第4話 宿屋の一室
乾いた瓦礫のなかに立っていた。
もはや支えるもののない円柱や、祀る対象のない空虚な祭壇があった。
浅く広い水盤は枯れ果て、ひび割れていた。かつては噴水の受け皿として機能していたのだ。
ロゼは、ぼんやりと空を見上げた。
空は皮肉なほど青い。厚ぼったい陰影をおとす雲は、驚くほど速く流れてゆく。
耳鳴りをおこすほどの静寂は、都市の死を連想させた。
この都市は、死んでいる。
ロゼは無味乾燥なこの場所に、ただ立ち尽くした。
自分は、何のためにここにいるのか。
自分は何者だというのだ。
どこかからこぼれ落ちた瓦礫の破片が、からりと音を立てるのを聞いた―
ロゼは、深い呼吸とともにぱっちりと目を開けた。朝ではない。あたりは真っ暗である。
徐々に暗闇に目が慣れてくると、船着き場近くの宿の一室であることを視認した。
穏やかな波の音が、耳をくすぐる。湿った潮風の匂いが鼻先をかすめる。
先ほどまでの瓦礫の街の風景は夢であったと胸をなでおろした。
初めて見る夢だ。しかし、例によって記憶と連動している気がした。
見たことのない景色にしては、くっきりと鮮明すぎる。なぜか、胸が締め付けられるほど懐かしい。
忘れないように書き留めておこうと、枕元の机をあさった。
しかし、暗いがために、手探りでは何も手にできなかった。
仕方なく寝台から身体を起こし、カーテンを少し開けると月の光がかすかに差し込んだ。
だが、次の瞬間心臓が跳ね上がることとなる。
床に何かの影がどっしりと横たわっているのである。
ロゼは、ひっと声をあげ、カーテンをしわくちゃになるほど握りしめた。
少し間を置き、平静を取り戻すと、その黒い塊がラピスラズリであることがわかった。
人間の姿であるが、髪を振り乱しながら、苦しみを押し殺すような様子。
普段の姿からは想像もつかなかった。
「ラピスラズリ、どうしたの!」
ロゼは駆け寄り、抱き起そうとしたが強く手をはねのけられた。
「どうってことない。しばらくすれば、朝になればおさまるから」
ロゼに向けられた赤い眼は、ぎらぎらと獣の本性を露わにしていた。
―いつもはきれいな瑠璃色の瞳をしているのに。
ラピスラズリの瞳は、猫のようにころころと色が変わる。
それにしても「彼女」の様子は、ひと目で異常と分かった。
「それ大丈夫じゃないでしょ。ケイトかフィルを起こしてくるわ」
「余計なことしないで!!」
ラピスラズリは必死に声を潜めながら、ロゼの足を掴んで懇願した。
ロゼは動けなかった。この魔獣の必死な様子が気の毒になり、ひとまず彼女のために水差しから飲み水を注いだ。
ラピスラズリはほっととした様子で、ゆっくりと身体を起こした。呼吸も整ってきた様子。
「ごめんなさいね。起こしてしまって」
「それは平気。でも心配」
「大丈夫なの。原因もわかってるの」
「ケイトと離れてるんで、魔力が切れたんでしょ」
「半分正解。本当鋭い子」
ラピスラズリは、水の入った陶器製のカップを両手で受け取り、少しだけ口を湿らせた。
ロゼは、魔獣の性質を知らない。だが、魔力で無理やりに繋がれていることは何となく察していた。
「多少は主人と離れてても、大丈夫なんでしょ。今までも単独行動してたものね」
「あんたとアルフレッドみたいに、距離じゃないのよ」
「時間?」
「あたり」
ラピスラズリは、懐から小瓶を取り出した。香水瓶のような遮光性のガラス細工だった。中身は空。
「切れたの」
ロゼは、ぞっとした。それこそが彼女から甘く匂い立っていた「魔毒なるもの」の容器だと直感した。
「明日、といってももう今日ね。朝ケイトに会えば、これがなくても大丈夫なの」
ラピスラズリはゆっくり立ち上がり、寝台に腰かけた。
「もう寝なさい。朝、起きるのが遅くてもいいように言っておいてあげる」
「ねぇ」
ロゼは、ラピスラズリの両肩を掴んだ。
「あなたたちは、いつまでそうやって都合よく使われているつもり?」
「あんたにはわかんないわよ」
「いつもそればかり。他人同士にわかるわけないじゃない。だから、教えて」
ラピスラズリはつーんと顔を背けていたが、ついに耐えられなくなって長いため息をついた。本当に弱っているらしい。
「ケイトは、魔獣使いになって王族の呪いを解くように言われてるのよ。植物状態のお兄さんもその渦中にいるの」
「なに、それ。やっぱ脅されてるってこと」
「まぁ、そんなとこね。もういいかしら」
「待って。私たちを王都に連れて行くのもその一環なの?」
「その呪いとは関係ないわ。獣使いを登録させるのも、仕事。フィルの仕事場のそばで獣と遭遇したの、心当たりあるでしょ。あそこですでに、こちらに連絡入ってたのよ。魔獣討伐の任務でたまたま隣街に来てた」
「なるほどね。あなたたちとの出会いは、必然だったってわけ」
ロゼは、やりきれなくなった。アルフレッドが言っていた通り、とんだ茶番を見せられていたというわけだ。
「信じたくないんだけど、フィルが連絡したってこと?」
「違うわ。あのお人よしは、そんなことしないってわかってんでしょ。いい?今のご時世、王都の連絡網はそこらじゅうに張り巡らされてるのよ」
ラピスラズリは、話過ぎたわと亜麻布の布団に潜り込んだ。
「用心なさいよ。この前の連中に捕まったら、登録どころの騒ぎじゃないわよ。王都は王都でも、きっと別のところに連れていかれるわよ」
「私も魔獣使いにされる、とか?」
ロゼの問いに、彼女は応えなかった。




