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聖獣の庭、あるいは忘却曲線  作者: 蒼乃モネ
第四章 聖獣の庭、追憶のしらべ
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第6話 海上戦

 海獣は、まもなく水面下に姿を消した。船底の下に潜り込まれたら、転覆してしまうだろう。一刻を争う危機だった。

「おい、そこのあんちゃんら!」

 船乗りたちは荒々しく、こちらに歩み寄った。

「あんたら、あの山を越えてきたってことは、腕がたつんだろ」

 そして、先ほどハークたちが投げ出した櫂を荒っぽくひっつかんだ。海の荒くれ者たちは口々に迫った。

「俺らは船を動かす。とにかく距離を引き離して、撒くしかねぇ」

「時間を稼いでくれ」

「みんなそろって海の藻屑となりたくなけりゃあな」

 体格も体幹もいい船乗りたちに反して、ぐらぐらと揺れながら聞いていたハークとケイトは、ぶんぶんと頷くしかなかった。


 船は、驚くほど速く海上を走った。ハークらは、海に生きる男たちの本気と意地を感じた。海獣がおこしていた波から逃れ、ようやく足場は安定する。

 しかし、海獣の影も不気味に船の隣を並走していた。

 海中深くに潜り続けているため、ケイトの矢は届かない。ハークの剣はなおさらのこと、まるで役に立たなかった。

「あああ、どこまでついてくるんだよ!」

「ハーク。俺は、奴が完全に海面から出ないことにはお手上げだ。お前、銛で突いて海上に手繰り寄せろ」

「お前、無茶苦茶言うなよ」

「無茶でもなんでもやれ」

 ケイトは有無を言わさぬ表情で、船に備えられた漁具を指し示した。通常、商船として運行している船である。申し訳程度の備品だった。

「お前、本気かよ…」

 ハークは、この男はかなりの馬鹿なのではないか、と思った。大真面目な顔で言っているのだから。

 ハークはしぶしぶ、道具に手をかけた。どう扱うものか見当もつかない。

「おいおい、あんちゃん。素人がそんなの扱えっこないぜ」

 屈強な船員の一人が、全速力で櫂を動かしながら叫んだ。

 ハークは、ぽんと手を叩いた。

「あなたたちなら慣れてるんじゃないですか」

「悪いな、俺らは出稼ぎの漕ぎ手であって漁師じゃない」

 ハークは、仕方なく一番、手に馴染みのいい銛をつかんだ。かえしの付いた先は、さびついており柄から伸びるロープは朽ちかけていた。

「大丈夫かよこれ」

 銛を手に船べりまで来ると、いよいよ船は大きく揺れた。船室や甲板から悲鳴が上がる。海中に姿を消した海獣が、船底の真下に潜りこんだらしい。

 船が傾きながら上に持ち上がる。もはや船上は、大混乱だった。

 もう終わりだと悲嘆に暮れた商人たちの慟哭が聞こえる。

 しかし、幸い船は再び着水した。ハークは揺れに足を取られ、膝をついた。ケイトも為すすべなく、船べりにつかまっていた。


「おーい、坊主ら!なにをもたもたしとるんじゃ」

 甲板からとんできた大きい声の主はフィルだった。

 ラピスラズリが止めるのを振り切って、走って来ている。不安定な足場にもかかわらず、驚くほどしっかりした足取りだった。

「嬢ちゃんが、私が乗船しているせいで獣がついてくるとか言って、責任を感じとるじゃろうが!しっかりせい!」

 フィルの勢いある怒号にハークは思わず、すんませんと耳を塞いだ。

 ケイトのやむを得ない視線に、本来翼をもつラピスラズリが魔獣化しようとしたが、フィルがそれを制した。

 ここで魔獣とばれたら、上陸とともに王都に連絡が行くのは確実だ。

 フィルは、ハークの持っていた銛を貸せ、と取り上げた。

「いかん、こんな重量じゃだめだ」

 一連の様子を遠目に見ていた船員の一人が、気を利かせ、さらに大きい銛を用意してきた。

 海獣はいよいよ巨大魚の魚影のような暗闇を船の後方に現した。

「船を、やつの正面に向くよう旋回させろ!」

 フィルの声は、驚くほど船上の端々に響き渡った。何故か指示を出すのが板についている様子。

 ハークたちは、呆気に取られていた。フィルは堂々たる足取りで船首へと向かい銛を構えた。甲板にいたロゼも、フィルのただならぬ様子に、驚いて脇によけた。

「フ、フィル。大丈夫なの」

「嬢ちゃん、しかと見ておれ。こう見えてもわしは海育ちだった。仕事場を海辺に構えたのも、その所以よ」

 ケイトは弓に矢をつがえて待つが、海獣はいっこうに海上へと姿を現さない。

 この距離と水面からの深さでは、急所を狙えそうにない。矢は硬い鱗には何ら効果がないことを、経験から熟知していた。

 ケイトは、先に転覆を狙うとはなかなか利口な肉食野郎だと舌打ちした。おまけに執念深い。よほど腹を空かせていると見える。

 ケイトのつぶやきに、ハークは背筋がうすら寒くなった。

 船首で海を睨んでいたフィルは、ついに一点に狙いを定めて、勢いよく銛を投げ込んだ。そのまま腰を深く落とし、力いっぱいロープを引く。普段からは想像できないほどの驚くべき力であった。


「やったか?」

 ハークがフィルの隣に駆け寄り、海面を覗き込むと、夥しい水しぶきと血しぶきが噴き上がり、海獣が全長を現した。陽光を遮るほど高く跳ね上がる。

 爬虫類の如きとさかに、えら。びっしりと鎧のようにまとった青い鱗。大きく裂けた口。岩をもかみ砕きそうな鋭くぎざぎざした歯が見て取れ、船上の人々はぞっとした。丸く黒々とした瞳孔は、狂気をたたえて、船上の人間に向けられていた。

 一瞬の出来事である。しかし、船員たちは時が停止したような感覚に陥った。

 船全体を海獣の巨影がすっぽりと覆ったかと思うと、ケイトの放った金の矢が、迷いなくその両目上方の頭部を捉える。

 頭部を射抜かれた海獣は、痺れたように全身を痙攣させた。

 直後、自身の巻き起こした水しぶきとともに大量の灰となり、潮風にまかれて霧散したのだった。

 フィルはケイトを振り返り、親指を立てた。

 ケイトは緊張が解けたようによろよろと崩れ落ちた。

 荒くれ者の船乗りたちに、肥え太った商人たち。そして、縁あって乗り合わせたハークたちは、茫然とその様子を見つめる。

 船は依然揺れていたが、降り注ぐ水しぶきは陽光を乱反射させ、まばゆい輝きを一面に放った。

 そして、船首の向こうに小さな虹を出現させた。

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