ケイトは弓に矢をつがえて待つが、海獣はいっこうに海上へと姿を現さない。
この距離と水面からの深さでは、急所を狙えそうにない。矢は硬い鱗には何ら効果がないことを、経験から熟知していた。
ケイトは、先に転覆を狙うとはなかなか利口な肉食野郎だと舌打ちした。おまけに執念深い。よほど腹を空かせていると見える。
ケイトのつぶやきに、ハークは背筋がうすら寒くなった。
船首で海を睨んでいたフィルは、ついに一点に狙いを定めて、勢いよく銛を投げ込んだ。そのまま腰を深く落とし、力いっぱいロープを引く。普段からは想像できないほどの驚くべき力であった。
「やったか?」
ハークがフィルの隣に駆け寄り、海面を覗き込むと、夥しい水しぶきと血しぶきが噴き上がり、海獣が全長を現した。陽光を遮るほど高く跳ね上がる。
爬虫類の如きとさかに、えら。びっしりと鎧のようにまとった青い鱗。大きく裂けた口。岩をもかみ砕きそうな鋭くぎざぎざした歯が見て取れ、船上の人々はぞっとした。丸く黒々とした瞳孔は、狂気をたたえて、船上の人間に向けられていた。
一瞬の出来事である。しかし、船員たちは時が停止したような感覚に陥った。
船全体を海獣の巨影がすっぽりと覆ったかと思うと、ケイトの放った金の矢が、迷いなくその両目上方の頭部を捉える。
頭部を射抜かれた海獣は、痺れたように全身を痙攣させた。
直後、自身の巻き起こした水しぶきとともに大量の灰となり、潮風にまかれて霧散したのだった。
フィルはケイトを振り返り、親指を立てた。
ケイトは緊張が解けたようによろよろと崩れ落ちた。
荒くれ者の船乗りたちに、肥え太った商人たち。そして、縁あって乗り合わせたハークたちは、茫然とその様子を見つめる。
船は依然揺れていたが、降り注ぐ水しぶきは陽光を乱反射させ、まばゆい輝きを一面に放った。
そして、船首の向こうに小さな虹を出現させた。




